たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「俺は前からそれが面白いと思っていたんだもんね」

●マイナー嗜好回路発動中●

サブカル文化をこよなく愛するオタクな自分は、あまりメジャーなものを見ないクセがあります。
いや、一応見ます。ハリウッド系映画も見るし、ジャンプも読みます。でも全米が泣いちゃったりするとどうも避けてしまうクセがあるのです。
逆に言うと「ぼくはこんなにマイナーなものを知ってるもんね!」という幼い感情なんです。
あまり有名じゃないものを好んで見たり、インディーズを一つでも多く知ろうと躍起になったりします。
まあこれは意外とお得なことも多く、おかげでステキな掘り出し物に出会う機会が増えるのでトータルではラッキーではあります。
しかし同時に一つ、回避できないワナにはまるのです。それは、そのマイナーな作品が映像化されたりだとか、テレビで取り上げられて一躍有名になったとき。
そりゃもううれしいことこの上ないのですが、自意識過剰がたたって「メジャーだから好きになった人って見られたら悔しい」という得体の知れない思いが押し寄せます。
そして口走るのです。「ずっと前からそれは面白いと思っていたんだけどね!」
そして、言ってしまってからなんともいえない気まずさが。自分の中で押し寄せる「だからどうした」。

辣韮の皮」より。あるある。
 

●作品への愛情表現がうまく出来なくてはがゆいことがある●

別にオタクに限らずとも、そういうのは経験した人ってたまにいるんじゃないかなと思います。
一番多いのは、やっぱり音楽でしょうか。インディーズ時代から好きだった人、デビュー当時から応援し続けてきた人。それらの人にとってメジャーな曲が一発花火をあげるのはとてもうれしい反面、なんとも言えぬ物寂しさがあります。
有名になったからファンになった人と昔からのファンがごっちゃになってしまうこと。乱立するメジャーなものの中に埋もれてしまう恐れ。路線変更されてしまいそうな不安。
そしてなにより、自分がそれを今まで好きだったということが掻き消えてしまいそうな複雑な気持ち。
古くからのファンにとって、何かが急に売れていくのは、いわば子供をひとり立ちさせるような、あるいは娘を嫁に出すような、うれしさと切なさがあふれることなのかもしれません。
 
とはいえ、それに何の意味があるかと言うと、冷静に客観的に見たらたいしたことではないどころか、むしろ本当は喜ぶべきこと。むしろ自分が見ていたものが多くの人が認め始めた、時代が追いついたんじゃね?ということですよ。
そして同時に襲い来る悔しさ。
それは、自分が本当に大好きで大好きで仕方ない、敬愛する作品や作家やアーティストに対して、その気持ちをうまく表現しきれていなかったという歯がゆさでもあります。
自分の好きだった気持ちは変わらないし、人の評価に流されるようなものでも決してないはずなんだけれども、メジャー化することで逆に自分が置いていかれてしまったような隔靴掻痒な気持ち。ああ、その言葉、そのみんなが好き好き言っていることは、私がもう何年も前に言おうとして表現できなかったことなんだよ。それをあっさりやってのけるなんて悔しい悔しい!
だからつい口から「前から知っていたもんね」という言葉が出てしまいます。そして言った後に、それがその作品への正当な評価なのか、単なる自慢なのかごっちゃになってしまって、きゅんと胸が痛くなります。
言ってみれば、不器用な恋心。
 

●「前から知っていた」をむしろ誇りたい●

だけど、そこで「前から知っていた」という言葉を恥じたくないんです。
なんせ、事実ですもの。実際に長いこと、マイナーな頃から応援し続けていた気持ちはウソじゃない。
もちろんそれを、マイナー嗜好の単なる自己主張にしてしまっては意味がないんですが、自分から探し当てて大切にしてきた気持ちは変わらないんですよ。
ただ、言葉として「前から知っていたもんね」だけでは、何を大切にしてきたか分からないのも事実。好きなのはその作品?好きでいる自分が好きなの?そこが悩ましい。
 
自分もだんだん年をとって、もうマイナー嗜好だけでは発掘しきれないものがあることや、メジャーだからこそ肥えてきた作品がいっぱいあることもちょっとずつ分かり始めてきました。ひねくれハートだけじゃもったいないなあと。
そうなると後追いで、有名になってから見た作品も増えます。正直今でも、アニメ化・映画化されてから原作を読むようになると、ちょっと気恥ずかしい部分があるのは否めません。出会える機会が増えるのは何も恥ずかしいことじゃないんだけれども。
ただ、そうなると、やはりずっと昔からファンだった人には知識量ではかなわないし、どんな経緯があったのかもわかりません。
だから、教えてほしいなあ、って思うじゃないですか。分けてよその愛を。
だからこそ、自分も「前から好きだったよ!」と言った後に、機会があるならば「こんな見方も面白いよね」「こんなほかの作品も見ると楽しいよ」と、一歩だけポジティブに話ができるようになりたいのです。
これが難しいですよね。押し付けたくはないし。だけどやはり、本当に好きなものは色々な手をつくして表現したいものですし、そういう感想や批評を聞きたい。そういう話が出来て盛り上がれば本当に楽しいだろうなあ。
自慢をするのではなく、分かち合う機会がほしい。そういう意味ではネットは偉大です。
 
とはいえ、やっぱりメジャーになることには抵抗のあるのはどうにもおさえきれない不思議な感情。もしかしたらエゴというよりは、閉じた狭い世界の居心地のよさが開けてしまうことの寂しさなのかもしれません。
ただ、マイナー嗜好の人がいることで育まれる作品もあるし、発掘される良作もあります。案外こういうアンバランスな感情のせいで、世の中はバランスとれてるのかもです。
 
〜関連記事〜
そして彼は、あえてマイナーな本に手を伸ばすのであった
踏み込んだオタクが見えるものと、見失うもの。
人生で一度くらい、いい「中二病」を経験しておこう。