たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

燃える壮年の姿を「卓球社長」から見てみる。

●社長たりえる人物とは?●

この人が社長だったら面白いと思うマンガのキャラクター
自分は社長の仕事とか、どういう人こそが社長であるとよいとかはさっぱり分からない人間なのですが、両さんに任せるような博打会社はちょっと怖いですってばよさすがに。
「んじゃお前はどんな社長がすきなんだぜ?」と聞かれたら迷わず言います。
卓球社長です!
あんなにマンガで心を動かしてくれた社長はなかなかいません。あとアリア社長くらいだ!
結構古いマンガなのですが、このマンガから、にじむ年季と、一瞬を真剣勝負で生きる、燃える壮年の姿について書いてみようと思います。
 

●笑顔。●

2005年に本自体が出たそうですが、連載されていたのはなんと1997年。もう10年も前の作品になるんですね。
守備範囲があまりにも違うタイプのマンガだったので、存在すら知らなかったのですが、一部ではかなり有名だったようです。名古屋旅行中に「なんか本ないかなあ」とうろついていたときにジャケットを見てハートを刺されて即買いでした。というか、この時期にこれを平積みしていた名古屋の某書店、えらい。
卓球社長 (ビッグコミックス)
笑顔で、ラケットを振る、社長。インパクト絶大じゃないですか。
と言ってもへっぽこなおっさんはそこにはいません。笑っており、手に持っているのは小さなラケットではありますが、そこには力強い何かが間違いなく眠っています。ただ卓球をしている壮年の男性の姿にもかかわらず、この力強さをにじませるのは、作者島本和彦先生の美学です。
この社長、基本的に常に笑顔です。顔つきがそうなのかと思ったら、後半目を見開くシーンもあるので、この笑顔はあくまでも彼が信念を持って作っているものであることが分かります。
正直、ニヤニヤ笑った顔の社長やおえらいさんの出てくるマンガって、あんまりいいイメージじゃないのが多い気がするんですよね。なんか裏がありそうだなあとか、汚いことやってるんだろうなあとか、愛想笑いふりまきやがってこのヤローみたいな。
実際、このマンガに出てくる彼の社員も、そういう風に思っている人がたくさんいます。そして、社長自身それを肯定も否定もしません。ただ、彼がやることは。

あらゆる手段を使って相手が打ってくる本気の球を、

打ち返す。
ふざけてなんていません。魔球も使いません。ただ、相手が打ってくるいかなる球であろうと「打ち返す」のです。笑顔で。
そこに一点の曇りもありません。あるのは「すべてを受け入れるふところ」と、「何者にも左右されない、一瞬の真剣さ」。そして、「それを包み込む笑顔」。
壮年の笑顔は、ニヤニヤじゃない、裏のたくらみじゃない。彼はそこに、常に裸で向き合う真剣さを笑顔に持つことで、信念を保つのです。
 

時には、わざと負けるべきか、手を抜くべきか、と真剣に悩むこともあります。いかなる手を使ってでも勝たなければいけない時もあります。
しかし、壮年の彼も「あきらめ」は決してしません。「妥協」も決してしません。
本人も「なんだかわからないが」と言いつつ、ただ自分の信じたものを頼りに生きていきます。
年を経たものだけに見える、壮年の「上向き」な視界。彼の開いていないにやけた目は、きっと…自分達には見えていないものを見続けているんでしょうネ。
だから、この表紙に迫力があるんです。
 

●だから卓球をやる!●


最後のエピソード「卓球一代、昭和青雲編」は、2005年に描かれたと言うことで、実に本編から7年の時を経過して掲載された作品です。
26歳の、社長の息子であるマンガ家が出てくるのですが、彼は若さゆえにその一瞬の真剣さがまだつかめていません。ってか当たり前です。卓球の試合で保証人になるかどうかをかけるとか、三千万円の会員権の責任をかけるとか、冷静に見てもおかしい。このマンガ家同様「ちょっと待てよ、そこまでやらなくてもいいだろう卓球ダゼ?」と思うわけです。思うよねえ。
しかし。彼は語る。

分からない?悩む?間違っている?己の道はどこにあるかだと?
だから卓球をやる!
 
まあ、正直自分も壮年になったことはないですから、本当の意味の「真剣」なんて何も分からないんですよね。毎日悩み、自分の責任がわからず、ただ時をすごしてしまいます。それが悪いわけではないですもちろん。
だけど、この社長は、難しい理屈なども確かに並べますが、「それをするなら卓球をやれ、一瞬の勝負に本気をかけろ」と体で語ります。

 

●一瞬を生きる、燃える壮年●

なんで卓球か?と言われれば、そこに一瞬の真剣な勝負があるからです。考えるより先に、相手の玉を打たなければならない。そしてそこに望む人々には、その人の個性や性格がスタイルににじみ出ます。それを、全力で、裸でぶつけあうのです。特に1話の温泉卓球などは、包み隠すところのない、上下関係のない、人と人のぶつかりあいなわけです。
社長のスタイルは、攻め込むでもなくカットしまくるでもなく、相手の玉をすべて的確に返し、ひたすら待つという「受け止める」スタイル。それが彼の人生でもあるのです。彼が長い人生と社長としての真剣な生き方が、そこに反映されます。
すべて受け止めなければいけないから、逃げることは許されない。
すべて受け止めなければいけないから、全力で相手を受け入れねばならない。
笑顔の下で、その「男の本質」が、「壮年の上向きな生き方」が、ひたすらに玉を打ち返す卓球をさせるわけです!男の!内面が!
つか、落ち着け自分!
 
先ほども書きましたが、自分は壮年になっていないからその背負うものや責任や、本当の真剣さはわかりません。しかしこのマンガは、一巻という短い中に、ぎっちりと「壮年だからこそ持つ信念」が描きこまれています。実際に壮年の方がこれを読まれてどう感じるかはわかりませんが、少なくとも先ほどの26歳のマンガ家のように、海のように、波のように生きる壮年の男に圧倒されるはずです。
 
島本先生の独特な語り口調「島本弁」が背負うところも大きいのも確かです。話によるとこの社長は先生のお父さんをモデルにしたとかなんとか。また、マンガ家としてでているのが島本先生本人の投影なのかもしれません。
島本先生は、壮年になりかわって何かを語ろうとするのではなく、「壮年への畏敬の念」を持ってそれを描きました。
 
はて、毎日のように道に行き詰まり、迷う自分に「本当の卓球」はできるのかな?できないだろうなあ…。今、日々を送る壮年の方の中には、「本当の卓球」が出来る人ももしかしたらいるかもしれませんネ。卓球とあなどるなかれ、やっていることは真剣で向かいあうサムライと同じなのです。
上向きに生きる答えとかはわかりようもないのだけど、ただひたすらに「こういう壮年になりたい」と思わせるマンガです。
 
とまあ、難しい人生哲学を織り込みつつ、ただひたすらに熱い男の物語でもあるのですが、マンガとしても一つ一つコマが面白いです。さすが島本先生。

 
〜関連リンク〜
「卓球社長」の先進性(総本家漫棚通信)
島本和彦と庵野秀明が大学時代を語った対談記事(情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明)
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