たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「赤ずきん」についてしらべてみた。


子供向けアニメにしては、やけにハーレム的展開だなあと思ったら、これってもともとフィギュア付OVAだったんですね。なるほどー。なにげにアニメは出来がよくて、面白いです。
はて、「赤ずきん」と聞かれると、自分はこっちを脊髄反射的に答えちゃいます。

チャチャ。
はじまったばっかりのときは、慎吾ちゃんの声のヘタさっぷりにあんぐり口をあけていましたが、気づいたらそれがすごくよくなってたりしたもんです。リーヤは慎吾ちゃんじゃないとあかんよね。
「赤ずきんチャチャ」OP

SMAP版は抹消されてました。プゥ
 
他にも本道からちょっとズれた「赤ずきん」といえばこんなのもあります。
ヴァンパイアセイヴァーのバレッタ (参考動画)
東京赤ずきん
マクファーレントイズ 赤ずきん
誘拐防止ビデオ「赤ずきんちゃん、ちゃんとチェック!」
大竹茂夫版 赤ずきん(パロル社)
路上喫煙は「アカンずきん」(大阪)
最後はなんか違うけど気にしない。
 
こんな感じで「シンデレラ」や「白雪姫」なんかと比べて、わりとアクティブな活躍の多い「赤ずきん」。もともとの話は、おおかみに食べられちゃう女の子なのに、なしてこんなに時代を超えて愛されてるんでしょうね?やっぱ、ただの教育物語ではこうはならないと思うですよ。
そんなわけで、ちょっとあてずっぽうに、自分論を立ててみます。

1、他の物語には比較的少ない、いかにもな「少女」だから。
2、模範的な「いい子」だから。
3、誘われたらだまされ、思いのままになる幼稚さがあるから。

子供にとっても、「姫」じゃなくて身近なレベルの女の子だってのはポイントが高いと思うのですよ。だからこそ「おとぎ銃士」や「チャチャ」のような、「私もこんなふうに元気に動きたい」的なベクトルにすすむのだと思います。姫と違って、自分から動きますしネ。
加えて、大人の目から見て「赤ずきん」が数ある童話史上で、非常にセクシャルなのもポイントだと思うのですよ。実際、現代では小説やマンガ、ゲームなどにも赤ずきん題材の、性的なニュアンスを含む作品が多くあるようです。
そのようなイメージは襲う「オオカミ」と襲われる「少女」という構図が、とてもわかりやすいから。ロリコンの象徴としても、他になかなかこんな題材ないですヨ。一方それを逆手にとって、バイオレンスにしたのが、「東京赤ずきん」だったり、この映画だったりします。
「ハードキャンディ」

これはもうすぐ公開なので、是非見に行きたいトコロ。
食べる、撃ち殺す、腹を割く、など、原作自体がバイオレンスだから、そこを膨らませやすいというのもよくわかるナア。
 
ちょっとここで、原典である「赤ずきん」をほじくりかえしてみたいと思います。
 

グリム童話「赤ずきん」(青空文庫)
普通「赤ずきん」といえば、だいたいこのイメージですよね。グリム童話で、ドイツにすむ少女。登場人物で死ぬのはオオカミくらい。
しかし、実際の「赤ずきん」はどうも、ドイツ人じゃないようです。
 
赤ずきんwiki
赤ずきん考察
簡単に、「赤ずきん」伝承の流れをまとめてみます。
 
1、16世紀以前フランス、スウェーデンなど
少女がおばあさんのところに行くとき、オオカミにだまされて「針の道」と「ピン(留め針)の道」のうち遠回りしてしまい、おばあさんは殺される。少女は家にいたオオカミに再度だまされ、おばあさんの肉と血を食べてしまう。その後、服を一枚ずつ燃やされて布団に誘われ、最後に食べられてジエンド。子供に聞かせられないヨこんなの。というわけで、大人向けの、下品な物語としての要素も強かった。赤い頭巾をかぶらない、名前も個性もない少女として描かれている。
2、1697年フランス、ペローが童話集にまとめる
ここではじめて赤い頭巾をかぶった少女に描きなおされる。グロテスクなシーンはすべてカットされ、性的に身を守る教訓が語られる。赤ずきんは相変わらず、布団で裸のまま。

ごらんの通り、年端のいかない若者は、とくに美しく愛らしく人好きのする女の子は、どんな相手と口をきいても間違いのもとになるから御用心。(中略)若い娘のあとをつけまわし、こっそり家の中まで、寝室まで押し入ってくるような抜け目のない性質のものもある。いろいろ種類のあるなかで、この甘ったるい狼ほど、危険なものはないのです。(澁澤龍彦 訳)

3、1800年ドイツ、ルードヴィッヒ・ティーク 「赤頭巾ちゃんの生と死-ある悲劇-」
戯曲。赤ずきんを食べたオオカミを殺す「猟師」が始めて登場する。しかし、題名のとおり、赤ずきんは帰ってこない・・・
4、1812年ドイツ、グリム兄弟「赤ずきん
服を脱ぐシーンがカットされ、猟師に赤ずきんが助け出されるシーンと、「よりみちは危ないよ」的教訓がぎっちり詰め込まれる。詰め込みすぎていったりきたりしてるんだけど、現代ではそこがくどいのでカットされちゃったり。
この後、「赤ずきん」のさまざまなバリエーションは、「グリム童話」をベースにする、という前提で描かれていきます。
 
「赤ずきん症候群」ユリイカ1987年)
今の日本ではさらに丸く、子供が怖がらないように角を削りまくって、絵本にしてますよね。でもどんな人でも、大人になったときに、そこに含みがあるように感じてしまう、それが「赤ずきん」の魅力のひとつでもあるんじゃないかと思います。
ユングフロイト派の人も、「赤ずきん」解釈を行っているみたいですネ。
 
フロイト
狼は男性の象徴、赤い頭巾は「女性」になることの象徴。どちらも性的衝動をあらわしている(リビドー?)。「男性(父親)に誘惑されたいという娘の願望」を表現しているのではないか。
ユング
古代の宇宙神話などにあるように、飲み込まれ、再生するという無意識の心理のあらわれ。また、子供を生殖し、産むという心理を表してるのではないか。
 
フロイト派が「リビドー(性的衝動)」について話し、ユングが「古代神話と宇宙の心理」について話す、という、なんだかドベの心理学シロウトな自分でもちょっとわかりやすい構図が見られて、面白いですコレ。(追記・フロイトフロイト派(フロム)は別なようなので修正しました)
ただ、この話は欠点があります。「グリム版赤ずきん」の話のみがベースだ、ということ。
そのあとの学者たちの意見は、「グリム童話でそんなに心理学的なもんつめこんでるんだったらあーた、その前のペローのとかフランス民話はもっと色々あるでしょうーに」となるわけです。
ダートンという人は、「こう思い込んでると解釈できないっすよ」と、勘違いポイントをのべています。

(1)たいていの民話は子どものために作られた。
(2)民話はハッピーエンドに終わらなくてはならない。
(3)民話は「超時代的」である。
(4)民話は、現代アメリカ人によく知られている形そのままで、「どんな社会」にも適用しうる。

もし、どんな社会にも適用しうる、と言う「無意識の心理」が「赤ずきん」産んだのであれば、赤ずきんのなかったフランス民話にも同じことが言えないといけない、ってことネ。でも赤ずきんて最初かぶってないんだよなあ。しかも、食べられたあと出てこなかったことや、赤ずきんちゃん謎のストリップも解明されないとあかんネ。
 
この中で、「赤ずきん」が愛されてきたのは、男性から見た、弱い女性像があるからである、と書かれています。それを「赤ずきん症候群」とは、またうまい表現です。
それを見越して、逆に男性から見た女性の強さや、女性が男性よりも強い社会を、赤ずきんを使って描く人が増えているのも事実。さきほど書いた「ハードキャンディ」なんかは、それをうまく使ってるみたいですね。ジェームズ・サーバーの『少女と狼』(1939)が、めっちゃ面白いので引用。

少女がおばあさんの家のドアをあけると、だれかがナイトキャップかぶってベッドに寝ているのが見えました。少女がベッドから二五フィートのところまでくるかこないうちに、それがおばあさんではなく狼だということが分かりました。だって、たとえナイトキャップかぶってたって、狼がおばあさんに見えるはずがないじゃありませんか。メトロ=ゴールドウィンのライオンがカルヴィン・クーリッジに見えますか?そこで少女はバスケットから自動拳銃をとりだし、狼を撃ち殺してしまいました。

あっはっは。そりゃね、見えるわけないわなw
 
とはいえ、最近では特にネットにキバをむいた狼が多いのも事実。
赤頭巾ちゃん、十分お気をつけて・・・・
 
オマケ
赤ずきんちゃんに学ぶ投資
こ、これは斬新な考え方だ・・・。
WEB寓話:狼少年、赤頭巾ちゃん、そして動物農場-ネット社会は暴走するか?
同じようなお話。オオカミになるつもりが、気づいたら赤ずきんになってることもあるんですヨ・・・。