たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「五人少女天国行」

 「五人少女天国行」という映画を見ました。1992年作品。

タイトルのように、5人の女の子の自殺のお話です。99年の映画「ヴァージン・スーサイズ」を思い出すけど、テーマは多分似てない。

五人少女天国行 Chujia nu [DVD]

五人少女天国行 Chujia nu [DVD]

 

昔の中国(解放前なので大体60年代だと思う)、湖南省の田舎に住む女の子たち。

嫁入り前に死ねば、白い鳥になって天の花園に行き、幸せになるという伝説があった。

5人の少女は話を聞いて、一本の縄を使い、みんな首をつって自殺しよう、と笑顔で語り合うようになる。

 

序盤、少女が笑いながら草刈りをしつつ、自殺の計画を練る。女の子たち、めっちゃくちゃかわいいのですよ。村で担がれるくらいの美人から、まだまだ幼さの抜けない子まで。川が流れ崖が見える中国の田舎で、女の子たちがキャッキャしているだけで眼福なのに、そこでしているのが自殺の話だなんて。幻想的すぎて混乱する。

ただ、5人バラバラになると一転、各家庭の現実がどうしようもないくらい救いがない。

当時の中国は男性が何に置いても優位で、女性はそれを支えるもの、みたいな偏りが極端に高くて、男尊女卑極まる状態。

女性は相手を選ぶ権利もなく、周囲に嫁がされて当然。だから嫁ぐ時に、親元を離れることと嫁ぎ先に行くことを泣く風習があるらしい。

あるおばあちゃんの70歳の誕生日(貧しい村なので70まで長生きすることはそうそうないらしい)、しきたりで家では大きなお祝いを、近所の人を招きまくってするのだけれども、おばあちゃん本人は同席することは、しきたりで許されない。嫁いだ女は同席は許されないらしい。奥で食えと。

おばあちゃん、さめざめと泣く。長生きするんじゃなかったと。

他にも、妻を殺さんとばかりに殴りながら村人たちに嘲笑させる兄やら、子供を生む時にしきたりのせいで悲惨な目にあってしまう姉などが登場。

生きていて幸せになれるビジョンがゼロで、母親たちからも運命だから諦めなさいみたいに言われたら、そりゃ死ぬわ。序盤はなんて浮足立っているんだろうと不安にさせられる少女たち。死を選ぶ理由を突きつけられたら、とてもじゃないけど止められる気がしない。

出てくる男たちがまたへっぽこだったり胡散臭かったり、厄介だったり。ろくな男がいない。別に女性をあげて男をさげる描写なわけではなくて、男もまたしきたりに逆らえなくなってる。

題材が題材なだけに、少女に無理強いして押し倒すんじゃないか、とハラハラしたのですが、さすがにそれはなかったです一応。もし強姦されていようものなら、幻想すらなくなってしまう。

 

少女たちは男たちの面倒事はなるべく避けようとし続けます。その言い回しが特徴的。

「いやだ」「だめ」と言わない。今日は用があって、また今度、みたいな遠回りな言い方ばかり。

ここは翻訳の関係かもしれないのではっきりとはわからない。ただこの環境なら「いやだ」って言えないだろうなーというのがすごい伝わってくる。男に逆らえる感じしないもの。いや、別に奴隷的ではないんだけど、意思をぶつけてもどうにもならなさそう。

5人ともいい子で、別に家族のことは嫌いではないっぽいし(DV兄は除く)、どの場面でも一生懸命働いている。

ただ、意思表明することができず、選んだのが「5人一緒に死ぬ」という手法。原作のタイトルは「五個女子和一根縄」。長いけどインパクト絶大なタイトル。

「天国行」の日本語タイトルのセンスもとんがっていていい(行くかどうかわかんないのに)。

 

4人が悲惨な境遇の中、一人わりかし幸せな家庭で暮らしているのに、ふわっふわした感覚で混じって死ぬ子がいたのが、個人的にはきつかった。

こういう「一緒に死のうね」みたいなの、別に全員が追い詰められているとは限らないんだよ。お芝居にいくお金を手渡してくれるような母親の姿を思い出すと、もうやりきれない。この子がいるおかげで、少女たちが絶対的に正しいと言えなくなっている。

 

オンラインで配信してないようなので、見るとしたら中古DVDを探すしかなさそうだけど、中国の風習に興味がある人は見て損ないと思います。過去のしきたりで、誰一人幸せになってない。

中国少女が見たい人には絶賛オススメしたい。「不幸すぎる」というシチュエーションが強い絶望を生んだことで、彼女たちの純潔さが際立ち、美しくなっている。

問題提起的な部分は多いけど、それと同じくらい、少女よ美しくあれ、という念がこもっている。いい作品です。

たまごまごのVTuberヘビロテアーカイブ その1

佐藤ホームズさんのこれが面白かったんですよ。

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基本的にぼくはMoguraVRで「今週のオススメ記事」は出しているんですが、それは「新作」「VTuber的に面白い試み」「話題作」「新人発掘」「技術」「歌・音楽」「資料」などがメインなので、「以前の名作」ってあんまり出せなかったりする。

ましてや「過去の動画で、好きで何度も見ているもの」ってなかなか語る機会がない。でもこういうのこそ、記録して残すべきだよなー、自分のブログでは……と思ったので、ホームズさんの許可を得て、ぼくもこの「VTuberヘビロテアーカイブ」やります。

というか、「#VTuberヘビロテアーカイブ」流行れ。みんなの「好きな動画」が知りたいし、たくさん集まったらそれ自体が貴重なものになりそう。

 


【Cover】富士葵、スーザンボイルと呼ばれて 夢やぶれて/Les Misérables

富士葵の歌動画は、スパークルでガツンとやられてからリストを再生して聞いているくらいにはヘビロテ。ただ「スーザンボイルと呼ばれて」は、VTuberのあり方を考える上で今も思いっきり影響受けています。

富士葵は最初の歌動画から多くの人の注目を集めていて、みんな「うまい」と認めている存在でした。この頃まだそんなに歌メインのVTuber多くなかった(ときのそらとかぜったい天使くるみちゃんくらい?)のもあるけど、聞いて即はまるくらい、理屈を超えた部分でうまい。

一部の人からつけられたあだ名が、スーザン・ボイル。「ブリテンズ・ゴット・タレント」で有名になった歌手。

これ半分くらい褒め言葉じゃないわけですよ。スーザン・ボイルは「見た目がぱっとしないおばちゃんだけどびっくりするほど歌がうまい」ということで世界で話題になった人物。これを富士葵に例えるということは、歌を褒めると同時に、案に「見た目がぱっとしない」というマイナスな言葉でもあった。ファンとしてはモヤモヤが溜まってしょうがなかった。

そこで出してきたのが、スーザン・ボイルがまさに「ブリテンズ・ゴット・タレント」で歌った、レ・ミゼラブル「夢やぶれて」

圧巻でした。一発でスーザン・ボイルのあだ名を、全てプラスにひっくり返しました。魂をこめて歌う人スーザン・ボイルと、魂をこめて歌う富士葵をシンクロさせてしまった。もう見た目がどうこうなんて、ここで言う人いない。「表現」の実力で、皆を納得させてしまった。

最高にかっこよかったなあ。富士葵もまだ伸びかけていたばかりの時期、いろいろ言われることがネガティブに進みかねなかったのを、実力一発で全部味方にした。

ブレスとか、音の抑揚とか、ものすごいばっちりなわけですよ。そこに、富士葵らしさが、感情の波が乗っていた。もう一流の表現者だった。

VTuber関連は、どうしても外部からネガティブな話題は出やすいもの。でも富士葵は、何もかも味方につけて、常にポジティブにやってきて、今成功している。

前向きな姿勢を持ち続けて、芯を見失わず、やり続ければ叶う、というスーザン・ボイル的な真実を突きつけてくれる動画。

 


【初投稿】全俺-糸巻おり【ぴぐまりおん。】

ぴぐまりおん。の 糸巻おりは、初投稿のこれを聞いてゾクゾクした。やばいのがきたと思った。「here」の全部俺アレンジで、かなりいじっていて、元を知っているとまずそれだけで、多分びびる。

彼女の歌い方、ミュージカルとか舞台のそれなんですよ。腹の底から息をがっつり出していて、カーンと通る。声量がものすごい。声が聞いていて、頭の後ろまで突き抜ける。

ものすごすぎて、古いマイクだとどうやっても音割れしてしまい、2m離れて配信したことがあるくらい。


【全俺2】アイモ【マクロスF】_糸巻おり

この歌い方はかなり珍しいと思う。音のとり方も含めて、歌うの好きだーとか、あらゆるものをぶつけてくる感覚が、めちゃくちゃ気持ちよくて仕方ない。

「歌うVTuber教えて」と言われたら、真っ先に教える内の1人。マイクを買い替えたそうで、新品だと音が割れず、すごい声量もしっかり捉えているようなので、今後の歌がとにかく楽しみ。「これから」のVTuberだと思うんだけど、今まであがっている歌動画も、全部いい。

 


ちーちゃんとPUBGやったるでー!

長いのでこれフルで見てるわけではないんですが、癒やされたい時に頻繁に開きます。

にじさんじ「おにロリ」3組は性癖に刺さりすぎる。渋谷ハジメと勇気ちひろ、剣持刀也と森中花咲、伏見ガクと宇志海いちご(最近はベルモンド・バンデラスと宇志海いちごも最高によい)。

中でもちーハジは、「思春期に差し掛かってお兄さんに好意を寄せる少女」と「鈍いのかわざとなのか全スルーするお兄さん」という、ラブコメか!?という空気全開。

ちーちゃんは最初は10歳の魔法少女として登場しているけど、本来は18歳の高校生で、少女の姿にさせられている、という事実があったそうで。で、10歳モードでははちゃめちゃ元気な幼女という感じなんだけど、18歳になると敬語になって、落ち着いた距離感で話しかけてくる。

敬語でハジメくんに話しかけつつ、距離を縮めたいちーちゃんと、それをかわしつづけるハジメくんのトークは、かわいすぎて心臓がおかしくなる。多分ちーちゃんの気持ちは明確化しないんだろうなあ。それはそれで切ないな。


ちーハジコラボ(ちーハジ相談室・雑談)


【勇気ちひろ】ちーハジ新年会!【渋谷ハジメ】

子供モードの時もいいんだよなあ。

ハジメくんはにじさんじ最初の唯一の男性(アキくんはアキくん)として、どう男性を、変に視聴者の嫉妬の対象にならないように立ち回りつつ、相手方のファンをも喜ばせるムーブを模索して、きちんと成功した開拓者的な人物。偉大。

ちなみに「でろちー」「ちーかざ」もよい。ちーちゃんが、信頼できる相手に対しては、わがまま放題辛辣殴りかかりな性格なのが、気持ちいいんだなあ。

 

 

 

とりあえず第一弾はこんな感じで、まだまだあるので続けます。

声優・VTuber・覆面配信者・実況者やYouTuber、という境界線。

VTuberってなに?というのは、意外とやはり知られていない。キズナアイみればわかるよねといいたいところだけど、ネットの中では「有名だけどメジャーではない」「似たようなのが色々ありすぎてわからない」分化が数多くあるからです。

その一つが、歌い手文化と、本人の顔が出てない配信系文化。ゆっくり実況もそうかも。

VTuberに対して「中の人は?」「声優は?」という質問が悪気なくでてくるのもそう。VTuberには魂はあっても「中の人」はいないというのが基本なんだけど、そんなの理屈を知らないとわからないよー。声出している人いるんでしょといわれたら、そうだけどちがうんだよ、では納得してもらえない。

 

ということで、ざっくり考えてみました。だれかちゃんとまとめて。

先にツイートをふたつ。

 

・声優

なんらかの「キャラクター」の声を担当する、という扱い。なのでキャラの発言は必ずしも声優の意見ではなく演技ですし、声優の発言はキャラのものではない。そして声優は声の再現するのが仕事。だから、入れ替わることもある。キャラクターは人気がなければカットされるけど、それは声優のせいではない。他の兼任も多々。

 

VTuber

バーチャルキャラクターは自分自身の「アバター」なので、それをわけることは不可能。いわばペンネームを語っている人に「本名はなんなの?」とずけずけ聞くようなもの。だからその人が死ねば、アバターキャラクターも死ぬかもしれない。逆にアバターキャラクターに飽きたり、問題があったら、着替える権利もある。魂が色々な服を着ている状態。攻殻機動隊草薙素子が色んな素体に入るのに似ている。

VTuberに「中の人」というのがご法度なのはこのへん。だって表にでているのが「本人」だから。あえてメタ的にいうならば「魂」と言うのがベスト。キャラ・声優の関係と異なり、VTuberへの暴言や性的目線は、そのまま本人につながっていく、というのが大きな差。

 

・仮面配信者

歌ってみたやYouTuberなどでも、自らの姿をイラストで表現して、顔を出さない人がわりと大きな文化圏になっています。これ若者文化独特の、なかなか大人社会に見えないので、すごく体系化しづらい。ニコニコとYouTubeに多い。

これらを、「仮面・覆面配信者」と名付けます。わかりやすいのは、P丸様。や、すとろべりーぷりんす。名前はあるし自画像もある。自分のやりたいこと優先で、ロールプレイはない。ただし何をやっても顔はださず、イラストで完結させる。

ここがVTuberと混乱させられがちなところですが、自分を優位にだす「お面」か、キャラクター性と人格を混ぜて前面に出す「アバター性」「義体性」の違い。

 

・なりきり

一時期ネットではやって、最近ちょっとだけまたリバイバルしている、TRPG的な「キャラクターに鳴りきってロールプレイする」もの。本人が「演じる」と明言しているのが大きい。このへんから「自分がこれになりたい、これで人生を作りたい!」となったらVTuber化。あくまでも一時的な遊びで、それを明言していたら、なりきり。

 

・実況者、踊ってみた、YouTuber

顔出しで「俺・私」をガンガンだしてアピールしていくのは、YouTuber族。今まで上げたものと明らかに層が違うので、これはわかりやすい。

 

分ける必要ってないっちゃないんですが、外部からみた人が混乱するから簡単に、ぼくなりのイメージをまとめてみました。

特に仮面配信者とVTuberの境界線はあまりにもわからない。

キャラアバター優先のVTuberと、自分ありきの仮面配信者、と考えるとすっきりまとまるんじゃないかなーって。

結局は、テレビを見る時に「あれ演技でしょ」とか「やらせでしょ」って言ってたら楽しめないのと同じで、造り手側の「騙す努力」と見る側の「(一部目を伏せて)受け取る努力」が一致した時に、新しい世界が見える。新しい共犯関係。

また考えたら足します。