たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

初版本の価値についてしらべてみた。

矢吹健太朗「To LOVEる とらぶる」の初版本の価格があがりすぎです(イミフwwwうはwwwおkwww)たまごまごです。
なんぼなんでもすぐに増版かかると思いますが。
以前涼宮ハルヒの憂鬱第一巻初版帯つきが、ヤフオクで2万で売れた(にゅーあきばどっとこむ)のは記憶に新しいところです。うわさによると6万のも出たそうで。金帯限定。帯って捨てちゃうから、まあレアといえばレアなんだけど、ブックオフで100円の本が6万はないよネ。友達が「あー!帯とっておけば!」と嘆いていましたが、みんなそうだと思います。まったくです。
 
ハードカバーや文庫本だと、わかっていてもつい気にしちゃう「初版」か否か。ちゃんとした古書店にいくと、大体初版とそうでないのとで値段がばっくり割れていますよネ。
「なんで初版本に価値があるの?」というのを、ここであらためて確認してみようと思います。古書店に勤めた経験があるわけではないので、ネットの意見と自分の経験からだけわかる範囲で書いてみます。
 

  • まず、初版とはなにか。

ちょっと手元にあったマンガを何冊か引っこ抜いてスキャンしてみました。

一番わかりやすい書かれ方。マンガ版エヴァンゲリオンのです。1年で12回も刷ったのか、すごいな。いわゆる初版本の場合は、下に「○○刷発行」とは書かれません。現在の小説・マンガはほとんどがこの表記ですネ。

ライチ☆光クラブより。「第一版第一刷」となっています。本によっては「初版第1刷」と書かれる場合も。これも間違いなく「初版本」といわれるものになります。しかし、こうなるとややこしい。

シャーリーより。「初版3刷発行」。
へ?これは初版本なの?初版本じゃないの??
コレクター側からみると、これはなんの価値もありません。コレクターが高値をつける初版本は「初版第一刷」のみです。
この表記は、「最初に作った版で本を再印刷しましたよ」という意味で、最近の本ではほとんどがこれです。昔は版型がダメになったり修正を加えたりが頻繁にあったので、版を変えて印刷した場合「2版」「3版」となって印刷そのものが変わっていたので、その名残です。
現代の印刷技術の進歩のおかげ、ともいえますが、同時に近年の本の場合は昔の初版本よりも異常な価値がつけられないという点にもつながるのかな。
ある意味、「初版第○刷」となっている本は、最初の発行と中身が変わっていないので、コレクター以外の人でも安心して買えるってのがポイント。

  • 初版の価値ってなあに?

比較的ぱっとみて「希少価値」がある場合もあるので、ちょっとそれ列挙しておきます。


・単純に冊数が少ない。(後々評価された本は初版数が数えるくらいしかない)
・初回分のみの帯がついている。
文学賞受賞後や出版社のセールスで帯が変更されてしまい、オリジナル版の帯がもう残っていない。
・表紙や帯の印刷ミスがそのまま残っている。
・ケースが一番最初の版のまま残っている。
差別用語や時事用語が2版以降修正されてしまっている。
・加筆・修正がなされていない。マンガなどだと大幅に修正が加わった場合希少価値は跳ね上がる。

あとは言わずもがなで、「署名入り」「サイン入り」は高いですネ。
(追記・宛名入りサインだとその人以外への価値は皆無なので、よごれとみなされて安くなる場合もあるそうです(コメント欄より))
 
ポイントとしては、まず帯がきれいかどうか。「ハルヒ」も帯なしだったら初版本でもきっと100円くらいです。また、帯も初回のものでなければ、ぐーんと価値は落ちます。
書店セールやアニメ化情報、受賞コメントなどの一切ない、ノーマル状態の帯単品のコレクターもいらっしゃるそうです。同じ初版本でも、受賞帯ついてるのと普通の帯ついてるのでは雲泥の差ができるというワケですネ。(どっちも珍しい場合、どちらも高くなることも)。また版がかわり帯が変わるごとに買う帯コレクターもいらっしゃるようですね。これはレコードやCDでも同じ。
また、帯や表紙に価格変更や誤植がある場合がまれにあります。それは直ちに修正されますがごくマレに誤植版がそのまま出回ることもあるそうで、そうなると50万から100万という異常な額がつくことになります。古ければ価値はありますが、最近の文芸書でもありえます。
 
次に本文。小説だとわかりずらいですが、マンガの場合初版のあとに大幅な修正を作者が加えることがあります(よい加筆もあれば、事情によるカットもあわせて)。たとえば手塚治虫作品は初版出した後にガンガン修正を加えることで有名で、初期のころのマンガの初版本は目玉の飛び出るような額になります。
修正されたほうがもちろん読者のためにはいいのですが、コレクターとしては「初版以外では見ることができない」のでグンと高値になります。たとえば「To LOVEる」の場合、もし第二版以降「乳首のトーン処理がはずされていた」とかとなった場合、おそらくヤフオクで初版本は数千円単位になるんじゃないかと思います。まあ、ないと思いますケド。こうなってくると内容のいかんじゃなくて、希少価値ですネ。
 
小説はさらに大胆にカットを加えることもあります。近年でも修正に修正を重ねる作家さんもおられるようですが、昭和初期作品などになってくると、原文に出版社が意図的に違うものを混ぜ合わせたリミックス作品が作られてしまい、どれが初版かわからないなんて状況もあります。
宮沢賢治銀河鉄道の夜」は元々4種類あるのに、出版社がそれらをあわせて別物にしてしまったことがありました。つまり宮沢賢治のしらない5番目の本。それが出回ってたってんだから、逆にそっちに価値が出ちゃったりすることもあります。
 
著作権差別用語の関係で文章を削除されたり、なーんてなってくると、いじっていない状態の初版本の価値はぼぼーん!とアップ。これは今でもよくありますね。そんなわけで、図書館や博物館に飾られる本は、その筆者が加筆していない状態の「初版本」こそが、コレクションとして歴史的価値があるとみなされるのかもしれません。特に後世になって売れた作家はそうでしょうネ。
 

  • 事故や偶然が生んだレア本。

注意すべきは、同じ初版1刷でも、奥付けが同じで改訂されているものがあるということです。
簡単に例を書いてみます。

ホラー小説「たまごまご、割れる!」が微妙な冊数で初版を出される。無名なので売れないと思っていた。

気づいたら妙にヒット。あっという間にわずかな初版は売り切れ!これにはびっくり。

しかし本文中に差別用語が使用されていたことが判明、やばいので回収。一ページまるまる差し替えになるが、急がないと印刷が間に合わない。

急いで再販。しかし緊急再販なので奥付は「初版」のまま。

トラブルがあった場合の中小出版社にマレにあるそうです。こうなると、同じ初版でも価値がまったく変わってきます。これから「一時期物議をかもしだしたかもしれない」初版本を購入しようとしている方は、そのへん注意するといいかもしれません。
また、一度発禁になった本や、作者の不祥事により回収された本などは、再版で「初版」と書かれていても、同じく回収前の初版のレア度にはかないません。
 
加えて、これは不幸なタイプのレア本ですが、「今売れている作家」で、「かつては売れていなくて」「デビュー作は初版のみで希少」「しかもその出版社はつぶれた」となるともう偶然が重なってえらい額になるかもしれません。なにせ、世界に何冊あるかわからないようなシロモノですし。どこかの出版社が権利を買い取れば日の目を見ることもあるのでしょうけどネ。
 

  • 「初回限定版」は本マニアの目にどう映る?

ちょっとマンガオタ視点から。「初回限定版」はなかなか微妙なので、未来予測レーダーが必要ですよネ。
たとえばつい最近のだと、「みなみけ3巻特装版」はもうすでに完売のため、2000円前後の値打ちがついています。今後どんどん値上がりしていくのかな?(限定版じゃないから微妙?)にしても発売1週間たらずでこれはびっくり。
逆に、初回限定版が最近乱出しすぎていてなんにでもつけてしまい、しかも値段が高い!というのもあるので、みんな敬遠してしまって不良在庫になってしまった悲しい本達も見かけます。ヘタすると、通常版よりも安くなって販売されたりすらしますね。そうなったら自分みたいな適当本読みには逆にねらいどころではありますが。
だから、「初版本コレクター」と「初回限定版」は必ずしも関係はないんじゃないかな、というのが自分の思いです。本そのものの価値というよりも、付加価値された限定のソレが目当てなわけですしね。
本当に本が好きで、初版本をコレクションしている人にとっては、作られた「初回の価値」はあんまり意味がないのかもしれません。
ん?自分ですか?限定なんだよ、見たら買うデショ!?(←ダメな本オタの一例

  • 「蔵書票(エクス・リブス)」と「蔵書印」

大正・昭和の本の話にちょっとさかのぼります。
「これは私のものですよ」という「蔵書印」が江戸時代あたりからはやっていました。それは昭和期になっても(あるいはたまに現代でも)あるのですが、
「自分の貴重な本だ、蔵書していた証としても、好きな絵を貼っておきたい」
という考えが起こり、本のウラに切手程度の紙切れを貼るのが流行した時期があります。それを蔵書票といいます。

ふくやまけいこ東京物語」より。竹久夢二の版画など、聞くだけでもヨダレがでそうです><
この風習は15世紀ヨーロッパからあるものですが、現在はほとんど廃れてしまいました。しかし蔵書票そのものにも価値があるので、古書マニアにはたまらないものの一つです。古書の価値は「初版」もありますが、さらに「有名人の蔵書印が押してある」「レアな蔵書票が貼ってある」となっていくと、信じられないほど貴重になっていきます。まさに世界に1冊。
時には本の価値がなく(ボロボロで初版じゃない)、蔵書票だけコレクションされることもありますが、んー、せっかくだから、セットで取って置いてこそじゃないかなー、なんて思ったりもしたりしますが、これは個人的意見。
小さな芸術の結晶とも言われる蔵書票。展示会も頻繁に行われているそうなのでゼヒ見に行きたいところです。

  • 初版本を大切にしたくなる気持ち。

はて、コミックスや文庫本だと、「初版」かどうかは、気になるか気にならないか程度の差しかなくなりますネ。
でも、なんとなくですが、「初版本で集めておきたいな」という人は案外多いんじゃないでしょうか。
たとえば「20刷」のマンガや小説なんかは、もう掃いて捨てるほどどこにでも手に入る、ブックオフで100円で買えるわけです。しかしそれほど今人気が出たマンガや小説の、初めて売れたときの「初版」は、今の大増刷かかっている状態に比べて冊数そのものが非常に少ないわけです。
 
こっからは自分の思い込みです。
様々な人に愛され、数多く広まって版を重ねた新刊を買うのもいいですが、「この世界でこの版が、はじめて世間に向けて産声をあげたんだ!」と思うと、ちょっと古くても初版本を選んでしまいます。
加えて、作者がその作品を愛を込めて送り出した、その最初の姿だと思うと、数をこなされたものよりも初版に魅力を感じてしまいます。
また別の角度から見て、文化風俗に歴史的な価値を生んだんじゃないか?と思われる作品は、大量に刷られはするものの、「自分はその時代に立ち会ったんだ!」という思いもこめて初版を、まさに「自分の歴史」の一ページとして集めるかもしれません。「この人はこれからの文芸を変える!」「このマンガはこの時代を表している!」と思ったら、後から追っかけて買うよりも、初版でそろえておきたい。そんなのもありだと思います。
あとは、そこに「金銭的に」どのくらい価値を感じるか。
中にはレア帯などがついているから買うという人もいれば、何も今の版と変わらなくても奥付に「初版」とあるだけで「ウン万で買う!」という人もいます。人それぞれですネ。
コレクターの間では「初版1刷」が基本ではありますが、そうでないからといって本の価値が下がるわけでは決してありません。
限度をわきまえて(coco's bloblog)
レアな本に価値を感じるかどうかは、自分次第。レアだからエライってことはナイ。
 
つまるところ、「初版」への憧れは、本や作者そのものへの愛情だと思います。レア価格で売ることを考え始めたら、自分の中での「初版本」の本当の意味での価値はなくなってしまうんじゃないかな、と思いました。ただ、本当にその本に誠意を持ってサヨナラするときは、上記のような価値のつけ方を考慮に入れておきながら、相場を見るといいかもしれませんネ。あ、転売はダメですよ。こんな風なのは大好きな本の世界では、見たくないですヨ。
そうして自分は、古書屋に展示されている初版本を、ありがたーく拝むのです。拝むだけ。
 
 
参考リンク
BOOK TOWN じんぼう
日本の古本屋
初版、カバー、帯状態も見ることができるので、相場検索すると面白いです。ほしかったペヨトル工房の「夜想」は、やっぱりないもんだなあ…。
飾り物の価値(日本の古本屋)
古本用語集
蔵書票ホームページ
蔵書票部
EXLIBRIS 銅版画の蔵書票
蔵書票はほんと小さな芸術ですよ。自分でもお気に入りの作って貼ろうかしら。
三島由紀夫初版本
オビナシカバー痛みの初版だと1万くらいのものも、帯付完本だと50万近くに!
小説「死の蔵書」から見る初版本の価値(永字八法)
仕事になるくらい、古書マニアにとっては価値のある本があるんだネ。しかしこれをウンチクにしたミステリーとは。読みたいじゃないか。
初版であると何かメリットとかあるのでしょうか?

また、これは全くの気持ちの問題ですが誰もが知っている人気作なので買いなおしたときは何十版もの増刷がされていました。自分はブームが来る前から知っていたのになあと、これも軽くショックでした。

うわー、わかるなあこれ。だから「これ売れる前から目をつけてたもんね!」と初版を本棚に並べて悦にいる、そんな私は本オタク。