たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

踏み込んだオタクが見えるものと、見失うもの。

いやね。
自分もいろいろ、好きな作品の感想とかを書くのが日々楽しくて仕方ないのですが、書きながら自分で掘った穴に落ちてしまうことが最近多々あります。穴というか、ぬかるみといいますか。
たとえば昨日のプリキュアの記事ですが、自分で思ったとおりに書いた後に、他のいろいろな感想ページを見ていると…ものっそい不安になるんですよ。自分びびりなので。監督や演出がだれだれだからどうのこうのとか、番組とおもちゃのタイアップがアレアレだからああだこうだとか。すっごい裏の裏まで詳しい人が多いわけですよ。
そのへんまったく知識なしに「緑と青は百合!」とかしか書いてないわけです。自分よりも何十倍も詳しい人は星の数ほど多いわけで、ふと「そういうこと知らないで感想書いちゃって…いいのだろうか…」と逃げ腰になることもしばしば。しかも書いた後に。でも書いてしまうのはもうサガです。
 
ディープにすべての知識を身につけていたほうがオタクは楽しめるのかな?いやいや待てよ、表面だけでもさらっと楽しめるほうがオタク的には広く浅く楽しめるかな?とか戸惑うことがあります。自分が両方のハザマで揺れるので、自分の意見が見つからなくなることもあるんですよネ。
いや、これに関しては自分だけでなく、オタク生活している人なら一度は戸惑うことの多い「分岐点」かな?なんて思いました。
「楽しければいい」が大前提ですが、「さらに楽しみたい」と、貪欲になるのも抑えきれないものです。
 

●ディープ層とライト層の、見えないカベ●

ライト腐女子層とディープ腐女子層の埋められない溝(Hopeless Homeless)萌えプレより)
女性オタクについて語られていますが、これは男性にもあることだと思うのでちょっと「オタク全体」として考えて見ます。
まず、顕著に出そうだなと感じたのが、コレ。

ライト
・基本的に作品を批判的に見ないで、全肯定する

ディープ
・物語世界や作品を批判的に見る。見たくなくても批判的に見てしまい、愛憎の振幅がすさまじいことに

この視点の寄り方のまとめ方は本当にうまいなあと思いました。あるある。ライトかどうかというよりは、オタクの人の個性、に近いかもしれませんネ。
たとえば、とある少年マンガにとても「らしい」ヒーローが登場して「らしい」戦いをするとします。それを見ていわゆるライト層は「かっこいいのがきたよ!」「やったぜ爽快感、明日はホームランだ!」と楽しむことができます。
しかしそれを見て「このキャラは某○○に似ているよねえ」「この作者は昔○○に傾倒してたからその影響?」「こういうの現れると今後こっちのマイナーキャラとつぶしあいになってよくないんじゃないかな」なんて言いがち。まあ、言いがちって自分のことなんですけどね。
小説はもとより、マンガはさらにペースが速くコロコロ変わることが多い(特に週刊)ので、予想通りの展開になることもあれば、予想外すぎる展開になることも、あっという間におきます。それを一喜一憂するのがオタクの喜び!ではあるんですが、「やったー!すげー!」派からしたらウンチク派の批判でへこむこともあるでしょうし、ウンチク派からしたら「やったー!すげー!」派が作品を軽く見ているようでさみしく見えるかもしれません。
リンク先の話を読んでいると、そもそも女性ディープオタクは作品終了後からがスタートラインのようで、もしかしたらまったくかみ合うことすらないのかもしれません。それでも事故のようにぶつかってしまった場合も、不幸にもある、んですよネ。
 

●ホリススム。●

どこからどこまでがディープ、なんていうラインはないのですが、個々の価値観で「ここからは一線を越える」というのはあるのではないかと思います。自分が「ファン→オタク」になるんじゃないかな?と思ってる一線はここ、ってのを書いてみます。多分全然違う人のほうが多いと思いますが、参考に。

・見聞きしている作品に対してなんらかの自分の意見を考える。
・作者や関連作品についてしらべる。
・出てくる用語や世界観のウンチクをしらべる。
・構図や文章の書き方や手法について考える。
・出てくるキャラを頭の中で思い描き、行動や言葉を予想して楽しむ。
・これはOKこれはアウトと、自分の中でのランク付けをする。
・うかつに「萌え」とか言わないようにするようになる。

たとえば自分でいうと、百合作品などに関してはすべて当てはまるので、自分でも「オタだなあ」と納得してます。一方ギターや洋楽なんかは好きなのは間違いないけど、そこまでこだわってどうこうせずつまみ食いしかしてないので「ファンだけど詳しくないよ」と言います。どっちも好きだけど、味わう程度なのか、骨の髄まですすろうとするか。
とはいえ、このたまごまご基準、おそらくオタクじゃない普通の人からしたら「いや、そうじゃなくても十分オタだよ」と言われそうな気もするんですよね。
好きなもののランクづけをすることは意味ないのですが、「これは明らかに自分は好きだと思うんだ!」というものを持っている人、それが掘り進む「オタク」の第一歩。
…なんですが、んじゃ深く掘ったらえらいのか?というと全然そういうわけではないのもまた事実。なぜ地層深く掘り進むかというと、それはまぎれもなく「好きで掘りたいから」以外の何物でもありません。それが快感の人もいれば、苦痛の人もいます。いやいや、Mとかじゃないんですって。オタクのいう「修行」ってやつです。
あ、ここで書いてる「修行」は技術的なものではなくて、楽しむための知識のことです。技術はどんなものでも深く磨けば磨くほど尊敬に値する!と声を高らかに言いたいデス。
 

●別に、さげすんでいるわけでは決してないのだけれども。●

「今日の早川さん」富士見さんの受難(その2)(coco's bloblog)
左が純文学好きの岩波さん、右がラノベ好きの富士見さん。いやはや、あまりにもありそうな光景で笑ってしまいましたが、ふと自分が「言っている立場」なのではないか、自分が「言われている立場」なのではないかと思ったとき、ぞわぞわっと背中をありんこが歩いている気持ちになります。
どんな社会でもそうなのですが、特にラノベはそういう風当たり強いのかなあ、と感じたのがこちらのスレ。
【悩み】才能あふれる若手作家ら、”キモオタ向け「ライトノベル」”に流出・・・・(2ch)
題名がやけに攻撃的なのですが、個人的には下の意見に深く同意です。

107 :番組の途中ですが名無しです :2007/02/03(土) 16:12:16
文学もラノベも所詮娯楽なのに上下付けたがる奴が必ず湧く
本読んでる奴程境界を設けない物なんだが

楽しみに貴賎はない。というか、よい作品は「よい」ですヨね。本が好きな人はラノベも純文学もマンガも読みます。
 
はて、では先ほどの岩波さんや、ラノベ批判をしている人が「悪意で攻撃しているか」というと、100%そうではない、とも思うんですヨ。
先ほども書いたように、さまざまなジャンル全てかじって掘り進む、ものすごいパワーあふれる人もいっぱいいるわけです。読まないで文句を言うよりははるかにステキ。ですがその上で、批判をする人もいるし、価値観が合わないことも大いにありえます。
そうすると。修行を積んだディープオタさんの基準と目線って。
上がっちゃうんですよ。
そりゃあもう一般人の手の届かない不思議なところが「普通」になります。
 
「あ、このアニメ面白いよね設定深くてその割りにエンタテイメント要素多いし。じっくり何度見ても面白いし、さらっとテレビつけて見るアニメ初心者たちにも楽しいよね。ほら、このキャラとか『萌え』とか言われそうだよね。あ、でもボクは『萌え』じゃなくてこのキャラの心理設定が好きなんだよ。あんまり知らないかもしれないけどこれは5部作目で、1部作から見てると分かるって言うか。んで話がさ、すごいアクション活劇っぽいけど、これは実は古典の作品にオマージュされているもので、そっちを読まないと真意は分からないよね。読むといいかもしれないけど、読まなくても十分面白いから初心者向けだと思うよ?もちろんボクは全部読破しておいたから、分からないことあったら聞いてみて。そうそう、ボクはあんまり知らないけどこのキャラの『萌え』同人とか出てるの?そういう人の気持ち知りたいから読んでみたいな。」
 
…とか言われたら「いや、そういうのはまあ知ってるんだけど…」という言葉をぐっ!とのどの奥で飲み込みつつ、「あはは、自分初心者だからねー。○○ちゃん萌えっすヨwww」とか言って場を流すのが安全策、なんていう受け流しモードになりがち。
例は極端だとは思いますが、悪意はない、んですよね、たいてい。
むしろ「楽しいものを共有したい」「好きな話をしたい」「こんなに楽しいものがあるから教えてあげたい」という、親切心モードだったりします。
ああ、なんと悲しい交通事故。価値観と掘り進んだ地層の深さが違うだけで、同じく「好き」なのには変わりないのに。
 
ところでこれって、ツンデレ
  

●高いところに上ったときに見えずらくなるもの●

オタク歴が長くなりディープに知識が深まると、ぐーっと視野が広がるという最高の楽しさが待っています。知らなかったものを知る楽しさ、作品などにこめられた思想を知るのは本当に楽しい!だからオタクやってます。
しかし、それは情報量がものすごく増えることで、一気に自分の中での「作品を見るハードルをあげる」ことにもなる諸刃の剣。
「うわー!このアニメの動きすげー!」と楽しめたものも、あらゆるアニメを見尽くすことで「あ、すごいけどあのアニメの動きにはかなわないよなあ」とか「この作画監督、あっちの作品の方が味があったかもしれないなあ」とか考え始めちゃいます。
おいしいものをたくさん食べると、生半可な味では満足できないという、ちょー贅沢な悩み。
ふと、オタクでもなんでもない人たちが「あのマンガおもしろいよね!」とか話している集団の輪の中で「いやっ、それも面白いけどこっちを先に読んでからじゃないと…!」みたいなセリフがのどまで出掛かっているのを、空気を読んでぐっとこらえて「あ、ああ、うん、すげー面白いね!」と言ったときの歯がゆさ。ああっ!そしてそれを「すげー」とかありきたりな言葉で言ってしまった自分への後悔!
そしてそのへんをぐだぐだとブログに書く自分!
情けなや、まだ某げんしけん斑目のような覚悟が自分には完了されていないようです。
と、同時に、純粋に作品を楽しんでいる人たちの姿を見ると、同じジャンルを深読みしすぎたり、エロ妄想めぐらせる自分は「遠いところに来てしまったのだなあ」とエロリマンガ家鬼束直先生のようなセリフを吐いてしまったりもするのです。知らない人は「Life is Peachy?」を読むといいと思うよ。
子供の時のときめきを、常に持ち続けるのは大人になってからは難しいというもの。
だって、いろいろ知っちゃったんだもん。
「ディープ」オタクは大人になってからのときめきも、掘り進む時に失って「はっ!」となることが多い生き方な場合も、あるんだナ。

あぁそうさ!
一度掘り進んだ人にしか見えない世界もあるけれど、そうでない人との間にできてしまった視点の差はどうにもならないときもあります。
それでもぼくらは掘り進む。
 

●感動が欲しいから掘り進むんだ●

“マンガダイバー”たちの宴(マンガがあればいーのだ。)
以前も紹介した、大好きな記事です。
ここで「間接パンツ」について語る紳士は、間違いなくディープなダイバー。深く深く掘り進んだ人だと思います。
が、先ほどのリンクで言われていたディープ層に比べてダイレクトに胸にくるのは、「ピュアなときめきを決して忘れていない」こと。うわあ、ときめきだって。自分で言ってて恥ずかしいですねこのセリフ。
子供の時に感じた「スゲー!」という「ときめき」は、色々知っちゃったからといって、プライドが高まり視野が広がったからといって、必ずしも見失うものじゃないってことです。もー、だからこの話大好き。
掘り進むオタクは「楽しい」から掘り進みます。「感動」したから掘り進みます。時々掘り進むうちにアラが見えたり穴にはまったり鬱ゾーンに突入することも、一度は経験するけれど、それでも「好きでたまらない」からどんどん掘り進む。
どこでストップするかはその人個人の問題ですし、その人が一番落ち着ける楽しい場所を見つけられたらこんなにすばらしいことはないです。気がつけば、オタク趣味はスポーツのように「感動」を求めてさらなる高みに登ることも。その位置からしか見えない感動も、またあったりします。
その場所が欲しくて、掘って掘って掘りまくるんだナ。
 
そんなわけで、今日もマンガを読んだりマンガを読んだりマンガを読んだりするのです。
ただ欲してやまないのは、その感動を伝える言葉と、共有できる場所。ライトとかディープじゃなくて一緒に楽しめる空間。これはほんと…修行が必要なのかもしれないですネ、人間的な。
んじゃちょっくら脳内の乃梨子瞳子の世界で修行してきます。
 
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ごく一般的なエリート腐女子の履歴書カトゆー家断絶より)