たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

拍手レス

コイルとプリキュアはまた後日感想もまじえつつ。
にらき☆すたの話と「オタク」についてが多めです。

オタクになっちゃうのは、グレて不良になる、という状態とほぼ同じなので、こなたは立派にグレてると思っていましたのです。少なくとも70年代〜80年代はそういう感じでした。グレたいけど、ああいうのは趣味じゃないからこっち側って感じも。グレの右翼左翼でしょうか。そしてグレっぱなしでも生きていけます。大丈夫

ああー、70年代・80年代ひいては90年代はそういう風潮も微細にあったのかもですね…。このへん世代間問題として、かなり色濃く残っているのは否定しきれないものがあると自分も思います。もう仕方ない。
今はいい時代だなあ。オタクは自称ならば悪い意味じゃなくなりましたものね(他称の場合はまだわからない)。
こなたのは個人的には「道を踏み外した」と思いたくない部分があります。彼女は楽しそうなんですよね。ひよりもそうじろうも。「楽しいことを全力でやろうよ!」というのは失いたくないなあと思います。
そして行き過ぎて、「あ、やべ、踏み外した」と思っても大丈夫。ブレたままの方が楽しいこともあります。多分。

コミックリュウおちよしひこ先生が書いてほしい。風の惑星ゼファーてかイグドラシル、廃刊するかもだけど

個人的には高橋葉介先生がこないかなあと…!廃刊しないようにみんなもコミックリュウを買おう!面白いよ。
 

カタンは真面目な話でもよく馴染む絵柄なのが何て言うか……ずるいですよね(照れ隠し)
個人的にはコタツから一歩も出ないで話が進んでいた回が心に残ってます。何故かマカロニほうれんそうを連想
させるのです。(以上、スカタンは真面目〜から書いてますのゼンザイ)

ずるいですよね、スカタン。でもそんな、「虚構」ではなく「全部楽しくする」思想は好きです。大好きです。そうありたい。
こたつから出ない回、定吉がミカンの話をする回でしょうか。あれはリカの成長の悩みといい、定吉のなにわっ子っぷりといい、すばらしいと思いました。ああいうのをギャグまじりでしっかり表現できているのが、いいですよねえ。
コタツから出ない、といえば「かみちゅ!」もすごかったのを思い出しました。別の意味で必見。
 

らき☆すた拍手●

そうじろうが一人でこなたを育てられたのにはそうじろうの妹(ゆいの母)の力によるところも
大きいんじゃないか、と思います。ゆいがしょっちゅう泉家を訪れるのも、そこらへんとの絡みかな〜なんて。

ゆい姉さんがこなた&ゆうちゃんの元に来るのは、自分も同じように感じます。あれはだらしないだけじゃないんだよなあ、って5巻のとある4コマ見て思いました。
あと、そうじろうはだらしないようで、かっちり仕事しているんですよねえ。そのへん、ただ「勝ち組」というにもわけがある、って…のが感じられないのがいいんですよネ。

恥を忍んで田舎侍、再び見参!(何
で、話題は「ここにある彼方」についてですが、僕としてはそんなに深く考察したくないというのが本音です。
もちろん他の方の考えを否定したりなどしませんが、そこまで考えなくてもいいんじゃない? と、自分に言い聞かせています。というのも、僕は物事を深く考えるとどうしても思考が邪推に向かってしまう癖がありまして・・・。
とくに「らき☆すた」に関してはね、それは絶対にしたくないのです。僕が思うに、この作品、強いて言えばは原作ですが、そんなに深いテーマは無いんですよ。
根本にあるのはひとえに「ゆるさ」だと思っています。これは僕の中で不変です。
話を戻しますか。「ここにある彼方」は原作でもかなり好きな話で、アニメでは演出も原作をさらに昇華させていて言うことなしの出来でした。そしてそうじろうの話。どんなダメ人間でオタクでも、かなたという1人の女性を愛せて、男手一つでこなたを育てたそうじろうが「(自称)勝ち組」になれたのは必然なんですよ。
同じオタクとして、娘とゲームしたりアニメ論議したり誕生日にガンプラをプレゼントできるような関係って素晴らしいと思います。すっごく羨ましい。・・・って、アニメが始まる前はこんなこと考えもしなかったなぁ・・・。この話自体「らき☆すた」で異彩を放っているというのもありますが、やはりアニメでこの作品への視野が広がったというのが大きいんだろうな。・・・閉めの言葉が見つからないのでこれにて失礼します!

らき☆すた」自体、まさかここまででかいムーブメントになるとは思ってなかったので、これだけ多彩な意見が出るというのは実はステキなことなんだろうな、と思いました。意見の反対は非難じゃなくて無関心、だと考えるならばなおのこと。
んで、それに対して深いテーマを求める心理はちょーっとわかります。特にアニメのほうがその色が濃いですし、自分も「なぜストーリーの存在しない『らき☆すた』という作品がここまでオタク文化に浸透しているんだろう?」というサブカル部分で気にかかるんですよね。
しかし、それは作品もテーマじゃなくて、あくまでも付随的なことで、マンガそのものはそこまで深いテーマはない、というのは全くその通りだと思います。あえていえば「いかに『ゆるい』ことをバランスよく描くか」がテーマなんじゃないかと。
そうじろうに関しては、先ほども書いたように「裏でしっかりやっている」のが見えないのが、いいんですよね。実際そうじろうが嫌いという人がほとんどいないのが、その点の証明なんだと思うのです。
がんばれそうじろう。

うおう!あんな中途ハンパ拍手にレス戴いたことだけでも嬉し恥ずかしだというのにソウルブラザーとは光栄な!ホントにありがとうございますー。北道マンガでいうとブラッキーとホワイティですねえ。彼らに近付けるよう、これからもちょくちょく拍手させていただきますねー。
で、そうじろうですが。かなたが幸せだったかという問いかけに対しかなたが答えてしまっている為に、家族関係の内向きさが強調されていたと思うのと、父子家庭のある意味テンプレな「お母さん居なくて淋しく〜」をあの歳まで訊いて無かったこと(おそらく一生に何度も訊くことじゃないですよね)が、そうじろうの後ろめたさやかなたの死に対してのそれまでのスタンスを表してる気がしました。
17、8であれ訊かれて「うん。ずっと淋しかったよ」と言えるわけないですし。(とはいえ「今はゆーちゃんもいるし」が暗に今までは淋しかったと言ってるようにも思えますが)
前者にしてもゆい姉さんやゆーちゃんが「かなたさん、きっと幸せだったよ」みたいに言っていれば、かなり印象が変わってたんじゃないかと。…んー、22話を否定してるわけじゃないんですが、悪口ぽくなってますね…。
パエリアやコスプレ喫茶の回並みにグッときたのは確かなんですがー…。

いえいえ、まさかあそこで北道先生出すとは…感動しました。
悪口じゃないと思いますよ。好きじゃなければそこまでしっかりと「こうだったらさらによかった!」と熱く語れないでしょうし。
個人的には、マンガでそうじろうが「愛している」と言ったときの表情が見えないのがすごいツボなんですよ。アニメのあの瞳も本当に心をうつんですが、じわじわ後からくるのはマンガのほうです。
どっちがいいとか、どれが正しいじゃなくて、個々それぞれが「あ、いいかも」って思えたらそれだけですごいことかな、なんて思いました。その瞬間が心を動かしたわけですしね。
これ読んで、ゆい姉さんあたりの「幸せだったと思うよ」のセリフはちょっと、あったらさらにいいなあというのは強く思いました。
まあ、あとは今後そうじろうがいきいきと「ロリコンでもある」のを表現してくれたらいいな!と思う次第です。

陵桜学園入学案内書は買いましたか?まだなら是非とも!

うわ、買ってないです^^;
今度探してみます。

キャラソン買いました。特にこなたがよかった!平野さんの歌もさることながら歌詞がまさに「こなた」そのものでした。畑亜貴さんGJと言わざるを得ないです。まだ未聴なら必聴ですよ。らき☆すた楽曲にネタ曲は一つもありませんね。本気の遊びが心地よいです。

らき☆すた キャラソン(1) らき☆すた キャラソン(2)
らき☆すた キャラソン(3) らき☆すた キャラソン(4)
つかさのが素で欲しいです。
「ある日のカラオケボックス」でも感じたのですが、いかに遊びに全力投球しているか、平野綾さんの演技力を無駄な方向で研ぎ澄ましているかに感嘆してしまいます。
「本気の遊び」という表現がぴったりですね。もしかしたら、オタク心が「らき☆すた」に震えるのは、このへんが原因なんじゃないだろうか?と思いました。

らきすた5巻を読んで思うのは私もオタクのタチとネコでいうなら猫の方なのでこなたのネタにはあ〜わかるわかるといった感じなのですが、ひよりのネタにはそんなもんなのかと思う程度です。
ただ一番シンクロ率高いのはつかさという事実、目覚まし時計の話は笑うよりただうなずいてました

友人もこなたは「お前は俺か」と言ってましたが、ひよりはそうでもない様子。オタクのタチとネコって面白い表現ですね、ちょっと今後使わせてくださいw
つかさ…は、実は黒い説を押したいけど、まあないですよね。うん。みかんをむいたら手が黄色〜はどうやってもネタにならないのが面白すぎる。

らき☆すたの原作読んでると無意識にニヤニヤしてしまうんですよね。ぬるま湯に浸かってるみたいな気分で(笑
でも最近、主に5巻読んでいるときですが、何故か涙が出そうなんですよ。
「ここにある彼方」は連載時のものを穴の開くほど読みまくっていたのでそれが原因ではないようです。
僕の深層心理は一体何を思っているのか・・・。今回もオチはないですスミマセン(ぇー

懐かしさ・・・でしょうか。うーん、ちょっとだけわかるんですよ。
「らき☆すた」に流れている時間を、失いたくない自分がここにいる。
アニメの話ですが、究極超人あ〜るでおなじことを感じました。このへんは、なんでしょうね。いかんとも表現しずらい。思いつき次第ジワジワかいてみたいです。