たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「マーメイドライン〜あゆみとあいか〜」に見る、百合の形。

●行ったり来たり百合姫

コミック 百合姫 2007年 03月号 [雑誌]
百合姫vol.7」は、表紙をみて「あれ?」と思ったんですよネ。なんだか妙に違和感が。
これ、今までの百合姫百合姉妹見てると分かるんですが、表紙がはじめて一人になったんですよ。もちろんチョコもってラブモード全開ではありますが、急に一人になった違和感は気になって仕方ない自分は百合姫中毒です。
あわせてひびき玲音先生が次回から表紙を辞退するそうで、画集の話も無しになったのか載っていません。うーん、残念。
 
さて内容はというと、マンガ全体も一時期迷走感がありましたが、今号は様々な幅を持って各作者が「百合」を考え、熟成させて描き始めたという感じです。百合好きならどこかがツボに入るんじゃないかな?なんて思いました。連載読んでいる人なら、「ストロベリーシェイク」や「初恋姉妹」の急展開は悶えること必須。これから読もうと考えている人も、読みきり作品がいずれもよいので、この号から買ってもよいと思います。
 
さて、ギャグあり笑いありプラトニックありと百合の宝庫になっている本書ですが、一つ強烈に異彩を放っている作品がありました。
それは金田一蓮十郎先生の「マーメイドライン」第3回(4回ってなってるけどたぶん3)。あまりの異彩っぷりに各地で賛否両論の渦です。つーかこれを載せた百合姫はすごい。
個人的にはこれが「百合」を考える重要なテーマだと思うので、少し感想を書いてみたいと思います。
 

●主人公は、トランスジェンダー


百合雑誌なのにいきなり男の絵。
キャラとして「男性」が出てくるのはこの雑誌でここだけです。だからインパクトも絶大、ここで「いやこれは百合じゃないだろう」という方もいらっしゃるかもしれません。それは仕方ないですよネ。いきなりヘテロカップルから物語り進むんですもの。回想シーンとはいえ男女ベッドシーンもあるし。
 
しかしこの彼、男性ではありません。いや、外側は男性なんだけど内面はまごうかたなき女性。
作中では「性同一性障害」と語られています。
性同一性障害トランスジェンダーといっても幅が余りにも広いので、「これ」と言うのは難しいと思うのですが、この作品に出てくる竜之介は、精神的に「女性」です。
彼女(あえてこの表記で)は自分の性別に違和感を持ち、それを苦痛に感じています。
それに対してヒロインのあゆみは、安易な言葉を決して吐きません。
「わかるよ」とか「外見が男性でもいいじゃない」とか言わせるのは簡単なんですよネ。しかし、あゆみは一女性としてそれを受け入れることが出来ずに苦しむわけです。
それを薄情者と見るか、かわいそうと見るかは読み手にゆだねられるわけです。とはいってもネ。女性の立場からしてみたら、付き合ってた男性がいきなり「自分女性だから別れよう」なんていわれたら、パニックにもなるものです。理解を示そうとはいっても、生半可に理解なんてできないもんだからいい加減なことはいえません。
「オカマ?」と言うのは厳しいながらも、まぎれもなく「感じ方」の一つなんですよね。
加えて「だったら自分との今までは嘘だったんじゃないか?」と感じるのもまたしかり。そのへんの微妙な心の揺れが、非常に繊細に描かれています。
…ん?全然百合じゃないじゃんって?うん、この時点ではヘテロ恋愛の描写です、紛れもなく。
 

●一人の女性として。●


再会したとき、彼女はものすごい美人になっていました。
しかし、金田一先生は「ニコイチ」でもそうなんですが、「すごいきれいな女性な男性」の描写が本当にうまいんですよ。すっごい美人なんだけど、よくよく見ると骨格とか肉付きが男性なんですよね。仕草は女性以上に女性。
その「心は女性」というキャラクターへの、作者のやさしい視線を感じられるから、とても「かわいい」んですヨ。
彼女(竜之介)は完全に心は女性なのですが、男性が好きかというと違います。

女性が好きな女性(な男性)。
トランスジェンダーでビアン、という呼び方はマンガでは珍しい気がします。案の定あゆみもパニックになります。でも竜之介の心はものすごいまっすぐで、それを歪めることも美化することもなしにまっすぐ描いているんですよネ。かっこよくは決してないです。かわいいかというと、そこまで「女装萌え!」的なかわいらしさもないです。しなしなとした動きはしているものの、骨格がしっかり描かれているので、「男性が女の子っぽい」という感じがじわじわと出ているんですよ。
このへん、あゆみの複雑な気持ちが描かれているんだろうなあと思います。彼女から見たら、純粋に「女装した男性」として映っているんでしょうネ。そのへんが、どうみても女にしか見えない女装した男性キャラとは一線を画しています。
隠しようのない女装、ってなかなかマンガで描きずらい部分だと思います。「放浪息子」のマコちゃんとかそうかも。
 

●「気持ち悪いでしょ?」●

そんな大柄な彼女が、ぼろぼろと泣くんですよ。すごい後ろめたい気持ちに苦しみながら、ぼろぼろ泣くんです。それを美化せず、第三者視点でストレートに描くもんだから、読んでいるこちら側の判断を求められるんです。
自分は、正直戸惑いました。
ここで「気持ちよくわかるわあ」とか言えるならすんなりハッピーエンドなんですが、いやあ、男女とも一旦ここで止まりますって。そういう描き方なんだもの。
そして、百合作品に多く出てくる、両刃の剣とも言えるこのセリフ。
「他の人から見たら、気持ち悪いって思うでしょ?」
そこで「そんなことないよ!」とか「普通だよ!」とかうかつに言うと両刃の剣の自分側にザックリと刃が向きます。
百合やBL作品で「普通」と言う言葉を使いすぎると、「という事は百合とかBLは『普通じゃない』と物だって言う認識があるのネ?」というひっくり返しが生じがち。
もちろん「普通」という意味の言葉を巧みに用い、うまく描いているマンガが多いから「百合」作品が面白いわけですが。ただ、回避の手段として何の気なしに使うと、時には冷酷な刃になりえます。
青い花」でも「気持ち悪いなんて思わないで」という悲痛な叫びが描かれていますが、それに対するあーちゃんの「あたしの頭がシンプルすぎるのでしょうか」というマイペース思考は、当事者のふみちゃんや読者を余りにもほっとさせました。あーちゃんみたいな友人がいればいいのに!ってほんと思うよ!
 
さて、このどう乗り切ればいいか分からない超難問なセリフに対して、あゆみはどう答えたかと言うと。
それは読んでみてください。
この一言で「あ、このマンガは『百合』のテーマに迫ろうとしたんだ」と自分は感じました。
「いやいや、それはないよ」とおっしゃる方も多いと思います。作者がそのハザマを狙っているので、賛否両論分かれて当たり前だろうなと思います。でもそこに「読者それぞれの視点」がはいるのが、グッと心にはいりこんでくる要因だと思います。どのような形であれ。
 

●そして二人は●

この作品、今後の「百合姫」がどう進むかの一つの指針であったように思えます。と言うのも、この「マーメイドライン」の締めくくり方がしっかりとしていて、それでいて読者の望むものだったから。
以前「自分の中の百合の定義ってなんだろう」と考えていたときに「女性としての性質を持っている人同士の情の持ち方」という感じで書きました。だから自分は、「トランスジェンダー」という形で提示されたこの二人の恋愛に、非常に惹かれました。
そして、それを見守る金田一先生の視線は非常に客観的で、それでいてあったかいんですよね。だから安心して読めます。安心できるんだけど、それでいて「ファンタジー」ではない現実を鋭く見ている。それらを全てひっくるめて、やさしく受け止める姿勢に拍手を贈りたいのです。
現在ヤングガンガンで金田一先生が連載している「ニコイチ」は、女装せざるを得なかった男性の悲哀を描いた作品ですが、あちらも男性の心理と女性の心理を巧みについています。最近ばれたらしいですが、まだ二巻までしか読んでません。ああああ、続きが気になる!けど言ったらだめですよ!
「ゴルカム」で山田さんが「ニコイチはばれてからが本当の物語です」と言っていたのが印象的でした。うおお、どうなっているんだろう。あのマンガ1巻2巻と寸止めしすぎなんじゃ!ニコイチ大好き。
一部ビアンというよりは百合的な関係も描かれているのですが、その情のからみあいの繊細さが見事としか言いようがないんですよ。まるで薄氷が張ったばかりの湖をそーっと渡っているかのような。くしゃみしたら全部割れそうな。
男性でもそのへんを巧みに描写する作家さんはいると思いますが、志村貴子先生やタカハシマコ先生などのような、女性の描く性の感覚は、とーっても貴重な気がするのです。そしてそういうのが読みたいんだヨ!
百合姫で金田一先生は続投するようなので、次回に楽しみが増えました。どんな変化球でくるのやら。
 
〜関連記事〜
百合作品の本質
百合ってどっからどこまで?
百合の定義とか「ここからここまで」と言うのは個々が感じればいいものなのですが、そのへんの価値観に訴えてくるマンガや小説は、人生そのものの価値観にも訴えかけてくると思いました。ああ大袈裟ですねえ。
 
〜関連リンク〜
女の子ばっか被害者かよ(負け組日記)(再掲)