たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

地球儀のある部屋。

地球儀が欲しいって思ったけれど、今はこれがあれば済むのかな(明日は明日の風が吹く)

子供の頃って地球儀が欲しいって思ったけれど、今はこれがあれば済むのかな。やっぱり手で触れる地球儀ってのは意味が違うかな。

「これ」というのはGoogle earthのこと。「いらなくなっちゃうのかなぁ」と書きつつ、漠然と疑問を持っているんだろうなとこの文章を読んで感じました。違ったらすいません。ちょっとハートに来たので、自分なりに考えを書いてみます。
 
Google Earthはほんっとに最近便利ですね。拡大したら車や動物の影まで映るわ、3D化もすすめられているわ、Wikipediaや投稿写真とリンクするようになるわで、便利ツールの域を超え始めてますネ。教育に使うのはもちろん、ちょっと家の位置教えるのにも便利だし、北朝鮮のミサイル発射場も丸見えだし、と一大文化アイテムのように感じます。ほらほめすぎだって。もちろん穴はあって、田舎に行くと全然見えなかったりします。悪用もされるかもしれません。しかし十分すぎですよね、機能としては。
んじゃこれで地球儀がいらないのか、となるとそれは違うと思うんですヨ。
 
ちらっと見たいんです(たまごまごごはん)
本を買って、捲りながら読む魅力は捨てられない。(明日は明日の風が吹く)

今はデジタル化が急速に進歩し、マンガや小説もデジタルで読めます。ニュースもネットでただで見られます。でも新聞は必要なんですよ。単行本はいるんですよ。少なくとも自分は。それはやっぱり手元に置いておいてじっくり読みたい、ってのもあるし、紙を手でめくる、という触覚的な部分もあるし、それが物体としてそこにあるから自分にとっての価値を感じる、というのもあります。あげていけばきりがないくらい利点が個々の中にあるから、新聞は売れていると思うんです。もちろん情報があればよい、という考えでネットのみ利用する人もいるでしょうし、それは間違ってないと思います。
 
地球儀は、今までも「どの家庭にもあるアイテム」ではなかったと思います。それでも自分は地球儀がほしかったです。ほしくておねだりして買ってもらいました。小学生のときかなー。つるつるじゃなく、山がもりあがってるタイプだったんですよ。もうね、毎日触ってました。特にヒマラヤ。だっていい具合にぼこぼこなんだもん。そこだけ紙はがれました。あとはがれてたのはグリーンランド。なんでかしらんけど。行きたかったのかなあ。
 
子どもの頃。部屋に地球儀、天球儀、動物の模型、人形、ぬいぐるみなどがあったことは、自分にとって非常に価値のあったことだと思います。
本当のこといえば、ペットなど「本物」に接するのが一番かもしれません。上に上げたのは全部作り物です。しかし、手だけではなく目にも意識にも触れる地球儀が部屋にあるってことだけで意識はふとしたときにそちらに向かいます。
何も考えずまわしててもいいと思うんですヨ。ぶっちゃけ調べ物のために地球儀使ったことないです。カラフルな地球儀見て、なんとなくでこぼこ触ってみたり、ものすごい勢いで回転させてみたり(危ない)するだけで、無意識のうちに外国のことが身近になっていたと自分では思います。
部屋に地図を貼るのも、机の下のマットに地図を入れておくのも、やるとやらないで世界の国の感覚を知る上で大きな差が生じると思います。そういやマットの地図って今もあるのかなあ。

地球儀と天体望遠鏡って息子に買ってやりたいなぁと思っている物なんだけど、いらなくなっちゃうのかなぁ……

地球儀、欲しがる欲しがらないにかかわらず、子どもの部屋に、教室に、居間に「ある」ことは大きいでしょうネ。PC立ち上げて見るGoogle Earthよりずっと、世界が身近なものになると思います。
天体望遠鏡はうらやましいな!それこそリアルに本物に触れるものですもの、子どもにとっての価値は絶大だろうなー。ってか自分がほしいです。ください。うそです。