たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「ふたなり・ア・ラ・モード」に見る、ふたなり世界のアタリマエ感覚

ふたなりマンガのチンコって異常にでかい。●


最近ふたなりの話ばっかりしていたせいか、猛烈に読みたくなってしまい買ってきました。
いやね、ふたなりマンガのチンコって異常にでかいのが多いんですよ。理由ははっきりとはわからないけれど、以前もちらっと書いたように心理的な「性のシンボル」としての意味合いがあるからかもしれません。
んで、でかすぎるのはちょっと苦手なんですよ。これはノーマルエロマンガであっても、個人的な好みの問題で。
それでいいサイズのないかなーって探していたら、この本を見つけたってワケです。いいサイズってなんだ。
パルコ長嶋先生の描くふたなりっ子も、平均的に巨大なのが多いです。だからそういうのが苦手な人にはすすめずらいです。しかし、この本の中にある精子はじめて物語」ってのがちょうど本物サイズだったので、自分は惹かれたわけです。
 
ふたなりマンガ(99%エロマンガ)は、二つのベクトルにわけられると思います。
一つ目は、ふたなりという特別な個性をもった子が出てくる」話。
二つ目は、「全員ふたなりなのが当たり前の世界」の話。
そんなに全部のふたなりマンガを網羅するほどの詳しさはあいにくないのですが、だいたいこれらが半々な感じがします。実際どうでしょうね?
以前紹介した紺野あずれ先生の「非日常的クラスメイト」は前者です。

全員ではなく、この子が特別。
んで、今回紹介するマンガは後者。
この世界のルールの狂いっぷりこそが18禁マンガの面白さの一つだと思うので、ちょっとこの作品を例に考えて見ます。
 

●ごく自然に、ふたなり。●


精子はじめて物語」より。
女の子同士のごく普通な日常会話。ほほえましいですね。
あれ?
射精の部分を「生理」に置き換えたら、まあ、まだしも。
 
この作品では、女の子に陰茎と睾丸がついているのは、当たり前のものとして描かれています。当たり前についていたら、当たり前に精通します。それについては誰も疑わないし、疑うような空気も作られません。

そして、まだなことが逆におかしいという流れ。自慰して精通を迎えるのが、この世界での「当たり前」のようです。
 
エロマンガというジャンルそのものが「リアルに描く」か「突き抜けたルールを作る」かに別れているとは思いますが、ふたなりはその時点ですでに後者です。そこで「明らかに異常」を描くのも面白いのですが、ごくごく自然体として「ふたなり世界観」が出来ているのを見るのも面白いのですよ。
このマンガと、その次に掲載されている「女の園」は、男性がいません。ふたなりの女性しかいません。これもまた「ふたなり世界観」を構築する一つのカギな気がします。
 
ふたなりが特別な個性になる作品ならば、男性の存在は認められるんですよね。以前ラブラブドキュンパックリコさんで書かれていたのを見ると、それをよしとする世界もあるのが伺えます。男性がふたなりっ子のを…というのは珍しいようですが、ふたなりっ子が男性を…というのはかなーり多いと思います。
しかし、全員ふたなりなのが当たり前の世界では男性のいる場所はありません。だっていらないもん。むしろふたなりっ子同士のイチャイチャを描くのならば、男性は邪魔になります。
ぱっと見、百合っぽい外見になるのもミソなんでしょうね。実際には百合どころか、女性の皮をかぶった男性の欲求のぶつけあいなのですが、それこそが一部の男性の性欲の根っこの部分をくすぐるわけですヨ。
 

●勃っていないふたなり


もう一つ、この作品がステキだなあと思ったのは、精通のきていない女の子が最初の時点と最後の時点で勃起していないこと。相方の髪のロングの子は最初から勃起してるんですが、最後のこのシーンではヘニャってますネ。
ふたなりマンガって、時には金属かプラスチックなんじゃないかってくらい勃ちっぱなしのが結構あります。それはやっぱり「女の子が、性欲をもてあましているんだ」という記号としても分かりやすいし、自分の性感覚と直結しやすいからだと思います。
しかし、ちゃんとヘニャることで、先ほどもかいた「ふたなり世界観」がものすごく自然になるじゃないですか。実際の男性だって普段はヘニャってるわけです。
 
ヘニャ状態が少ない理由は、やっぱり「エロマンガだから性的に興奮しているのが当たり前」ってのが一番でしょうね。そして次に「ヘニャってると見た目が男性に近づいてよろしくない」というのがある気がします。
おかしな話だと思われるかもですが、ふたなりは「限りなく男性に近い存在」だけど、「男性であってはいけない」のかなあ、と思うんです。そうなると、いかにもリアルな勃起していない状態は、ショタっぽさや男性そのものっぽさに近づいてしまいます。
エロを描く上で、そのさじ加減を間違えると急速にスピードダウンしてしまいそうなんですよね。性欲の権化としてシンボルになっているチンコが勃っていない、というのは視覚的にも読者を試すかのように挑戦的です。実際、このマンガでは睾丸もついているので、見方によっては限りなく男性向けショタに近いです。
 
そこでそれを受け入れられたならば、後に続くエロシーンや、こののほほんとしたエンディングも非常に魅力的なものに変化します。ふたなりっ子が、ふたなり世界ルールの中でほほえましい会話をしている様子や、(一応)女の子同士でやさしい距離感を保っているのは、魅力的に自分は見えました。もちろん、女の子同士がだめな人も、ふたなりな時点でだめな人もいれば、勃っていないチンコの時点でだめな人もいるので、相当ふるいにかけられる気がします。
そこで残れたら、このステキ空間に、閉じたパラダイスを見出せるわけです。かなりの密閉空間です。
 
この本、全部がふたなりではないです。あと、この作品以外は割りと巨大なチンコですし、睾丸は付いていません。だからこそすっごい特別感があるんですよ。
個人的にはこののんびりとしたふたなり世界ルールを持った空間で、普段は勃起していないふたなりっ子たちの日常生活を、もっともっと見てみたいなあ、と思いました。エロは少なめでいいので。
 
 

〜関連記事〜
「アンドロギュノス」と「ふたなり」と「女装少年」の、超えられないカベ。
 
〜関連リンク〜
地下世界/パルコ長嶋
ふたなり娘の夢は子宮で膨らみ、ペニスで解き放たれるのか(きなこ餅コミック)