たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「ロリコン」って言われるとオタクは心臓が跳ね上がるのです。

●ロリ。それは触れたら怪我をする刃。●

今日はエロマンガ雑誌の「RIN」を買ってきました。好きな作家がものっそい多いんだもんこの雑誌。関谷あさみ草野紅壱猫玄巻田佳春虎向ひゅうらに、上連雀三平だゼ!!すげえすげえ。
で、好みの漫画家が集まっている、ということで気がつけばこの雑誌えらくロリマンガ寄りでした。
こ、これは並べられない…。
こどものじかん」も「ロリコンフェニックス」も普通に本棚に並んでいます。また、エロマンガは立派な「マンガ作品」でひとつのサブカルチャーを形作っていると思います。特にロリ系作品は、町田ひらくをはじめとし関谷あさみに至るまで、描き方は特殊な文化になっていると思います。貴重な文化です。
だけど。
並べられない…。
エロが介在するのは、それに感じるか否かは別問題でまずは後ろめたさが先走ります。「それは考えすぎだろう?」という方も多いでしょうし「ああ、わかるし、見つかったらやだから買えない…」という方もいらっしゃるかと思います。
 

●「ロリ」への過剰反応、したことありませんか。●

アニオタロリコンであることを探偵社にバラされ、交際を解消された35歳男性(2ch)

「かなりのアニメマニアのようで、軽度の少女愛好志向があるらしい」と判明。
女性側がその趣味を知っていたにもかかわらず、親の希望により
「女性調査員による工作を行って2人を別れさせました」とのことだ。

まあ、この探偵と親がやったことや、二人の関係については、事情がぜんぜんわかりませんので何も書きません。
問題は「軽度の少女愛好志向」と聞いて反応するかどうか。自分はピクっとしましたよエエ。
「軽度ってどのくらいですか?」「愛好と愛好志向は違うんじゃないかな」「いや、でも少女愛好にはかわりないぞ」「作品として『こどものじかん』を読んでいる人でも知らん人から見たらそう見えるんですか?」「そりゃ、かわいい女の子は、好きでしょう。」
過敏反応ですねえ。腫れ物におっかなびっくり触る人のようです。
中にはロリコンショタコンは絶対イヤだ!」という男女はたくさんいます。仕方ないです。その人の価値観と考えだから。
またロリコンショタコンはどんな男女にもあるものでしょう?」「それも感情のひとつだと思うよ」という人も多いです。自分はこっちです。
そう、どんな人にも少年や少女にときめいたり、一瞬だけかもしれないけど性的なものを感じることは、ありうるんですよね。表に出ない潜在的なものかもしれませんし。また、単なる嗜好の問題で、「眉毛の太い子が好き」とか「背の高い男性が好き」とかと同じっちゃ同じ。むしろ心の中で求める嗜好を、心の中で追求できる力は誇るべきものです。
 
と言うのはわかっているんですよ。でも「ロリ」って言われると過敏に反応して「いや!ちが!」と言ってしまう自分は覚悟が足りません。いや、足りても、ネットではいえてもリアルでは言いずらい。
 

●ロリの定義は人それぞれ●

ロリコン」と言う言葉はもともとは自称的だった気がしますが、今はトータル的には蔑視の割合がちょっと混じっていることは否定できません。こんな言葉だから、定義のしようもないんですよねえ。もっとも定義してどうこうなるものじゃないし、その論争はもう20年…もっと?続いている問題でしょうしね。
あえていえば、こんな感じで認識をわけるとよいかな、と思いました。

1、少女がかわいいと感じること。二次元三次元ともに。ネコを好むのと似ている。
2、少女キャラクターに性的なものを感じる。主に二次元。脳内でたしなむのが紳士協定。
3、現実の少女にも性的なものを感じる。かといって大人に興味がないわけではなく、普通に結婚している人も多い。
4、現実の少女しか愛せない。

1、2で言えば自分も立派なロリコンであります。ついでにこのレベルでいうとショタコンでもあります。ただ、「ロボがすき」「このキャラがすき」と言うのに通じているだけな気もしますが、世間的にはどう見えるのでしょうか。普通に会話していてちっちゃい女の子キャラが好き、みたいな話が出てきたら「お前ロリコンだろー」くらいの使い方でしょうね。オタクはロリコンが多い、っていう誤解が生まれやすいのは、ここと4とを混同するからでしょうか。
3はちょっとハードルがあがりますが、これも男性なら潜在的に多くの人が持っている気がします。全員ではないですが。その理由は…ないです。なんとなくそう思ったからです。どうでしょうね?
4の人が、文章として書かれるときの「ロリコン」なのでしょう。それを特殊というか普通のことと言うかは個々の価値観なので、答えなんてないと思いますが、その報われなさと純粋さは時として苦悩や悲しみを与えることもあります。
僕達(ロリコン)は、人間だ。(埃blog)
ロリコンマンガ雑誌の裏表紙の話。LOはストレートなロリコンマンガ雑誌で結構面白いですヨ。ロリコンマンガ文化として見ても。
本当にごくマレに犯罪が起きることがあり、それが「群れる」ことによって生じやすい、世界の価値観を自分の価値観に置き換えてしまいやすい、と言うのを一番知っているのはロリコンの人たち。決して病気でも悪いことでもないけれども、この言葉には悲哀が含まれていて、ちょっとグッときます。
どう捕らえるかは人それぞれです。しかし自分は、バカがつくくらい純粋で、まじめで、まっすぐで、そして自分を見つめている人が「ロリコン」なんだろうなと思うのです。前向きなロリコンも、多いよね。
 

●でも、言われると、逃げたくなる。●

とはいえ、そこまで思っていても反射的に否定してしまう自分。ネット上では「ロリコンだぜはっはー」とは言えるものの、なんでしょうこの湧き上がる後ろめたさ。
世の中が全員ロリコンショタコンになるなんて絶対にありえないです。また、ロリコンが優遇されていく世界もありえないでしょう。二次元も三次元も。あ、少女写真や絵のような芸術方面の少女性がメインカルチャーになることはありえますが。
二次元ロリは永遠にサブカルチャーで、だからこそよい気もします。本物の少女に対しては、ルイス・キャロルの魂を継ぎつつ、永遠の悩みと憧れを持ちながら戦い続けることでしょう。
二次元限定の話ですが、「後ろめたさがあるから憧れとして手の届かない位置に少女が描かれ、その存在を刻んでいく」のかな、と思いました。また、逆ベクトルで「男性に都合のよい女性像」として消費されていくこともあるかもしれません。小説、マンガではそこに「少女性」としての人格が刻まれ、魅力的な人物像を生んでいきますし。
そして、それがオタ文化の一旦を形作っているのも、決して恥ずかしいことではなくむしろ「純粋な思い」だと思うのです。別に今の社会だからこその、社会的病理、ではないですよネ。
ただし、手を出してしまったら、病理。そこにある「人間の人格」を尊重するか否かが、間違ったロリコンと、ロリータ愛好者の違いなのかなと思いました。
 
「後ろめたさが少女愛好を昇華して文化にする」、なんて持論は極論なんですが、割と言い訳交じりの本心だったりします。そういう純粋な作品が見たいわけですよ。あとは、誤解やレッテル張りの衝突を繰り返しながら、リミッターと理性が人間らしさを逆に生む、と信じたいところです。コソコソとね。
とはいえやはり、どう考えてもポルノよりもエロいU15アイドル侵攻を見ると、心が痛むのはもう大人になったからでしょうか。誰かが傷ついたりして過激化するのだけは避けたいところ…といいたいけど、出ている子供たちもどんな気持ちなのかわからないしなあ。大人の側のモラルのラインが見えず、なんとも複雑。親が一番問題なんでしょうけれど。
コレだけはいえる、というのは二次元ロリと三次元ロリには深い溝がありますよ、ってことくらい。受け取る側の問題は解決策がどうこうなるものではなく、個々のものでしかないと思いました。
そして今日も町田ひらく先生のマンガを読みながら、鬱気分を楽しむのであります。
 
二次元ロリの少女たちって、少女の形をした何かですよね。
 
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