たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

『大正処女御伽話』のレイニー止めが、ちょっとつらすぎるんだけど

大正処女御伽話 4 (ジャンプコミックスDIGITAL)
大正処女御伽話』の寸止め力がハンパじゃなさすぎてつらい。
2巻から3巻のときもそうだったよ……続きが気になりすぎてあがく感覚を味わえるぞ。レイニー止めだらけだぞ。
 
レイニー止めって言葉は意外にも今も定着してますよね。
マリア様がみてる』の10巻「レイニーブルー」で人間関係がこじれたところで終了、次の巻まだ、助けてはやく死んじゃう!っていう状態が続いたのが語源。今もそのままの意味で使われる。
同時に「レイニー止め」の語には、「絶対うまく行ってくれると信じています」という祈りが含まれる。バッドエンドはないであろうと思われる作品ほど、不安要素が入った時のブレはでかい。
転じて、寸止め状態で待って心の中が膨れ上がる緊張感と、発売日に買って読んだ時の開放感のすごさを表現する言葉になったんだと思う。
最近だと『けものフレンズ』の最終回前がすごかった。あまりにみんな心配になって、各々が最終回の二次創作をして心を落ち着かせようとするくらい。
 
ってくらい大正処女の4巻もやばい。なんでそこで切るの。
 
大正処女御伽話』は、心に悩みを抱えた青年と、父が金で買った娘の2人が、誠実に向き合ううちにお互いを大事に思うようになる大正恋愛物語。
一切の濁りがない、苦しいことはあっても幸せに向かって2人で歩いていく。極めてピュア。
 
タイトルの「処女」は、性交渉の有無ではなく、当時の可憐な乙女のあり方のような意味の単語。
ヒロインの夕月は、幼く元気で好奇心いっぱい、純情可憐で、かついつも凛としていて清廉潔白。なんでも張り切る小さな大和撫子
彼女との日々の積み重ね、そしてある事件を乗り越えたことで、2人の愛はどんどん強くなり、4巻では皆が祝福するカップルに。
新キャラの歌姫・白鳥ことりとの関係もあって、視点はどんどん前向きに。2人はもう夫婦寸前、祝福の光しか見えなかった。
 
作品が純粋な世界観を持とうとしているかどうかは、「レイニー止め」効果を高めるのに必須。
キャラクターたちが読者に深く愛される存在であることも必須。
悪意によって「びっくりする」のと、善意を欲して「つらい」のは別なのです。
 
夕月たちをみて100幸せな気分になり、3くらい強烈な出来事が起きて心がグラグラになるマンガです。

肩書に憧れられるのと、素の自分を愛されるのは違う『伝説の勇者の婚活』

伝説の勇者の婚活 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
伝説の勇者の婚活 2 (ジャンプコミックスDIGITAL)

伝説の勇者の婚活 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)


ゲーム的描写も交えつつの、純ファンタジー。
魔王を倒した後の世界の話。
 
勇者ユーリたち一行は、魔王を倒して世界に平和をもたらした。
その後、パーティの中の戦士と僧侶が結婚。
冷静すぎて感情の起伏がほとんどない彼は、二人が嬉しそうにしているのを見て「愛すべき人に出会いたい。そして……その人と一緒になってみたい」とはじめて考えた。
花嫁候補を募った所、数え切れいない人数の女性がやってくる。
 
肩書にあこがれているのか、それともユーリ本人を好きになってくれたのかは、全く別物。
そもそも「勇者」は血筋であって、職業じゃない。「戦国武将の子孫」「すごーい!」みたいな感じ。
いや世界救ってる偉業は成し遂げているけど、それ以上に肩書が目立ちすぎる。「ユーリさんがすごい」じゃなくて「勇者様がすごい」になりがち。
 
ユーリは変装して自分の身分を隠し、結婚相談所に登録、バレたら次の町へ。
世間知らずな冒険者の彼。面白いくらいに、誰にも相手にされない。
 
いろんな女性と顔合わせしていくうちに、彼の中にある、人類が求めている「勇者」観がにじみ出てくるのが、えらい面白いしワクワクする(そんなにアクションは多くない)。
たとえば、ある村の娘は、おじいさんに結婚式をしてあげたいがために、彼と結婚すると言った。
彼は真っ正直だし、その娘の真摯さに心をうたれていたため、結婚してもいい、と本当に考えていた。
ただ、彼は「好きでもない男と一緒になって…あなたはそれでいいのですか…?」と、彼女の一生を深く心配する。
これだよ。人に対する慈愛を持った、人のために自己犠牲できる姿勢。そういうのが勇者だよ……!
 
3巻まできて、まだ結婚相手とは出会っていない。
「勇者」という色眼鏡抜きに、接してくれる相手がいればいいのだけど、また彼が面倒な男なので、ムリな感じしかしない。
世界は誰かが救えても、自分を愛して結婚する人は一人しかいない。
ぼくは独身なので、結婚した人たちはみんななにかしら偉業を成し遂げたんじゃないかと感じることがあります。ひょっとしてみんな世界救ってるの?

『銀のニーナ』は、少女によって男性が成長する系マンガの目指すものど真ん中

銀のニーナ : 10 (アクションコミックス)
『銀のニーナ』は連載はじまってから、本当に好きで好きでどうにもならない作品。
っていうか、そもそもぼくは「成人男性と少女」の組み合わせにとことん弱い。
(作者・イトカツは、ゲーム「餓狼MOW」の双葉ほたるのモーション作家で、ほたるのペットの名前がイトカツだよ)
 
東京から田舎に帰ってきた修太郎27歳。彼が預かることになったのは、ヘルシンキに行った姉の娘、ニーナ。
銀髪、碧眼、10歳。日本大好き。アニメヒロイン大好き。
高原で、姪の世話をする生活が始まる。
 
このマンガの世界は、ほんっとに何にも「えぐさ」がない。
ニーナと母親はめちゃくちゃ仲がいいし、修太郎も(東京と違って)キャベツの収穫など仕事ができている。
修太郎の幼馴染・巴はとても面倒見がよく、大人になっても彼とは仲良し、ニーナのこともめちゃくちゃかわいがっている。
ニーナはきちんとのびのびと成長し、学校にも通うようになり、友達もできた。
 
ほんっと幸せ。
高原も美しいし、ニーナと一年無事過ごせたし、修太郎の母親(ニーナのおばあちゃん)とも仲良し。
 
クリーンになればなるほど、「お前ちゃんとやってるの?」という重しが、成人男性にはのしかかってくる。
ニーナは、彼を写す鏡だ。
 
「成人男性と少女」ものは、いくつかの方向性があると思う。
ひとつめは、成人男性が自分を見つめ直すきっかけの物語。(例・おたくの娘さん、29歳独身中堅冒険者の日常)
ふたつめは、少女の成長を、男性を定規にして記録していくスタイル。(例・アルテ、アリスと蔵六
みっつめは、一緒に年を重ね成長する中で、二人に恋愛が生まれるパターン。(例・高杉さん家のお弁当、これは恋のはなし)
きっとまだまだあると思うけど、大きくはこの3つ。
 
で、『銀のニーナ』はひとつめのど真ん中も真ん中。
幼馴染の巴とフラグが立ちまくっているため、ニーナとの恋愛という道はまずない。
というか巴がいるからなおのこと、「お前ちゃんとやってるの?」の共鳴がすごい。
ニーナの前で「ちゃんとした大人」になれているのか、巴の前で「一人の人間」として成長できているのか。
できてない。それでもニーナは慕ってくれるし、巴はケツ蹴ってくれるから、一歩ずつ前に進める。
 
10巻までくると、ニーナもすっかり学校に慣れ、修太郎と離れていても友達ととても仲良く過ごせている。
修太郎もニーナをしっかり育てようという意思が芽生え、仕事への意識も強くなった。
今までどおり、一切心配するような展開はない。
つまり、テーマ(成人男性の成長)にずーっと向き合っている。これはすごい。
 
ただ「女性に対して向き合う男性」としては驚くほど育っていない。
無理しなくていいところだけど、巴が哀れ。
そんな「イライラしまくるけどやっぱり幼馴染の彼が好きでもうアラサーなきっぷのいいお姉ちゃん・巴」が真ヒロインだと思ってます。
ニーナはかわいさが天元突破していて、ヒロインってより妖精に近いんだよー。最近人間度合い増してきたけど、それでもフェアリーだよー。