たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「わたしはあい」に見る、ロボットと人間と、権利のハザマ。

●ロボットなのに人権とはこれいかに●

ロボットにも人権? 「早すぎる」と専門家が反論
2ちゃんでの反応(痛いニュース)
これはまた、興味をそそられる話題じゃあないですか。釣られて見ます。

英国の科学者が、増えつつあるロボットの利用に関する公開議論を求めている。その一方で専門家は4月24日、知能を持つ機械に人権を与えるよう求める声が出てくるかもしれないとする政府委託による報告書を批判した。
(中略)
「機械が意思を持つという考えはおとぎ話のようだ」とシェフィールド大学のコンピュータサイエンス教授ノエル・シャーキー氏は語る。「ロボットの権利を今論じるのはまだ早い」

手塚治虫が描いたようなSFの話が、現実のものとして会話されていること事態が面白いですよね。もっとも、誰が見ても答えは「ないない」というオチもついているわけです。そりゃまあね、世界で人権問題語るとしたら、ロボットの問題以前のところにあるでしょうしね。
しかし、このような危惧感が実際に0.1mgでもある、ということそのものが、今の社会の人間の不安感を予表していますよね。また、それにピクリと反応してしまう自分が存在してしまう、そのこと自体も。
 
SFの世界ではもうはるか昔から出ているこの議論。1920年にカレル・チャペックが「労働」をあらわす言葉を用いて名づけた作品「ロボット(R.U.R)」ではその人造人形たちが反乱を起こしています。もう100年近くこの話題は続いているんだなあー。
連想して思い出すのは、アイザック・アジモフ「われはロボット」のなかにあるロボット三原則…って、wikipediaのこの項目削除されそう。未見で参考にしておきたい方はゼヒ。
アニメですが、「ロボットカーニバル」がかなり様々な角度からロボットを描いており、SFとして非常に面白いと思います。アニメとしても職人芸の詰め合わせなので、ロボット好きなら見てほしい作品の一つ。あと、「迷宮物語」の「工事中止命令」なんか、まさにどんぴしゃな感じ。「イノセンス」にでてきたハダリーなんかもそうですね。
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SF、とはいえ、今まで歴史のSFの中で描かれてきたテーマは現代社会の風刺だったりしますし、今回のこの話もただ笑って済ませられない何かが、心の奥でもぞもぞ動くじゃないですか。
 

●身近な隣人、として?●

「ロボット」が人間のような作業をする機械全般、「アンドロイド」が人間型のロボット、というくくりでしょうか。SF小説・マンガに見られる知能(AI)を持った人型機械はアンドロイド、でしょうかネ。ガンダムくらいでかくなっちゃうとまた別になりそう。ドラえもんはアンドロイド?
はて、SF小説の方は詳しくないですが、アンドロイドネタはかなり多いのでしょうね。そして映画・マンガ・アニメ・ゲーム全般にも非常にアンドロイドは多く登場します。
人のそばにいるアンドロイド、といえば「ToHeartのマルチ」。あと「ぼくのマリー」はかなり自分の心の中のアンドロイド像を美化しました。「究極超人あ〜る」も、ただその空気に溶け込んでいるあ〜るの姿になぜか感激したものです。最近では「ユリア100式」「まほろまてぃっく」「カラクリオデット」など…ユリアはちょっと微妙だなあ。あと「ペルソナ3」のアイギス
女性型のアンドロイドについてはすごく興味があるので、もう少し色々考えてみたいところですが、今回は個人的に「ロボット」の存在の解答を描いた作品の一つだと思っている外薗昌也先生のわたしはあいについて書いておこうと思います。
 

●「理想の少女」は、プログラムじゃだめなんだ。●


この作品、1巻だけ見ると「萌えをつきつめようぜ」的な展開なので、外薗昌也先生を知っている人だったら「なんだってー!」とびっくりしたことでしょう。外薗先生は「犬神」「エマージング」「琉伽といた夏」など、割と風刺的でグロテスクの匂いのする作風が得意な作家。それが「萌え」ですか!?
と思ったら、2巻ではAI工学研究のSFに、そして3巻ではSFパニックホラーへと変化していきました。さ、さすが…。スピーディーにストーンと落としてくれます。
実際、この理想少女の「亜衣」は、確かにかわいいんだけど妙に異形のにおいをぷんぷん放ってるんですよね。おそらく目の描き方のせいだと思いますが。

「萌え」を描かせたらピカイチの天才、紺野くんが理想の少女を作るところから物語は始まります。
ギャルゲー、メイド喫茶、そしてロボット。いずれも形式は異なれど、「理想の少女に恋をする」疑似体験がなければ、本当にすばらしいものは作れません。しかし、逆に言えばそこに対して純なる思いをこめれば、なんらかの理想形を作ることが出来るんですよね、それらは。人間側からの、人間ではない偶像へのアプローチです。
「んじゃ、全部プログラムにして、思ったとおりに動かせばいいじゃない。」
いやいや、それは違う、違うよ。
あくまでも「ロボット」ならそれが理想です。しかし、アンドロイドは思い通りのあやつり人形じゃあだめなんですよ。ましてや、少女です。「少女性」と言えば、かわいくて愛らしくて…それでいて裏切らないといけない、っていう人間の本能的な感覚は確かにあります。

完璧にこなす少女は見たくない。少し失敗するくらいがちょうどいい。
いやー、わかる、それわかりますよ。そしてわかる自分に激しい自己嫌悪です。
「不完全なものに惹かれる」と言うのは非常に言いえて妙です。結局、「理想」であるから高い位置に完璧な形で存在していてほしいんだけど、同時にそれに劣ってしまう自分達が怖いんですよ。だから失敗したりかわいい仕草を見せる「余計さ」が、人間から見た「愛らしさ」の根っこになっていくという理論。
このへん、「萌え」をテーマにしていますが、非常にSFです。
 

●自ら選択するAI。●

はて、ドジも「プログラムされたドジ」では、だめなんですよね。適切なときに、適切なドジをしてくれないと。…なんだかおかしな話ですが。

人間の犯すドジ→もともと完璧ではない人間が偶然に犯すもの。
ロボットの犯すドジ→完璧なロボットが、意図的なタイミングで周囲の雰囲気に合わせて発動するもの。

余計なことをするためには、その分余計さを足していかないと、人間らしいAIにはなりえない。人間の声がコンピューター音声と違って美しく聞こえるのは、その不完全なゆらぎのため、なんてのを聞いたことがありますが、ロボットのAIの抱えているカベも、同じなのかもしれません。
余計さをナチュラルに行わせるには、これまた「完璧な余計さ」が必要になってきます…ああ、頭が痛くなってきました。どこまで完璧にしたら「余計なことをする自然な知能」ができるんでしょう。

当然、ウィルスには滅法弱いです。人間の体は免疫機能があるし、脳もいやなことを忘れる(と言っても消去ではないのがミソ)便利なつくりを持っています。
ロボットにそれを要求するならば、今までに蓄積したものを自分で選択して組み合わせて、最善のものを選ばないといけません。このへんAIについて詳しくないので分からないですが、基本はそうなんでしょうね。

感情を読み取って、最善の行動を選択できた亜衣。すんごいさりげないシーンですが、ロボット工学的にはとんでもないシーンだったりします。
「条件にあわせて最善の行動を選択」というのはもう実際研究されているんでしょうね。
理想の少女ロボットは、完璧にすべてを理解した上で、必要なもののみ選択し、それにあった最善の行動を余分さをもって実行する、のですか。
うーん。恋とか…ありえないよなー。ありえないよねえ。
しかし、しかしですよ。
「人間の恋だってもしかしたら、今までの経験の組み合わせが引き起こしている最善の行動」に過ぎないのかもしれないのですよ?
なんてね。
…言っていて不安になってきました。
 

●「われはロボット」「わたしはあい」●


それでも、ロボットはロボットです。人造人間として、知能を持つというカベは、最初の記事に出ていた科学者の意見のように「おとぎ話」のようなものです。人間には、なれません。今のところ。
しかし、「情報収集→選択→実行」という流れが完璧になれば、ロボットは「知能のようなもの」を持つことも出来ます。その際、命令に従うならばよいのですが、自分の存在を問われたときにパラドクスが生じます。
最善の行動、ってなに?

この題名、もし赤松健先生*1を知って使用しているのだったら面白いです。
「わたしは○○です。」
名前だけ言うのならばプログラムで簡単にできますが、自らが存在していることを情報収集し、選択したうえで言うとなると、人間でも難しいじゃあないですか。ここで、アイザック・アジモフの「われはロボット」に跳ね返ってくるんでしょうね。

「あい」は、別に人間に恨みをもって反旗を翻すことはしません。
しかし「最善の選択」を繰り返していくと、…行き着く先はなんだろう?
 

●AIと、罪悪感と。●


最善の選択をコンピューターが決める、と言うのを聞くと、エヴァンゲリオンのマギシステムを思い出します。「カスパー」「メルキオール」「バルタザール」が選択して、3つの意見の最善のものを可決していくという面白いシステムでした。
はて、「あい」も様々な情報を収集していくのですが、人間も悩んでいることをロボットが簡単に答えを出せるわけがありません。いや、逆に言えばあまりにも簡単に答えを出すことが出来すぎてしまいます。「余裕」がないんです。
「理想の少女」が導き出した人間の感情は「愛しい」と同時に「恐怖」そのものでした。
いやもうね、1巻の「萌えを作ろう」の時点から、亜衣=あいの存在がものすごい不気味でならないんです。人間として登場する高塚理子がめちゃめちゃかわいいので、決してかわいらしいキャラを描けないわけではないんですよね。あえて不気味さの残る「萌え」にしたあたり、外薗先生のセンスに脱帽。
 

人間がAIを作ることは、おとぎ話かもしれなくても、夢です。鉄腕アトムを作りたくて、AIの研究をする時代は間違いなく来ているんだろうなあと思います。
しかし、それに対しての倫理的不安感も間違いなくあるんですよネ。
自ら動く知能を人間は制御できるのか?
自分で動けるロボットに人間はなす術もないではないか?
「知能」へと挑むことは、神への冒涜なのではないか?
SFの中で描かれ、最初の記事で漠然とした不安を抱き討論されていたロボットの人権問題。実はその感情は、AIに対して人間が本能的に抱いている、恐怖と罪悪感からのものなのかもしれません。
これから研究していく前段階での心の警鐘ならば、早すぎないのかも、ですね。
 
わたしはあい」の中で描かれているテーマのひとつ「不完全」。これはキリスト教の人間像が「不完全」から始まるところとリンクしています。
はて、人間の上るバベルの塔は、どこがてっぺんなのでしょうか。
自分は答えが見つからないので、GS美神のマリアくらいがちょうどいいと思います。マリア一体ください。
 
オマケ。
監修をしていたのは瀬名秀明。瀬名先生は「うまくいかなかった」と言っていたそうですが、なかなかどうして、壮絶な話の狂いっぷりで面白いと思います。その「うまくいかない」具合がSFの面白さなのかな、なんて思いました。
 
わたしはあい(1) (モーニング KC) わたしはあい(2) (モーニング KC) わたしはあい(3)<完> (モーニング KC)
ロボット (岩波文庫) 未来のイヴ (創元ライブラリ) アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
 
〜関連記事〜
ロボットへの感情移入についてしらべてみた。
 
〜関連リンク〜
わたしはあい?意外? ファーストコンタクト?(SF航海日誌)
外薗昌也『わたしはあい』1巻 外薗昌也『わたしはあい』2巻(第弐齋藤 土踏まず日記)
ロボット法考察
はたしてドラえもんに「心」はあるのか(空気を読まない中杜カズサ)
ロボット人権宣言
鉄腕アトムの内容から。手塚治虫先生の描くこの世界観は、永遠のテーマなのかもしれませんネ。

*1:「AIがとまらない!」というAIラブコメディを描いていた。