たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

実は「ハレ晴レユカイ」を聞くと涙が出る。

年取ったのかなあと思いました。
いやね、おかしいなあとは思うのですが、ハルヒのEDの「ハレ晴レユカイ」を聞くと、最近じわじわ泣いちゃうのですよ。
ここしばらく聞いてなかったんですが、明日は秒ナビたまごまごラジオでNHKハルヒの二人が出るしなあ、と思って聞き直したら、なんか妙に泣けてならなかったんです。なんか、猛烈にノスタルジックな何かに襲われてしまって。
もちろんたった1年くらいでノスタルジックもくそもないですが、この歌詞のとこで毎回つい、うっ、とくる。

明日また会うとき、笑いながらハミング
うれしさを集めよう 簡単なんだよこんなの

ハルヒのこの歌の歌詞って、ただひたすらにポジティブじゃないですか。そんな歌詞を、BPMはやめの曲に乗せてポンポンと流すわけです。しかもこの部分、いったん間をおくその、ジャンプの溜めみたいなところがズルいよね。
10台の頃に、信じて疑わずひたすら「明日は笑いながらハミング」と前を見ていたそんな気持ちが、スピードに乗って気づいたらジャンプして通り過ぎてしまうのです。
もちろんそう感じていたかといわれたら、一部そう感じて信じていたものもあるし、一部ハルヒ達みたいには暮らせないんだよなという失望もありました。どっちもありつつ、漠然とよく見えないものに手を伸ばしていました。
 
ハルヒという作品については、自分もアニメの絵の動きに感激して入ったクチで原作も全部は読んでないので、ストーリーの深い部分に対する共感はあまり深くないです。しかし、そこになんだか漠然とした「うらやましさ」と「恥ずかしさ」を同時に感じるのですよ。
彼らの生活やSOS団って、すごいぬるま湯的で「うらやましい位置」です。しかし逆に性欲あふれる高校生が手に入れるにはぬるすぎるし、目的も見えずどちらかというと、中に入ったら日々よけいなこと考えてどんよりとしてしまうんだろうなあという、通り過ぎたからこそ感じる現実的な気持ちもわきあがります。
だから、あんな終わらない日常のようなぬるさに「うらやましく」あり、あれをよしとしてニコニコ明日を楽しむのが「気恥ずかしく」あります。
それら全部をひっくるめて、学生期の情熱や鬱憤が、「ハレ晴レユカイ」を聞いていると湧き上がってきてしまうのです。それを通過した自分が懐かしくて泣けるのか、喪失してしまった感覚に泣けるのか、分かりませんが。
 
今、現在進行形でそれらを経験し、楽しんでいる学生も多いんだろうな、と思うとまたなんだか胸がキュンとなる。年取ったのね自分。
最初はネタとして面白いなあと思っていたネットラジオでのNHKハルヒのゲストでしたが、そういう意味で「ハルヒをやってみよう」と思った彼女達のパワーや力強さに強烈にあこがれもあったりします。なんだか話すのが楽しみになってきました。
 
 
余談ですが、「らき☆すた」のDVD1巻の表紙でまた泣きそうになりました。

これは意表をつかれました。こういうノスタルジック路線でくるとは思わなかったです。
過ぎ去った高校時代、それが楽しいものだった人も忘れたい思い出の人もいるかもしれないけれど、アニメでそこをさりげなく刺激されると、何かに必死に手を伸ばしていた瞬間が確かにあったことを思い出すのではないでしょうか。
 
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