たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

そして彼は、あえてマイナーな本に手を伸ばすのであった

●ついついマイナーな方選んじゃうことってありませんか?●

「なあなあ、ドラえもんの道具でどれがすき?」
「おれは、どこでもドアだな!まじほしー。」
「私はもしもボックスかなー。色々万能な感じしない?」
「んじゃたまごまごは何がすき?」
「んー、自分は…バイバインでブラックホール作って見たい。
「…は?」
「あ、いやね、バイバインって道具があってね、かけると倍に倍に増えるんだけど、それをかけた栗饅頭がブラックホールになるかならないかっていう理論が面白くてさ!」
「…ふーん」
 
エマージェンシー、エマージェンシー、オタクサブカル回路発動!
 
オタクという生き物はあることについて知識を得ると、たわいのない会話でも「マイナーなものを選んでしまう」というスキルを持っている場合が多々あります。んで、当然意味が通じるわけもないので、空気がよどんでしまうマジック。いや、マジックというか必然なんですが。
メジャーなものでもよいのに、マイナーなものを選んでしまうクセ。
格闘ゲームだと人気のないキャラを選んで悦にいる。
好きな作家は?ときかれて誰も知らないマイナー作家しかも短編だけの人とかを挙げる。
メジャーデビューした歌手の話で「でもインディーズの頃の○○がいいんだよな」と言ってしまう。

辣韮の皮」より。
 
有名文化はなんとなく避けて、マイナーを好む、それが自分であります。
いい言葉でいうと「こだわり」なのですが、悪く言うと「偏屈」な気がします。はて、自称サブカル好きにはそういう人もいるのではないかな?とか思うのですが、そうではない場合もあったりします。
 

●サブカル・オタクの入り口を分けて見る●

いわゆる「オタク文化」と呼ばれているのはたいていサブカル寄りな場合が多い、というのが今の自分の判断基準です。クラシックオタクとかはいても、クラシックはオタク文化とは言わないですしネ。
マイナーアニメ・マイナーマンガ・カルトゲーム・B級映画・アングラ文化・エロマンガ電波ソングエロゲー、などなど。

ぷれっつぇる 『なんというかサブカル系のものが好きだとしても、それは「サブカルだから好き」ではなくて「好きになったのがサブカルだった」なんだよね。だから、これは勝手に感じてるだけだけど、あそこの「サブカルだよ、好きでしょ?」って姿勢が受け付けない。ディープとかライトとかではなくてね。俺が単なるあまのじゃくなのかなぁ。』
コメント欄より)

ヴィレッジヴァンガードの話題でいただいたコメントが非常に面白く、考えさせられました。
 
大きく分けて「サブカルっぽいのを好きになっちゃったオタク」の入り口って、二つあると思いました。
1、世の中を斜めに見るのが好きで、マイナーな物を選んで楽しむ。
2、ふと見た好きなものがマイナーなジャンルで、メジャーにはなりえなかった。

 
さっきの発言でいうと、自分はどうも1寄りですネ。なんか有名なものへのアンチくさい、中2病っぽい考え方だなあほんとにもう。
しかし1のタイプの人にもメリットがあるんですよ。
マイナージャンルを漁るので、自分独自の感性を、マスコミや他の人の意見に邪魔されずにじっくり見つめることが出来ます。また、広く深く漁るので、情報量も必然的に増えます。増えればまた、他の作品への見方のバリエーションも増え、とても楽しいオタライフを迎えることも出来ます。
また、マイナー好き同士がマイナー作品を見て共感できるときの独自の連帯感はほんっとに捨てがたいものがあります。「ぼくたちだけの秘密だよ」感覚と言うか。ネット上ではそういうのがオープンにしやすいのでいいですよネ。
デメリットとしては、「いいものを素直によいと言いずらい、変な意地がわく」ことでしょうか。それがちょっと他の人にしたら鼻につくんですよね。
あと、レーダーの張りすぎで時間が足りないことも。
 
2のタイプの人の方が、実際には多いかもしれません。特にマンガ・アニメ・エロゲ・ラノベジャンルでは。
そういう人は、いい作品を素直にいいと言える感性の持ち主である場合が多いと思います。
ただ、マイナーすぎて趣味の会話ができず、涙を飲むことが多々。
いわゆる「布教」に励む人はこちらが多い気がします。1の人は布教しないで自分たちだけが知っていればいい、ってのがステータスの場合も多いですし。
好きなマンガがマイナーで絶版になる悲しみ。
好きなアニメが打ち切りになる悲しみ。
好きな歌手が売れず引退する悲しみ。
好きなエロゲーやBL作品への批評がやけにキツくてへこむ悲しみ。
手にした趣味のマイノリティーさが切なくて、孤独さゆえに我泣き濡れて2ちゃんスレと戯る。
 

●「オタク文化」という名前の「大衆文化」●

楽学生 『それこそ、市場原理に組み込む際にある部分での捏造というか、歪ませないと売れないというのもあるんでしょうね。
「オタク」が浸透した原因に、一般層にも理解しやすいようなミスリードや変換もあるのでしょうし。』
コメント欄より)

「サブカル」という言葉の範囲は人によってあまりにも違うので、「オタク文化」と変えてみます。(こっちも範囲は人それぞれですが)
マイナーなジャンルを売り出すときに、何か分かりやすさみたいのはどうしても必須。先ほどで言えば2番のタイプの場合、他の人にマイナー作品を伝えたいとき、その人の興味のあるすすめ方をしますよネ。
となると、奇をてらうようなキャッチコピー、ぱっと目に付きやすい画像、耳に残る音。
特にマスコミの影響は絶大ですよね。
たとえば。
こどものじかんというマンガを人にすすめるとします。ネット上では有名化してますが、誰もが知っているってほどではないです。なんでこれかというと自分が好きだからです。
そのときに「教師と児童の心理を深く描いた作品」と書くか、「小学生が教師を誘っちゃう!ロリエロの限界に挑戦!」と書くかで全然変わってきます。もちろん後者の方が売れます。
 
オタク文化も一部では常識チックなことが多いですが(ハレ晴レユカイはみんな知ってるとか)、メジャーかというとそうでもない。
それをいかに伝えるかと言うと、やっぱりどっか強調しないと…ってのはあるんでしょうね。
そうなってくると、「オタク文化」という塊の、大衆文化になっていきます。ある程度そうならないと、マイナー本の復刊もしないし、雑誌も売れないです。
しかし、それには大きな弊害が。もともとのファンの意識と違うとんちんかんな方向にボールを打ち上げてしまう可能性が出てきます。
そうなってくるとオタクとしてはヒジョーに複雑な気分でいっぱいに。
 

●マイナーがメジャーになると感じる複雑なキモチ●

「今日の早川さん」 過剰防衛(coco's bloblog)
1のタイプとしてはついついこういう「マイナー嗜好」に戻りがち。もちろん質が落ちてヘコむことも多いですが、メジャー化自体がなんか寂しいと言うか気に食わないというか。あるある。
2のタイプは「やった!」と喜びつつも、変に一般受け狙いすぎてると、大事に守ってきたものが荒らされたような気分でまたへこむ。
オタク心は繊細なんですよ。
 
個人的にはヴィレッジヴァンガードみたいな「マイナー・サブカルをおしゃれにたしなむ」店も好きですし、頑固に対抗しつづける店も好きです。ゴシップ雑誌も好きですし、きわめて冷静に考察する記事も好きです。
選択肢があると、好きなのを選べるから。
本当にマイナーすぎるジャンルになると、選択肢すらなくなります。仲間の理解もほとんどえられなくなります。これはしんどい。
それこそがサブカルオタクの楽しみ!と誇る戦士は、とてもタフ。
 
とりあえず、マイナーを探す楽しみはいつまでたっても無くなるものではないので、一生バランス持って続けていきたいものです。マイナー嗜好はそれはそれで楽しいものです。
 
ただ、マンガ好きとしてはなんでもかんでもアニメ化ってのも不安になるよねーどういう解釈されるかわからないしイメージと違ったらへこむしクオリティ落ちたら怖いしアニメだけみて知ったつもりの人も増えそうだしうんぬんかんぬん…
…ん?
私屋カヲル『こどものじかん』がアニメ化決定
いやっほい!(両手を挙げて。
 
〜関連記事〜
ぼくらは「サブカル欲求」のガス抜きをしてくれる書店が大好きさ。
人生で一度くらい、いい「中二病」を経験しておこう。
踏み込んだオタクが見えるものと、見失うもの。
ちょっぴり後ろめたいくらいがオタク的には心地イイ。

〜関連・参考リンク〜
大衆文化 サブカルチャー
おたくをやるには人生も一日も短すぎる
サブカル(ポりリウムの夜)
 
〜関係ないリンク〜
マックスファクトリー こどものじかん トレーディングフィギュア合成画像と解説日々の戯言より)
これはお見事。自分も色々なフィギュアでやってみたいなあ。というかこじかフィギュアコンプしたいなあ。