たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

世界中の物語は手に入らないかもしれないけれど。ふくやまけいこ「すてきな瞳」

明日は明日の風が吹く」さんがここしばらく一年前の話題をずっと掲載しているのですが、それに自分が1年前に書いたエントリの記憶が載っていて、自分でも忘れかけていたものが呼び覚まさせられました。多謝!
一つでも多くの物に出会いたい。
今見ると恥ずかしくなるような内容なのですが、ここに引用していたふくやまけいこ先生のマンガを発掘しました。改めて読んでみるとなんかじわじわきたので、一気に書きます。
 

「すてきな瞳」という短編集です。
ふくやまけいこ先生は現在では「コミックリュウ」などで連載しておられます。という部分ですぐわかるように、90年代徳間を代表するマンガ家でもありました。(ちなみにこの単行本は大都社
今もそのやさしい作風は成長しているのですが、初期の短編の持つ独特の時間の流れと特殊な浮遊感は、その大きな瞳の絵柄と共にたくさんのファンの心をつかんでいました。
 
自分も多分に漏れずふくやま先生の大ファンで、「東京物語」から入ったクチです。
そんな中で読んだこの短編集のとある2Pマンガが、今でもぐっと心に挟まったままです。
 

●世界中の本を読みたいけれども●

女子中高生に対して向ける視線が、限りなくやさしく、限りなくファンタジーな甘い憧れに満ちていて、同時にリアルもちょこんと載せる。そんなふくやまけいこ先生のマンガのショートケーキっぷり。
「すてきな瞳」にはそんな原点ともいえる「女の友情」というショートショートが載っています。
心につかえて今も残っているのが、このセリフ。

ちょっと、理性的な部分ではなくて、感情的な部分で、このコマと合わせてつづってみます。
 
本やマンガが好きな人は、かつてなんらかの、感動した本に出会った経験があると思います。
自分にとって、衝撃だった入り口は、小説ならミヒャエル・エンデはてしない物語」、マンガならゆうきまさみ究極超人あ〜る」でした。
色々な時間的なタイミングや、趣味嗜好の重なり合いがぴったりだったのかもしれません。
きっと「大好きになった作品」というのは多くの人にあると思います。
そして、同時に「出会えてよかった!」という感想を持つと思います。それはとても貴重なこと。
 
しかしここでおさまらない人種もいるのです。自分とか。
今この瞬間に、自分が感動するなにかを手に入れ損なっているかもしれない。
自分の知らないすごい何かが、どんどん情報の波に飲まれて見えなくなっているかもしれない。
なんてもったいないんだろう!
 
だからネットでアンテナを高くし、友人から貪るように面白い本の話題を聞きあさり、財布が軽くなっても本を買う。
「一期一会」の言葉を胸に、節約とか食費とかよりも「感動を手に入れ損ねること」へのおびえが、本を買わせるのです。そして感動し、そして「まだ、まだあるはず」と。
 

●理想論だけど。非現実的だけど。●

これだけたくさんの本が出版され、雑誌では読みきれないほどのマンガが次々流れ、見切れないほどの映画やアニメであふれている今の時代。
それは非常に幸福なこと。確かに合わない作品も同時にすごく増えるので、感動するものに出会うまでの道のりには非常にノイズがかかるのですが、それでもないよりは遥かにいいです。
しかし流れが急流すぎて、その「本当にいいもの」が手に入らないのではないかという不安は常にあります。
特にマイナーな作品や同人誌なんかは、まったもって一期一会。その瞬間に手に入れなければ、もう二度と出会えないかもしれない、感動を受け損ねてしまうかもしれない。

実際にはそれは、考えすぎな上に多少中毒的なものもあるとは思います。
それに、このマンガでも描かれているように、むりなんですよ。
手に入らない部分で絶対見逃していて損しているものは山ほどあるし、そんなもの世界中からかきあつめたらそれ読むだけで死んでしまいます。
が、そんな非現実的な部分でも「感動を見失いたくない」という激しい情熱のようなものが、ぐんぐん顔をもたげたまま体の中で暴れるんですよネ。
 
そこで、一定ラインをひいて諦めるか。
そこで、躍起になって自分のキャパシティパンパンまでがんばるか。

どちらが正しいなんていう答えはありません。
左の少女は前者を選びました。右の少女は後者を選びました。
個々が苦悩とか不安とかを抱えながら、自分が注いだ愛情を確認するわけです。
 
「後からなんとでもなるよ」「本じゃなくてもいいじゃないネットがあるよ」「かえって無駄じゃないか?」
それは分かっているけれども!
理想論ではあるけれど、やはり少しでも感動に出会いたくて、紙で出来た重みと質感を感じながら、本を手に取るんです。
 

●悔しさと理想は、必ずしも損じゃない…よね?●

世界中の本は読めない。
自分はマンガが好きだけど、きっと見逃している大事なマンガもいっぱいある。
悔しいですよ。悔しいものですよ。もしそれが手元にあればもっと興奮と感動ができるのに!
だけど、そこで「考えすぎです」と言っておしまいにできないのは、もしかしたらそんな幼くてちょっと間違った考え方に、なにかしら自分自身が惹かれているからかもしれません。
そういう考え方も、悪くはないんじゃないかな、と。
少なくとも、それで出会ったものはたくさんあるわけです。その分寝る時間やお金は費やしているけれど、決して損をしたとは思わないほど、笑ったり泣いたりしてきたんだ。そんなおかしな自信がある人は、きっと自分だけじゃないはず。
人から見たら滑稽なのは分かっているけど、もうやめられないんだなー。
オタクやビブリオマニアにとって大事なのは収集能力以上に「取捨選択する力」なんだけど、時にはこんな少女達の気持ちに自分も戻って、ただひたすらに手を伸ばしてみるのもいいかもしれないなあ、と思いました。
昔そうしてつかんだものが宝石だった時の喜び。たまには思い出してもいいかもしれない。
 
あ、ついでに蛇足オチ。
現実の最大のかべは、時間でもお金でもなくて、空間なんだよなあ…。

 アップフェルラント物語 (KCデラックス) 東京物語 (3) (ハヤカワコミック文庫) レイニー通りの虹 (ファンタジーコミックス)
ちょっと見つからなかったんですが「ゼリービーンズ」も名作。
ふくやまけいこ先生作品は、男の子が活躍する活劇っぽいものと、女の子のほわほわ世界が非常に心地よいのですが、「東京物語」は前者の代表として、今コミックリュウで連載されている「ひなぎく純真女学園」は後者の代表として好きな作品。短編集はほとんど廃版かもしれないですが、もし古本屋さんで見かけたら是非。