たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

身体欠如少女の憂鬱〜サイボーグ化できない少女達〜

(注意・このエントリは身体障碍差別を助長するものではありません。ファンタジーの記号論としての文章ですのでご理解いただけると幸いです。それもふまえて、語尾等修正しました。ご指摘、情報、色々ありがとうございました。なるたけ誤解がないよう、でも自分の中の物語の構造論も削らないよう文章に修正を加えていくと思いますので、ご容赦ください。11月23日追記)

  • ビっ子たん。

ビっ子たんシャブ壱inDEEPより)

こちらキャラを作った絵師さん。

賛否両論わいたネタですが、なかなかどうして、かなりかわいいです。左足と右目がないんですネ。1枚目のイラストの足が非常に生々しいのに、あんまりグロではないです。
身体欠如キャラといわれるとどうしても江戸川乱歩「芋虫」とかそっちを先に思い浮かべてしまいます。あとは映画フリークスみたいのとか。そちらは悪趣味なのをわかって悪趣味に描いていますネ。しかしこの絵の趣旨は違ってきています。

108 Name: Anonymous : 2006-05-10 07:27
ビっ子さんいいよな!
社会的には言いにくいんだけどな!

やーっぱり、そのような表現を見ると、心にヒッカカリがあることは感じちゃうかもしれませんネ。(追記・文章力がなく、誤解を招きやすい文体だったので訂正しました。引用部も検索エンジンに引っかからないよう表記を少し訂正してあります。11月23日)
しかしこの子、かわいいんですよ。非常にイキイキとした目と動きをしているので、暗さを感じない。んじゃわざわざ左足なしじゃなくてもいいじゃないか!と言われると、それはそうなんですが、絵の構図としてなんとも言えない魅力を感じるのです。
 

  • 色々な身体欠如キャラ。

こういう身体欠如キャラというモチーフは、少年マンガではなかなか描けないジャンルだと思います。それこそ表現的に問題があるとされる、というのが一番のカベ。
しかし、マンガ小説内にまったくないかというと、結構いることはいるんですよね、男性の場合は。それは歴戦の証であったりそのキャラの人生だったりと、ストーリーにかかわる場合が多いんじゃないかと思います。「そうせざるを得なかった」的な重みを持って語られたりとか。あるいはもう切り払ってサイボーグ化している場合も多いですネ。フック船長をはじめとし、腕がない、足がない、目がない、というのは悲惨な場合もありつつ、勲章のように描かれることも多いと思います。あとは地蟲十兵衛とか。
しかし、少女キャラで身体欠如、となるとストッパーがかかってしまいます。和月先生のあとがきかなんかで読んだ気がする程度の推測ですが、ジャンプなどではアウトになったキャラ多いんじゃないかと思います。
ちょっと他にネット上で有名になった身体欠如少女達を並べてみます。
 

異形
2004年にお絵かき掲示板に描かれ、長編ストーリーとして有名になった作品。人間ですらないのですが、その身体欠如っぷり(クビだけとか)と切ないサイレントストーリーが心にグッと残ります。
 

ナナの生活魔界都市日記より)
多分再掲。悲惨注意。
 
エロゲーエロマンガを見ている人でも、「こういうジャンルもあるんだなあ」程度で親しみがなかったり、苦手な人はとことん苦手なジャンルだと思います。正直これをしっかりと描くためには、18禁の世界の方が描きやすいだろうなあ。少年少女向けなら、女性の身体欠如はできるだけ避けたい、あるいはそうとう理由を明確にしないといけないかもしれません。
とはいえ、むかーしからひっそりと存在するんですよ、このジャンル。特に異端スキな男性やゴス好きな女性の間で、「身体欠如の少女像」は数ある「少女イメージ」の中の一つとして、ひっそりと、かつしっかりと描かれ続けていると思います。
 

  • 体の一部を失うことの、作品における意味。

とは言っても、身体の一部がないのは全て同じような描かれ方なのかと言うと、かなり違うと思うので、いつものように私観で分けてみたいと思います。

1、戦闘を繰り返しているうちに、やむなく失ったという「戦いの証」
2、その少女の人生の悲惨さを物語る記号
3、失ったパーツそのものに、大きな意味がある。
4、身体を欠如しているというシチュエーションそのものが世界観を作っている。
5、身体を失った後、サイボーグとして活躍している。

 
欄外
精神そのものを失っている。または崩壊している。
人形、ロボット、人造人間。

1について思い出すのはこの人。
風の谷のナウシカ 3 (アニメージュコミックスワイド判)
クシャナ殿下。さすがにアニメでは描かれませんでしたが、ほんのり表現されてましたね。当時は「いいのか?!」と驚いたものです。幼かったしね自分も。純粋だったんですよ。うーん、正確にはサイボーグっぽい?

あとこの人も最近失いましたネ。ハガレンの戦闘の激しさを物語るショッキングなシーンでした。へたに死ぬよりはるかに痛々しく見えます。他にも片腕を失った戦士は割りと見かけるかもしれません。
2は「視覚を失った」という形でよく見られると思います。たとえば「ONE」のみさき先輩のように、「それは反則!」と思わせつつもやっぱり見ていて切ない気分になってしまうキャラ。ドラマや小説にもよく出てくるタイプです。
3は、ストーリーが進行してからもぎとられることが多いかもしれません。あえて別にしたのは、「身体欠如した少女」がポイントなのではなく、その「失ったパーツ」の方がメインになるから。多少フェティッシュな感じしますネ。
そして、上記にのべた2つのサイトは、4だと思います。ビっ子さん以外。身体を失うというストーリーもありますが、どちらかというと「身体欠如のために描かれたストーリー」という逆算じゃないかな?と。一枚絵イラストで描かれる場合も主にコレだと思います。

エンバーミングのヒロイン。この子は和月さんがこのシーンを描きたくて作られたキャラ、と言わんばかりに愛情注がれて(?)いる子だと思います。
5はかなり多いと思います。攻殻機動隊銃夢など、サイボーグならではの魅力あふれるキャラは多いです。男女とも、サイボーグはやっぱり夢とロマンだよネ。サイボーグではないですが、ガンスリンガーガールの少女達などは、生体パーツで作られた生き人形かもしれません。このジャンルはかなり面白いと思うところなので、今回は保留。

欄外は、「観用少女」のような完全に人間ではない何かや、人格を喪失した少女を意識して並べたのですが、精神面の話で言うと非常に複雑になりそうなので、こちらも保留。今ものすごい勢いで土壌を肥やしている「ヤンデレ」なんかも、キャラクターとして魅力的なジャンルだと思います。

  • 体を取り戻せない少女達

ちょっと4にポイントを絞ってみます。
そういえばゴス系のコスプレイヤー達も、眼帯や包帯、時には松葉杖や身体欠如の少女をテーマにしたコスプレをする人がいます。それらの人がみんな「体に欠陥があるのが好きなの?」とか「モラルがないの?」と言われると、そんなことはないですヨ。やっぱり「どう表現するべきか難しいテーマ」だと言うのはわかっていて、あえてそれを選ぶんです。自分の投影として。
 
はて、これが少年だったらどうか?と言われると、成立はするんですが、テーマとしては弱いと思います。やはり「少女」であることがポイント。なぜ架空の世界でこのような記号が描かれるのか。
これもまた分類してみます。分類ばっかだな!とか言われるとその通りですスンマセン。でもこうすると自分で考えまとめやすいのですヨ。

1、異端の象徴。私は普通じゃないですよ、特殊ですよという少女心理の証。
2、男性からみて性的な象徴としての身体欠如。
3、少女を特別な存在として捕らえている。少女像に生と性と死を描きこむ。

レイヤーの人は1でしょうネ。ちょっと例が特殊ですが、中高生の少女の中には自分の体の一部がおかしい、と思い込む子もたまにいます。それは目だったり、手だったりなんですが、「人と私は違うの!」というアイデンティティにする場合もあるのです。「リスカっぽい」キャラや「世の中を片目で見る」少女を演じる少女達は、その異端さを楽しんでいるのです。現実社会と混同してしまうとちょっとアレですけど、割り切って演じていたり、作品の中でキャラに演じてもらうのは楽しいですヨ。女性が心の状態を表現するために、絵画・イラストでこのような手法をとることは結構多いと思います。
2は言わずもがな、エロマンガの世界。体の不自由な少女や、言葉や光を失った少女、さらには白痴気味な少女まで。あと、イラストレーターのトレヴァー・ブラウンの描く少女達もそうでしょう。これは「妄想は妄想」と切り離せない場合、苦手な人が多いと思います。ふと思い出したのは、なんかの小説で、中国の少女が芋虫状態にされて目もつぶされて性奴隷にされるという話。文章だけどかなり精神的にヤラれました。奪われる性として、身体欠如・精神欠如は一つの鍵かもしれません。ただし、完全に受け取り手のエゴなので、妄想の域から脱することのない部分だと思います。って書くまでもないですネ。架空は架空。逆に今の「フェティッシュの考え方」や、ひいては「萌えの文化」を見る切り口になるかもしれません。
3はこの写真家を思い出しました。

ヤン・サウデクの「the knife」という作品。小説「猫背の王子」の表紙にもつかわれました。この人は極度の肥満体型とか拒食気味の人など、人間の「異形」をとらえる写真家だと思うんですが、「少女」もその「異形」の一つの形として表現されています。
以前「少女幻想」の話のときにもチラッと書いたのですが、「少女」という二面性・多面性を持ったテーマは、それを「すばらしい表現」とも「悪趣味」ともとれる意味で、非常にすぐれています。
つまり、少女が身体の一部を失ったときに背徳感が生まれるのは、あらかじめ仕組まれているのだと思うのです。「うわ、社会的にヤバイ!」と思ったら、そのときにはきっちり少女のワナにかかっています。
この少女達がサイボーグ化したり新しい肉体を身に着けたとき、それは受動的なアイデンティティを失い、攻撃性を持ったヒロインに変貌します。だから、物語の中で身体欠如をしたキャラは、身体欠如のままである時に魅力を持つといえます。残酷な話ではありますが。攻撃的ヒロインの魅力はまた別の時に。

  • 目立つよりも、ひっそりと。

もっとも、放送禁止にひっかかることにはかわりないので、あまり今後もメジャーな活躍を遂げるジャンルには絶対ならないでしょう、っていうかゴールデンタイムに両手両足ない少女が出てくるアニメ登場するのは想像できないなあほんと。
ただ、みんなが「心にひっかかる」と思うからこそ、このファンタジーにはあまーい香りも含まれる場合もあります。スカーフェイスでこちらをにらみつけてくる少女達などを見ていると、そこに個性が含まれていたり、読者の自己投影がえぐるようになされてきて、そういうところをファンタジーにするときに生まれる魅力は他ではなかなかないかもしれません。あくまでも表現の手法として。ゴス系の場合はあえてその「異端っぷり」を楽しむ人もいますね。
「ビっ子さん」に関してはちょっと特殊で、作者の吉田音さんが長い間愛し育んでいるキャラのようです。モデルになった方がいるようですが、今回はそれは置いておくとして、描かれたキャラそのものが多くの人に愛され続けており、力強くかつ飄々と生きているのがポイント。反対意見も多々ある中で、むしろ愛され「表現の方法論」「個性としての表現論」を切り開いてきたキャラのようですヨ。萌えを中傷や消費と見るか、その魅力にただ身を任せるかで、見方は変わってくるんだなあと思いました。ハンディの表現はいけないという事のほうが差別で、むしろ普通の特徴と一つとしてとらえられたら、という意見もあったようです。なるほど。(11月23日追記)
今後も「ひっそり」と、ファンタジー世界の中での表現技法として、身体欠如キャラが育まれることでしょう。身体の特徴だけに頼らず、また過激さだけを求めず。それらのサイボーグになれない少女達が、作品の中で様々な形で愛され生きていくのを描いていくのは、非常に魅力的だと思うのです。
ただし、その甘い香りには毒もたっぷり含まれてますけどネ。ひっそりがいいんです、ひっそり。
 
関連(11月23日・リンク追加)
ハンディ少女総合画像掲示板
表現の方法論として面白い掲示板だと思いました。苦手な人は見ないほうがいいかも。
イラスト置き場
元絵師さんのサイトを発見したので追加。うーん、「その傷口の色は〜」の文章がちょっと気になるところ。
ほっといていいのか!
ビっ子さん(続き)(事故、ハプニング)タレコミコーナー
KLEINES WERKさんコメント
安眠(あみん)ガレキのばぁー(フィギュア)
一応、様々な角度から見た「ビっ子たん」の意見交流がなされていたので掲載
今回の記事は現実と切り離した、架空の世界の記号としての話なので、コメントは控えておきます。