桃井はるこはすごかったっていうメモ
たまたま、僕がかなり昔にしたツイートをRTしたのが目に入って、それを見て「うぉっ」ってなった話をメモ。
別冊spoon.のモモーイとすみぺの対談読んだけどこれ本当にいいよ!客観的に言われるサブカルは自分たちの好きなもので、人に笑われるものだったりするけど、売上とかメジャー志向に流されず自分の好きなものを追いかけようよ、やるなら徹底しようよと。上坂すみれプロジェクト、楽しみです。
— たまごまご・オブ・ザ・デッド (@tamagomago) March 2, 2013
桃井「男のオタクの人ってかわいい女の子と付き合いたいわけじゃなくて、可愛い女の子に自分がなりたいんですよ」「だから性別っていうのを超越した存在なんですよ、オタクって」 あああ、わかる、わかる、わかる。
— たまごまご・オブ・ザ・デッド (@tamagomago) March 2, 2013
何で聞いたか忘れたけど、桃井はるこの言葉ってまさにいま、男性が美少女になりたがっているVTuberのあれこれそのままなのでは…。先見の明どころじゃないですね。これツイートしたころは、考えもしなかったわ。
美少女になれる時代来ちゃったからなあ。
何かで使いたいので覚えておくために記録しておきます。
キズナアイ、ガラパゴスを渡る
ニコニコのタイムシフトがギリギリだったので、キズナアイの大阪ライブを見ました。
巨大モニターの中で歌い踊るキズナアイっていうだけでも、ああ素敵だなあという感じなのですが、それよりもゴリゴリのクラブミュージックがかかる中で、サイリウム(ペンライト)の光入り乱れているのがすげえなあーと思ってみていました。
ここ何年か、ライブ類に行っていません。いやもう単に忙しい+元気がないだけなんです。その前は、小さな箱から大きなステージまで、ロック・ジャズ・クラブ、割となんでも行っていました。フェスは一年の楽しみのごとく、ライジングサンとジョインアライブによく行ってた。
アニメ・ゲーム系は、アイマスはちょいちょい行ってました。
で、双方の文化圏のマナーの違いに本当に混乱して。
一番迷うのが、サイリウム・ペンライト文化。自分の経験にないアイテムだったので、どう使えばいいかよくわからなかったのが初期。あとこれだいぶ前も書いたけど、サイリウムを振るのが前ノリなのを身体にあわせるので戸惑う。スローな曲の捧げもわからなかった。
アニメ系、アイドル系のサイリウム文化はほんと、オーケンも書いてたけどガラパゴス化していて、すごく日本の中でも特殊。
一方でロック圏はノーボーダーな場合が多いものの、J-ROCKはガラパゴスがあるというか、もっといえばバンドごとに地方ルールがあったりする(メンバーがどうこうっていうより、ファン側のノリ)。これはなれると楽しいんだけど、一見さんには厳しい。お約束モッシュとか喧嘩になりそう。
クラブミュージックはあんまりルールがないと思うんだけども(ふらっと入ってこそだと思うんだけども)、テクノハードコアを00年代追っかけてきたので、今のEDMなノリはよくわからない。
で、キズナアイのライブはがっつりクラブミュージック。曲作っている人たちがクラブミュージック一線の人たちばっかりだから、本物も本物。音はゴリゴリです。
大阪のライブはTeddyLoidとかがガッツンガッツンの、キックと低音効いた音出している中、サイリウムがキラッキラしている。
ほえー、ってなった。そっかー、そういうことなんだよなあ。シンギュラリティ。
サイリウム文化とかクラブ文化とかを分けて考えている自分が頭固いのであって。
場はそんなのは関係なくなっている。他のオタク系・アイドル系音楽もそうなのかなあ、だいぶ前からかもなあ、J-POPはそういやたまにサイリウム振ってるよなあ、変化を知らないだけだったのかなあ、なんて思ったりする。
閉鎖的かどうかは別として、ガラパゴスだったのはぼくの感覚的にやっぱりあったわけで。
もしオタクじゃない人がアニメ系ライブに来たらどうするんだろう?
というのはぽわぽわ頭にありました。逆も同じ。でも今はオタクっていう枠が、そもそも融解してきてるんだよなあ。
最近キズナアイは、VTuberとのつながり以上に、リアルYouTuberとの接触を意図的に増やしてる。正直知らないYouTuberの話がひょいひょい出てくる。慌てて検索してます。
クラブミュージックもYouTuberもオタクも何もかも橋渡ししていくキズナアイ親分。次はお茶の間に当たり前のように現れて、おじいちゃんおばあちゃん世代への壁も壊していってほしいなあ。そうしたら、初音ミクが越えきれなかった地平を見られるね。
VTuber界隈はクラブミュージックとヒップホップが目立ちます。マイナージャンルをやる上ではかなり強い場所だと思うので、音楽やっている人はどんどん参入したらいいなー。
残響レコードを思い出す、オルタナオリジナルをやっているmemexが最近とても素敵。
プログレVTuberもいたような。メタルはいたかなあ? もしライブやったら、ロックとサイリウムが混じり合っていくんだろうなあ。次はロック・J-POP寄りの、樋口楓のライブの光景が楽しみ。生バンドなんだよね。
memex / Cloud Identifier: 集合知に偏在する残滓による自意識の再構成
一方で、月ノ美兎なんかはディープなオタクにどんどん訴求するのが面白いネットの申し子、逆シンギュラリティなので、そっちの深化はとても気になる。サブカルの口伝者的な。
バーチャルアバターとお洋服とコギト・エルゴ・スム
ほんと、皇牙サキっていう黒ギャルVTuberはすごいよ。先を見通しながら、ひとつずつ噛み砕いて言葉にする能力が高い。バーチャルのあり方についての考え方が深い。ものすごく影響受けてます。
まずはこの記事読んで。
負の感情に対して考え方のパートは、とても生々しい。最近VTuber界隈は、負にとらわれがちだしね、見ている側もやる側も。その負の状態をおもちゃにされるだけは悔しいから、バリバリ進んでほしいと願うばかり。
んで、「自分って何者なんだろう?」の部分は、本当に「バーチャル」に向き合う時にややこしくて、大変なポイント。
ぼくは、サブカルチャーにどっぷり浸ってきて、VTuber文化面白いなーと追いかけ続けているんだけど、「じゃあVTuberになれよ」とよく言われるんだけど、なってからすることがないんだ。
今こうやってブログなり商業誌なりウェブメディアなりに、思いっきり書いている状態の自分が好きなので、はいVTuberの身体手に入れました、チャンネル持ちました、何出すの?と言われても、思いつかない。空っぽっていうか、仕事でも書ききれなくて追いつけない状態で、新しい身体持ってなんかできるのかって…いやー無理。時間と体力と、想像力がない。
それに「新しいバーチャルの身体手に入れて、お前はそれを一生使うのか?」みたいな感覚があまりにも強すぎて、無理だわーというのもあった。使い捨てとかあんまりじゃない?みたいな。でも少なくとも数年愛せるのかというと、自信はないなあ。仮に3Dの身体作るとして、それだけの時間をかける、それだけに見合うお金を払う、目指すものがあるのか?
好きなアニメ・漫画キャラクターはたくさんいるけど、それは愛しているだけで、なりたいわけじゃないんだよ。ぼくは惣流・アスカ・ラングレーや城ヶ崎莉嘉が好きだけど、惣流・アスカ・ラングレーや城ヶ崎莉嘉になりたくはないんだよ。
ここでハッとさせられたのが、REALITYのWFLEの荒木英士さんことDJ RIOさんの活動。
以前ぽんぽこ24の「有識者会議」でお話させていただいたんですが、ぼくのモヤモヤに対してさくっと、バーチャルアバターは洋服であることを述べていました。ようは何着も持っていていいし、もっとカジュアルでいい。バーチャルになることを、覚悟するほどに重く考えすぎなくていい。
普通に働いていて、仕事に行くスーツ、学校に行く制服、外出着、部屋着、遊び着、ジャージと人間使い分ける。アバターだってそれくらいでいいんじゃないのと。
自撮りが楽しすぎる・・・#DJRIO_ART pic.twitter.com/tt3J0Prf6P
— Eiji / DJ RIO (@eijiaraki) January 3, 2019
最近荒木さんは、DJ RIOというアバターを自分のポケットマネーで作り、自分で色々設定し、活動させています。これがただの道楽じゃないのがすごい。DJ RIOの身体で登壇とか取材とか全部やっていくつもりとのこと。最初「えっ、グリー取締役が?」って思ったけど、VTuberを運営する母体になる人が率先してやらないと、バーチャルの未来は確かに開かない。目標がそっちなら、自分からやらなきゃ、ということらしい。
しびれる。
彼(彼女?)の発言に、ぼくの「バーチャル」観はすごく影響を受けています。
そもそも「VTuber」はエンターテイナーなわけで、みんながみんなエンターテイナーになる必要はない。「こんな身体手に入れたぜ!終わり!」で別の身体手に入れるだけでも十分。
今6000体ものVTuberがいる、多すぎる、という声はよく聞くけれども、表に出ているバーチャルアバターが6000しかない、だと思う。日本人、世界の人みんなが「サマーウォーズ」のOZみたいに、別に発信するわけでもないアバターを持つようになる時代はそう遠くないと思っているので(すでにSNSが広がって、アイコン使っている時点で、バーチャルの層にいるみたいなもん)、その中の6000人は、思い切って足を進めた偉大なる開拓者ですよ。まだ一年しか経ってないぞ、どうしても焦りすぎちゃう。
だからやめたり、休止したり、転生したり、飽きたりするのも全然ありじゃないかなーって。天開司が、苦しんでいるVTuberに対して「休め!」と言っていたのがすごく印象的だった。
人生単位で考える。絵を描くのも文章を書くのも音楽の練習するのも、年単位、人生単位。なんかやるならそのくらい。嗜むなら「ライブやる気ないけど楽器触ってみた」程度でいいんだなーと。
その上で、洋服みたいに着たり脱いだりしたい。粗末にガワを扱うのは…と思ってたけど、自作のアバターは粗末に扱うのもありかなーと。いやそんなことは多分絶対できないけど、とりあえず作ってグレードアップするとか、後々別のものに変えるとか、もっと気楽でいい。
「自分って何者なんだろう?」という点では、サキちゃんのようにVTuberとして活動する熱意を持っている人はとても苦しみ、かつ強力な武器になる部分だと思う。プロ作家が技術を身につけるのと同じ。
けどぼくみたいな「お洋服買いに来ました!」くらいなら、「自分」っていうのはリアルの自分の延長(ロールプレイしない)でいい。
限りなく現実に近い生き方のまま、新しい洋服を着れば、新しい場所に行ける。それだけなんだよなあ。
となると、やっぱり「じゃあリアルな自分自身は何をしたいのか」を見つめ直すことに戻ってくる。
バーチャルは逃げじゃない。ビジュアルは自在だけど、むしろトータル的な「自分」との向き合い方には、何らかの形で発信する分、リアルより現実を突きつけられる。
リアルとバーチャルの「自己」を考えている時に、自己があることを証明できる、コギト・エルゴ・スム的な。
とりあえず、格ゲーで好みの女の子キャラ選ぶくらいの感覚で、アバター作りたいです。
ロールプレイとアバター性については、この動画が面白い。