たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

高橋しん版「トムソーヤ」で、本気で冒険したあの日を思い出す。

●どこまでも胡散臭くて安っぽい宝の地図でも●

昔、小学生の頃、近所に山がありました。
今はもう宅地開発されて、面白いくらいその面影はありません。
もう記憶も曖昧なんですが、子供の足でいける程度の距離のところに川があったんですよ。あの当時だとすげー遠かった気がするんですが、どうだったのかなあ。今となってはもう確認のしようもありません。
そこの川がもう死ぬほどきれいで、冷たかったんです。結構浅い川で、手づかみでザリガニとかヤゴとかタニシとか取れるわけですよ。
んで、自分はタニシにとても興味があったらしく、虫かごに水溜めてタニシを山ほど取ってきたものです。
何回行ったかはもう覚えてないし、多分引っ越した後すぐつぶされたんじゃないかなあとは思うんですが、小学生の自分達にとってはあの川は特別な場所でした。
あのときのタニシはすぐ死んじゃったんだけど、きっと宝物だったんだろうなあ。
 

●その真偽を確かめる旅に出るとする●

結局は思い出の中の話。昔語りにすぎないんです。どこまで真実だったかすら、もう分かりません。
ただ、あの瞬間に興奮してタニシ取っていた自分は、確かにいたんだろうなと思います。
 
高橋しん先生のトムソーヤ (ジェッツコミックス)というマンガが、その忘れかけていたツボを猛烈な勢いで押すから、参った。
題名の通り、マーク・トウェイン原作の少年冒険小説のマンガ化なのですが、舞台は日本、内容も大幅に変更が加えられた、高橋しん版リスペクト少年時代マンガになっています。
視点がまた面白くて、少年の視点ではなくて大人の女性から見た中学生男子、なんですよ。

主人公になるのは、この「ハル」という女性。
町から田舎にとある用事で戻ってきて、少年達に出会う、という流れなんですが、ここで出てくる少年たちの「バカっぽさ」が非常に気持ちいいんですよ。
きっとこれが、純粋とか必死とかだけだったら、ここまで心に残らなかったかもしれない。
本当にいい意味で「バカ」なんですよ。

このタロという少年。
何がどうバカかを言葉で説明してしまうのはもったいないので、ここでは伏せておきます。
あえて言うならば、小・中学校のときに本気で悲しいとか楽しいと思ったことが、大人になってから思い出したらすごくくだらないこと、ってあるじゃないですか。
それです。
実際に、絶対的な価値としてはすっごくくだらないことを、子供の時は夢中になってやるわけですよ。純粋なんてきれいな言葉で飾ってもしかたない。「バカ」なんです。
「バカ」でいいじゃん。
 
しかし「バカ」でいることが本当に気楽かというと、そうでもありません。
バカだからぶつかる問題もあります。
 

●世界の神ですら彼を笑う権利なんて持たないのに●

基本的に田舎で、出てくるのも少年少女ばかり。だから、タロのバカっぽさは非常に生き生きと、周囲を巻き込んで描かれていきます。
しかし、一つの事件を見てしまったがために、小さなすれ違いが生じてきます。それは、彼がバカなくらいに、子供だからでもあり、同時に彼なりの仁義でもありました。

ゲンゾーじじい、というのはいわゆる浮浪者のような人。子供にしか相手にされない人です。
彼にとっては、その人も大切な人間。だけれども周りはゲンゾーじじいと付き合っているのを「恥ずかしい」と考えます。
主人公のハルにもその思いがぼんやりと残っているのがまたいいんですよ。彼女もゲンゾーじじいを「恥ずかしい」と思った人です。
彼にとっては、ハルも、友人も、彼女も、ゲンゾーじじいも、みんな大切なんです。
 
彼はやっぱり「バカ」な少年たちと、「バカ」ゆえにケンカもします。
愚直、ってのはこういうことを言うのでしょうか。いやちがうかな、そんなことすら彼は考えませんよね。
少年たちとも、彼女とも、彼はあっという間に仲直りします。それは、全員がどこまでもバカで、みんな見るものがすべて冒険の舞台に見えているからなのです。
「おれたちはいつまでもピーターパンの気持ちを持ち続けるぜ!」
「オレたちは自由だ!」
恥ずかしいセリフでも、彼らは疑うことなくはきます。
なぜかって、彼らはそれを本気で思っているからです。
 
今思い出すと恥ずかしいセリフっていっぱいありますが、小中学生の時は、本気だったんですよね。

そして、あのとき「好きだった人」は、今の「好き」や「愛してる」とは絶対違うんだけれども、確かに「大好き」だったんだ。
こんな、真剣に「好きだ!」「すげえ!」って言えるタロを誰が笑えるでしょうか。いや、バカだから笑うのは簡単なんですよ。
だけど、自分は笑えない。笑わない。
自分の中にも、本気でその瞬間に好きだったものや信じていたものって、あるんですよね。そりゃ今は、恥ずかしいものかもしれないけれど。
ハルの視点を通して見るとき、タロは現実離れした「ピーターパン」ではなく、現実で夢へ駆け抜ける、まぎれもない「トムソーヤ」なのです。
 

●ホントにデカいダレもがミミ疑う様な夢物語でも●

あの頃の世界って、視野がすごい狭かったから、世界中の何もかもが新鮮ででかく見えるもの。それが「うそ」でも「誇張」でもなく、彼らの目から見たら世界なんですよね。

大人から見て「本物の海賊みてェ!」のセリフは、とても幼稚なものです。
第一本物の海賊なんて見たことないし、体に描いた落書きで興奮するような単純さも幼さゆえ。でも、この彼の興奮を誰がばかにできるでしょうか。
この作品のタロや少年達の最大の魅力は、どんなものも疑わず、何もかもを楽しんで生きていることなのです。
海にゴムボートで繰り出して自由と冒険の日々を得た気持ちになったり、トマトや虫の死骸でお葬式を気取ってみたり。やっていることはチャチかもしれないけれど、それは彼らにとっての真実。
ああ、この感覚。見ていると「懐かしい」を通り越して、すごく切ない気持ちになってきます。
何を見ても純粋に楽しいと思った気持ち…。失っちゃったよなあ。
いや。もしかしたら忘れたわけじゃなくて、今は「考えようとしていない」だけなのかな?
 

●夢の終わりは彼が拳を下げた時だけ●

先ほども書いたように、大人の女性ハルの視点でタロは描かれていきます。
ハルも最初はタロの言動に笑ったり距離を置いたりするのですが、次第に彼女のテンションもどんどん幼いときの「バカさ」の本当の所に近づいていくのが、高橋しん先生のやさしくも激しいタッチで描かれていきます。

高橋しん先生の絵と言動は、確かにほっとするやさしさで出来ているので心休まりますが、同時にとんでもないくらいの情熱の温度が詰まっていると自分は思うんですよ。
ハルがタロと秘密を共有したとき。みんなで海に冒険に出て遭難したとき。ハルの心に浮かんできたものは、確かにあります。
それが、漠然とした、今自分が感じている「考えようとしていないもの」の何かの扉をガツガツたたくんですよ。
 
原作の「トムソーヤの冒険」も、トムソーヤ達が見ている世界にもあると思います。
もう手に入らないかもしれない、でも確かにそのとき感じていた、世界への冒険心が、どんなおじいさんでも「トムソーヤの冒険」を読めばよみがえってくるじゃないですか。
その感覚をハルが得ているのが、この高橋しん版「トムソーヤ」の熱さです。

理屈じゃない、大人的な正しさはいらない。
ほら、だって、子供のときに興奮した世界と、今いる世界は、別に変わってないじゃないか!
実はそのときの熱く激しく興奮した感覚は、単に距離を置いて見えなくなっているだけで、やはり手を伸ばせばそこにはあるのかもしれません。
だけど、ぼくらはそこに日々手を出そうとできない。
 

●世界の神ですらそれを救う権利を欲しがるのに●

とある事件、タロや少年達との出会い、小さな冒険、信じる物へ手を伸ばす感覚。
形は全く違えども、確かにここには「トムソーヤ」の、裸足で世界を駆け回る感覚がくっきりと描かれています。
だからこそまぶしいんだけれども、だからこそすごくハルを通じて見た世界は明るすぎてよく見えません。それは一瞬の夢だったのか、子供の時の記憶だったのか、もしかしたら目をそらしているだけなのか。

正直ね。
ハルになりたいですよ。
ハルになって、子供達と同じ視線で思いっきり駆け回りたいですよ。
きっと、なれるんだと思います。でも、気が付けばそこから距離を意図的においてしまっている自分が、やっぱりいるんです。
 
この作品のラストがどうなるか、ハルは一体何を考えるのかは、ここでは書きません。
ただ、自分はそれでよかったと思い、少年時代に共有した激しい情熱と、一抹の寂しさを覚えながら本を閉じました。
繰り返し何度も読みたいけれど、きっとこれはいったん閉じて、来年の夏に読むべきだな、と思いました。
高橋しん先生の描く「少年」の姿は、決して何か別の生物ではありません。誰しもの心の中でこうありたいと欲している形なんです。
自分もそれを思って、絶対この本読んだら泣くだろうなと思ったら、泣きませんでした。珍しい!
むしろ、「すげー興奮した」。
幼い時に世界が「すごく広く見えた」時の記憶の、疑似体験がこの本には詰まっていると思うんですよ。だから、思い出したときに、たまに、この本を開けばまた冒険に出られるんだ、って。文字通りキラキラ光るように描かれた紙いっぱいのコマが、それを物語っています。
そっか。このハルがタロを見ている感覚は、大人が少年漫画を読んで泣いたり笑ったりするのともしかしたら、似ているのかもしれません。
その感覚を忘れたわけじゃないよ。その感覚は、いつも欲しているんだよ、と。
 
 トム・ソーヤの冒険 (子どものための世界文学の森 8) なつのロケット (Jets comics)
うまくまとめられなくて長くなっちゃったんですが、読んだら色々思い出したりおさえ切れなくなって、きっと誰かに語りたくなる、そんなマンガですよ。ちなみに一巻完結で、めちゃくちゃ分厚いです。2005・6年に連載していたものをすべて収録+加筆されていて一気に読めるので、お得感と充実感はかなりのものです。
同じ気持ちを感じたのが、あさりよしとおの「なつのロケット」。こちらは少年たちの夢を科学的な側面から描いた傑作。
 
〜関連リンク〜
「トムソーヤ」本日発売!(SHIN Presents! on the web. ver.4.5)
トムソーヤ携帯待ち受け画面(しんプレPICT.com!)
これはいいな!即効でコレを使いたい。
トムソーヤ(ハチ公の雑記小屋。)
トムソーヤ 高橋しん(ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む)