たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

自分の安地を作っていないか?「ネムルバカ」にみる駄サイクルの恐怖。

●ほめてくれる人の側にだけいたい症候群●

マンガが描けた!結構うまくいった!だから…身内イベントで売るかな。
バンド組んだ!新曲作った!だから…身内でライブ開くか。
小説書いた!超大作だ!だから…mixiにアップするか(友人のみ公開)。
 
創作的な作品を作ると言うのは、なかなか大きなこと。正直自分なんかは、それらを生み出そうとする人のパワーすべてを尊敬してしまうのです。作らない人より作る人。それは大原則。
しかし、時々猛烈な不安にかられることってないでしょうか。自分の仕事を第三者が見たらどう感じるんだろうか、自分の作品を批判されたらいやだなあ。
怖い!怖い!怖い!
怖いからまず友人に見せよう…友人の友人に見せよう…気のあいそうな人に見せよう…。
日々、人の目は怖いです、自分も。
趣味だとしたら、別にそんな人の目を恐れて胃を痛めてまでやる必要がないわけです。ならほめてくれる人の所にいたいと思うのは当然のこと。わざわざ地雷を踏みに行かなくてもねえ。なんせほら、僕らには便利なネットがあるじゃないか。
こうして、ほめてくれる人の側にだけいたい症候群が発動します。自分なんかはいつもそうです。
 

石黒正数「ネムルバカ」の造語、駄サイクル●

さて、コミックリュウに隔月で、「それ町」の石黒先生が描く「ネムルバカ」という作品が連載されています。特にとりえもない女子大生がのたくた暮らす日常を、石黒先生が得意な独自のテンポと視点で描く作品です。
これがなかなかビンタのように毎回強烈なので、紹介します。
一連の話は、「アーティストが、アーティストが」と知ったかぶりで話す人に辟易しているところからはじまります。そいつは「インディーズ」を何かのバンドと勘違いしているというくらいいい加減で、生理的に嫌悪感丸出しの描かれ方をしています。見てたらすっごいイライラします。
それに対して返す言葉が、痛くて痛くて。やけどするかと思った。

自称アーティストが集まって、ほめあう空間の話。ぐるぐる回って成長しない駄目サイクルなので「駄サイクル」。もちろんこれが全てに当てはまるわけではないですが、なかなか鋭いところを突いておられる。
 
先ほども書きましたが「プロじゃないから」「趣味だから」というノリで「ほめてくれる人の側にだけいたい症候群」になってしまうと、そこの居心地のよさに酔ってしまいます。酔ってしまうだけならまだいいのですが、問題はそのサイクルが永久ループになってしまうこと。だって、抜け出さなくていいんだもん、プロじゃないから。
そうすると、ナルシシズムの輪が出来てしまうというのはなかなか恐ろしい話です。これ経験している人絶対多いと思うんですよ。ある人は幼稚園児の時かもしれないし、ある人は今でも陥っているかもしれません。

何が怖いって、錯覚すること。
「ここがぬるま湯なんだ」というのを分かった上で、趣味としてやり続けるのは決して悪いことじゃないと思います。そんな人生みんな必死にならなくていいですし。ただ、それを勘違いしてしまうとヒジョーに厄介。
ライブで、同人誌即売会で、ネット上で、美術サークルで、運動部で…そんな勘違い地獄にはまってはいないだろうか??
 

●頑固になることと、信念をもつことの差ってどこだろう●

ぬるま湯安地を見つけるのは誰もがすること。むしろそれなしでのみ生きていくファイターはあんまりいない気がします。戦士だって家庭でのんびり休むのです。
しかし、時にぬるま湯の中ででも、反対意見が出ることがあります。「その歌い方へんじゃない?」「この文章わかりずらくない?」「このキャラいまいちよくわからないんだけど」。
温泉につかっているときに目の前でうるさくする客がいたらとても苛立ちますよね。それが何を言っているかわからないけど、くつろぎの時間を邪魔されたくないですし。同じように、趣味のぬるま湯につかり、自分の安地だと思っていた場所で批判を受けると非常にギョッとします。
そしてそこで、どう受け取るかが問題。それを素直に受け入れるか、自分と合わないから排除するか。
もちろんそれは前者が正解、と言いたいところですが、100%そうだというわけでもないです。たとえば子供が「やーいやーいばーかちんちん」と言ってきたら「そうか、俺はばかちんちんなのか」と受け取る必要がないのと同じで、ある程度信念を持って、多少の言動に流されないことも大事。その上で一意見として受け入れられたらベスト。
その境界線が非常に難しい…。駄サイクルにはまっていないならばうまく自分を見ることもできるのですが、いったんはまってしまうと内部でのささいな乱れや外部からの批判すらも受け入れることができなくなります。せっかくの円環、誰にも乱させるものか!と意気込んでしまうともうすっかり盲目です。
怖いね…。
そこで駄サイクルにはまっている人を笑う前に、自分を見てみよう。
自分が駄サイクルにはまっていないという自信、あるだろうか?
 

●駄サイクルにはまらないシンプルな方法●

正直、自分もしょっちゅう駄サイクルにはまってます。
だって、怖いもん。怖いんですよ、評価されるのは。ましてや趣味レベルなら。
しかし、客観的な視点がないところで成長はできません。人にもよりますが、独りよがりの成長形のようなナルシストの墓場にはまってしまったら、人を見ているようで自分しか見えなくなります。根拠のない自信が湧き上がって「信念」ではなく「思い込み」で動くことになります。
そのうち大して技術を磨いているわけでもないのにプロ以上のような気分になります。
笑えないですよねえ…自分はそうなっていないと言える自信がありません。
 
回避するのは意外とシンプル。
とりあえずこの「ネムルバカ」で表現されているところから自分なりにピックアップしてみました。

1、第三者の目のある場所に出て評価を受ける
2、客観的な視点(人から見たらどう見えるか)を常に忘れないよう心がける
3、本物を見にいったり旅に出たりする。
4、不安に溺れない。

多分まだまだありそう。
なんてことはないんですよね。ちょっとした時にこういうことを念頭においておくだけでもずいぶん変わります。
特に4。自信家になると全然ダメですが、過度に外を恐れているとぬるま湯の駄サイクルから永遠に抜け出せなくなります。

主人公の彼女は、常にドジを繰り返し思い込みが激しすぎる、決して出来た娘さんと言える子ではないのですが、意外と冷静に社会を見ています。
それは、先ほど駄サイクルの説明をしていた先輩の存在も大きいですが、同時にポジティブで笑って済ませられる精神を忘れないからです。精神力が強いのではなくて、そう心がけている、ということ。
これがものすごく大きいと思うのです。ちょっと視点を変えてみよう、と思うだけでイヤなことは案外すんなり受け入れられるし、痛烈な言葉も糧に出来ます。まあ、それでもしんどいんだけどね。主人公も「それ町」の歩鳥ほど超ポジティブなわけではなくて、傷ついたり苦しんだりイラだったりするわけです。でも視点を変えようと常に心がけられるから、冷静に歩けるキャラになっています。
 
改めて、自分は駄サイクルにはまっていないか?と問い続けます。
うん、毎日ピリピリ戦うのはムリー。たまにははまりたいー。でもどこかでそこから抜け出さないと、成長が出来ない…というのは理屈では分かっていてもなかなか見たくなかった部分。こういうのをビシリと指摘してくれるマンガがあるのは本当にありがたいですね。学ぶところ多いですし、いつでも見直せるってのが最高ですわ。
このマンガのセリフが絶対ではないですが、ふと自分を見つめなおす時のきっかけになるのではないかと思います。コミックリュウ自体ちょっと特殊な方向の雑誌なのですが、これは万人におすすめできる、というか万人に見てもらいたい視点を持ったマンガなので、是非読んでみてください。
 
それにしてもほんと耳が痛いわあ…適度にがんばろっと。
 
それでも町は廻っている 1 (ヤングキングコミックス) それでも町は廻っている 2 (ヤングキングコミックス)
それ町」はもう各地で話題の名作ですよね。でかいのか小さいのか不思議な視点と、それをさらりと日常にして描いてしまうタッチは本当にすごい。