たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「オタク」を見る視線、明日はどっちだ。

いやね。
自分がオタクなのは最近もう認めてオープンにすることにしてはいるのですよ。いまさら否定するまでもないなあと。
しかし、ちょっと最近環境が変わって周囲の人が、もともとの自分を知らない場所に入ることになったのですが。
い、言えない、なんか言えない。
気がつけば、またしても以前の「隠れオタ」生活を微妙にすることに相成りました。
あれー・・・なんで隠すんでしょう。
 

オタク文化を外から映す●

WEB拍手でちょっと興味をひかれるものがありました。

こんにちは。唐突ですが、テレビでオタク題材を取り上げることがまだまだ多いですね。
今週とあるジャニーズ番組を見ていたら、らきすた萌えドリルを紹介しており、スタジオに小神あきら様が来ておりました。(声だけですが)そして藤木直人に「おはラッキー☆」と言わせたり、ジャニーズに「貧乳はステータスだ」とか「ツインドリル」とか言わせていました。…何か、物凄いカオスを感じました。
こんな混沌とした世界を放送して良いのか。このオタククローズアップはいつまで続くのでしょうか。来年にはぱったりなくなるのか、このまま下火になりつつもある程度は続くのか。
宜しければたまごまごさんの予想をお聞かせ願いたいです。少し早いですが2008年予想と言うことで。

は、早いっすよ!
自分はオタとしてはたいしたことないのでロクなこと言えませんが、この話は気になります。
なんかまだお茶の間にガンダム気味なものやジャンプ気味が登場するならまだしも。「らき☆すた」が絡んだ場合、なぜか知らないけどすごくカオスな感覚に陥るというのはちょっと分かる気がします。
やっているネタの50%くらいは別に「ちびまる子ちゃん」的なものだと思いますが、残りの50%の部分の「オタ文化フィーチャー」に過敏に反応しちゃうんですよね。
それが今年一年、各地で「らき☆すたをどう見るか」でものすごく各地で論じ合われ、肌に合う合わないで興味深い論が展開されていたなあ、という記憶も。ちょうど「らき☆すた」と「オタク文化のとらえかた」がうまーく重なる部分あったんだろうなあ、と考えながら見てみるとちょっと面白い。
 
実際、確かに以前より「オタク文化」をテレビ・雑誌で取り扱うことが増えたなあという印象がある年だったと思います。もう「電車男がどうのこうの」という次元ではなくなっているとも思います。
そして、それぞれに対してある人は笑って見守ったり、ある人は憤ったりしていた年だなあとも思いました。あと二ヶ月の間にも色々ありそうです。
 

●意外とオタクのことはそんなに見ていない気がする●

まず最初に、オタクであるかどうかを二分化することができない、という所から入らないと話が混線してしまうかな?というのが最初に感じたことでした。
さっきの「らき☆すた」ネタでいうと、「過敏に反応する層」「『これしってる』という層」「全く知らずに不思議な感覚でいる層」と段階があるはず。当然境目はないですし、切り分ける必要もないと思います。
自分は「過敏に反応する層」です。多分BGMがニュースなどで使われたら「ビクッ!」って反応して、バレます。
だからきっと、先ほどおっしゃっていた番組を見たら、絶対「ビクッ!」ってなってたと思います。うわー、こえー。
 
とはいえ、実は第三者から見たらサラリと流れてしまう部分だと思うんですよ、意外と。
自分はそれが好きでアンテナ高くしようとしてしまっているので、当然のごとく過敏な反応をしてしまいますが、大して意識していない人にしてみたら、1コーナーとして「んじゃ次」という感じだと思うのです。
オタク*1をクローズアップする流れは増えれば、よい意見もおかしな意見も並行して増えるはず。それが歪んだフィルターな場合もあれば、「面白いよね」という共感のものも増えるはず。
もちろん歪んだフィルターや、型にはめたニセモノはすんごくイヤですが。ただ、いわゆるオタクじゃない人は気にとめていないんじゃないかな、ともちょっと感じました。
 
しかしあらためて書いている文を読むと、変なものです。「オタクの人」「オタクじゃない人」って、おかしな表現ですよね。
「オタクじゃない人」ってくくる必要がそもそもないんだけど、気づいたらオタクな自分こそが、そうやって見てしまっているんだなあと実感してしまいます。
これが自分の中の、オタク的な自意識過剰なんだろうなあ。隠れオタやっていると、花粉症の時の粘膜のごとく過敏になりすぎてしまいます。思春期男子が辞書でドキドキするようなレベルだと思います。
 

●面白いものは、面白い、でいいや●

オタクである、ということをアイデンティティにするつもりはなかったのですが、気がつけばそうなってしまう不思議。
だから、自分で「オタクだからー」というのは平気なのに、人から「オタクだね」と言われると妙に反応してしまう。
かといってじゃあ、オタクの市民権を認めろ!と思っているかと言うと、そうでもないんです。
 
自分には色々好きなものがあって、それに浸かるのが好き、というのは変わらず、あわせて「ほかの人の好きなものを知りたい」「こんな楽しみ方を共有していきたい」という思いが次に重なるのが自分の場合です。
テレビや雑誌でもそのへんの考えから作っていくプロデューサーさんが、今後増えていくんじゃないかな?と予想…いや希望しています。つまり、「オタ文化が好きなので表現していく」というタイプの方が。
無理に理解してもらう必要はないし、みなが知っているという知名度が必要なものでもないけど、「たまにどっぷり楽しむのも面白いよ」というのを、クローズアップというよりはオープンにしてくれる人がいるのでは、と思いたいし、そういう流れもある気がします…するんだけどな…するんじゃないかな。
来年、再来年、何年たってもきっと「価値観のあわないオタク像」は描かれ続けると思います。それは仕方ないです。だってオタクの中ですらそれぞれオタク像がバラバラなわけですし、「これがオタク」というものもない、ライン引きのある集団でもないですし。
趣味のあうところがあれば、みんなで楽しめるような視点を持ちたいなあと思うばかりです。あ、これは予想じゃなくて抱負。
 
とはいえ。
不思議なもので「オタクは特殊」っていうマンガのネタは、やっぱり面白いから困った。
自分から見ると特殊でクローズドなノリが楽しくて、他称の場合は「みんなで楽しもう」。矛盾してますが、気持ち的には矛盾でもないこのあやふやさ。これも人によるとは思いますが。
妙に閉じていて後ろめたいニヤニヤが楽しい。
みんなで共有して笑い合えるのが楽しい。
うん、どっちも楽しい。
そんなアメーバみたいな感情こそが、「オタク」と呼ばれるサブカルチャー的な文化そのものなのかもしれません。メインカルチャーじゃないですよね、やっぱり。
ようするに、自分は「うわ、またオタク特集か!」とかいいながら、やっていたらテレビつけて凝視しちゃうってことです。
あら、思うツボじゃん。
 
続き。「そこに好きなものがあれば。」
 
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*1:ここでいうオタクは基本的に、アニメ・マンガ系列のこと。