たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

オタク文化に眠る、完璧なる少女偶像にかしずくのだ。

えーと、仕事が混んでいるのですが、どうしてもハートに来てメモらずには寝られないので、メモ。
自分の特徴を2次元少女の特徴とすると萌える(2ch)まなめはうすより)
これは非常に面白い上に、オタク文化の二次元少女を笑いながらも鋭く突いているスレなので必見。
自虐的な自分の特徴を、「少女」に置き換えることで「萌える」という、鬼才の集まるスレです。
 
どこが痛快かって、二次元少女の記号に置き換えるだけで、そのキャラにまつわりそうな物語がすいすい容易に浮かぶこと。
話の展開の流れありきのキャラ設定を、「〜〜な少女」という表現で見事にまとめちゃってるんですよねえ。
そう。「二次元の少女」は、ある意味記号化されているけれど、同時に「コレクション」であり、「偶像」なのですよ、という極論なおはなし。
 

●「少女至上主義」のおはなし●

はて、先日友人のいずみのさんと「マンガってどんな視点から見る?」というお話をしていたのですが、話していて自分が結構男性視点で見ていることに気づかされました。
ははー。確かにあまり理論的に考えず、本能で感じたことを興奮しながら、タラちゃんがサザエさんに伝えるように話すことのほうが多いです。
ちなみに自分は1読法ではなく、3読法です。あ、このへんは別の機会に。
 
さて、そうなってくるとマンガや小説の中でのキャラクターの見方もちょっと変わってきます。特に、少女キャラへの視点は、他の男女にはない特別な存在として、すさまじいゆさぶりがかけられることになります。
以前も書いた「マリア様がみてる」の藤堂志摩子さんを例に挙げてみようと思います。

「まるで西洋人形のよう」と描かれているこのキャラクター。
他のキャラたちからも、読者からも、非常に美しい少女として描かれています。
もちろん人間的な弱さや生々しさもあるのですが、それでもかなり意図的に作られている美少女。欠点も含めて「完璧」とも言えると思っています。
一見女神じみている彼女ですが、おしとやかでしっかりしているように見えて、時々わがままをこっそり言ってみたり、また乃梨子のお姉さまとしてパーフェクトでありながら、時々甘えてみたりと、そのギャップも非常に少女らしい。
 
そんな彼女を見る視点はいろいろ。

1、乃梨子祐巳のように「きれいだなー、私にはなれないなあ」と見上げる気持ち。
2、絶対になれないからこそ、逆に共感・同化したくなる気持ち。
3、かわいいなあ、と割と客観的に、全体とのバランスの中での彼女をながめる気持ち。
4、自分のものにしてしまいたい気持ち。

 
自分は1なんですが、比較的2の人も多いようで、いわゆるドーラー、着ぐるみ愛好家の間でも、志摩子さんは人気キャラであります。そこまでいかずとも、志摩子さんみたいに「なれないからなりたい」と思う男女は結構多いのではないでしょうか。
一番多いのは、1か3だと思いますが、4の「完璧な少女だから自分の中に取り込んでしまいたい」という欲求も、またあります。
このへんは二次創作によく表れる部分だと思いますが、きれいで完璧なものだと感じるからこそ、別の形で自分の中に取り込みたい、というのはよく判る気がします。
サディスティックに聞こえるかもしれませんが、どちらかというとそれは「チョウを標本にしてコレクションする少年の憧れ」に近いんじゃないかなあと思うのです。
1が偶像だとすれば、その裏返し、かもしれません。あるいは2の同化と表裏一体かもしれません。
いずれにしても、1、2、4とどれも、この藤堂志摩子というキャラを、極めて自分達よりも高い位置にいる特殊な存在に押し上げているんですよね。*14は一見、人格を略奪して「萌え」を付与することで下げているように見えますが、実際はそれだけ完璧な少女の魅力に取り付かれて、振り回されてひざまずいているのはこちら側だったりすると思うのです。
 

絶対神、「少女」●

少女、という言葉は男女ともオタクにとって特殊な意義を持つと思います。
もちろんそれは、現実と切り離した「イメージ」の少女の話。
もちろん映画や小説でも描かれ続けてきている部分ですが、それが端的に表れやすくはぐくまれやすいオタク文化の土壌で、「少女」の語の持つイメージはどんどん上へと上り詰めていきます。
時には「萌え」の名前で蹂躙するようにも見えますが、そうしようとすればするほど「少女は特別」になっていきます。町田ひらく先生はマンガの中で少女を痛め付けますが、それは同時に少女への憧れと渇望で、自分を下に低めていく作業でもあるかなと思います。
また多くのマンガでは「少女しか出てこない」様子が描かれることもあります。これもうがった見方をすれば、少女でありたいという願いと、その記号に囲まれたネヴァーランドの羨望でもあります。
ええ、まあ。こじつけです。
が、自分は「少女」というイメージをコレクションしたい貪欲なオタであると同時に、少女教に完全に伏する一人でもある、ということでこんなことを書いてみました。
 
もうちょい具体例とか挙げながら、「少女」イメージの面白さをメモっていきたいところです。
あと、自分を下げる「謙譲型」と、少女を高める「崇拝型」でも変わってきそうですね。性的な視点やオブジェとしてのきれいさを全部今回は抜いて「イメージ」しか書いてないので、そのへんもオタクの部分で考えていくと、色々な角度がありそうで面白そう。
 
〜関連記事〜
「百合的作品」群から見た少女幻想と、ネバーランド住人たち。
少女の存在が二元的で、常に二律背反、というお話。

そんなこともチラッと書いていたのですが、やはりまだまだ書きたい自分は少女教。
「少女神」第9号 新装版 女の子は特別教
思い出したのでペタリ。「「少女神」第9号」はいわゆるヤングノベル?なんですが、かなり少女臭漂う作品じゃないかと。

*1:3は目線が比較的フラット。