たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

オタク用語は「答え」がなくてもいいけれど。

ちょっとWEB拍手よりピックアップ。

カテゴリーに使用される単語が示す概念は、時が経つにつれて裾野を広げる傾向があると感じます。ごく一部を示す単語だった「おたく」が、その輪郭を広げ境界線を曖昧にしていったように、「萌え」も次第に裾野を広げ、分裂して細かな差異を目立たせるようになってきましたね。
なにしろ来年は21世紀に入って7年目!
光陰矢の如しを体感せざるを得ないです。

ものすごく簡潔に、要点が詰まった言葉だと思いました。
「オタク」「萌え」などの言葉って、確かに21世紀に入ってから一気に膨張し、局地的に使っていたはずのものがすっかり「誰でも知っている言葉」に変わったんだな、と感じます。このへんは長くオタをやっている人ほど実感があるとは思いますが、20世紀に使っていた「萌え」の、狭く後ろめたいニヤニヤ感はすっかり払拭されたどころか、気づけば海外まで進出していますものね。「オタク」という言葉も、かつてはマイナスイメージだったのが、今では自称する時それほどイヤミはありません。他称の場合は微妙ですが。
そのほか「ツンデレ」とか「やおい」とかもそうですが、オタクサブカル用語って使われる幅が広がるほどに必ず定義が問われます。
ある程度の共通項がなければ、言葉として使いずらい上に、誤解が生じやすいから、ということだと、自分は考えています。だけど、定義って作れるものなのかな?
 

●終わらないオタ用語の定義●

アニメ「らき☆すた」の中で、白石稔が「ツンデレ」について論じるシーンがありました。いやー、あれは非常に笑わせてもらいました。
うまいですよね。そうそう。オタク用語について激しく語るのって、すげー熱くなります。そしてそれを客観的に外から見ると、空回りしているなんてこともうまく再現していました。
そんなわけで、「萌える、とはなんだ」「厳密にはツンデレとはなんなのか」「やおいとBLはどう違う」などが21世紀に入ってから延々と語り合われてきました。自分もよく「こうおもうんだ!」としゃべるものです。
結論としては、答は出ません。出るものではないです。なぜなら、それは「言葉」だから。100人いれば100通りの考え方があって当然だと思います。たとえば「スポーツ」という単語を見て、どこからどこまでがスポーツなのかはそれぞれ意識が違うでしょうし、正確な線引きをしても仕方ないです。
 
なら、そういう定義の話は無駄かというと、全く無駄ではないです。
だって、面白いじゃん。
あくまでも「一つの結論を出そう」ではなくて、「自分はこう思う」「こんな考え方もあるんだ」という楽しみ方です。それを踏まえて色々思索をめぐらせると、面白い発見がどんどん生まれていきます。そしてなにより、そういう話をしている瞬間のワクワク感と共有感ときたら!
極端な話、たとえば「ツンデレ」という言葉について深く深く熟慮していくうちに、新しいキャラクター、新しい物語が生まれることは十分あると思います。斬新なタイプのキャラかもしれないし、今までの王道を見事に再現したものかもしれません。
それをパターン化として見るか、新しい基盤として見るかも人次第。
時にはテンプレと化したオタ用語に出会うこともあり、それが受け入れられない人もいるでしょう。同時にそんなファーストフード的なものを楽しむ人もいるのではないかと思います。
ハンバーガーもたまにはおいしい、丹精こめられた高級料理はやっぱりおいしい。でもハンバーガーだけだと体壊しそうですね。ちょっと気をつけなければ。
 

●視点の変化として楽しんでみる●

「萌え」って言ったらそれ以上表現できなくなる。「オタク」って言ったら新しい部分に踏み出せなくなる気がする。
そんな話もたまに聞きます。確かにそれはあると思います。なんでもかんでも「萌える」で終わらせると、確かに便利ですが、何がどういいのか分からなくなってしまうことも。
しかし、逆に逆手にとって、それを一つの視点として楽しむことも出来ると思いました。
 
今までストーリー面で楽しんでいた作品を、「萌える」という心の動き視点から見直したら…お、このキャラなかなかドキドキさせてくれるじゃないか、うわこの行動かわいい!
せっかくある便利な言葉なら、それに頼りきるのではなく、武器として使ってしまえばいいのかもしれません。
ツンデレヤンデレなんかも、「それでまとめてしまう」のではなくて「そういう見方から楽しんで見る」とすると、新しい魅力が見えることは多いでしょう。
あるいは、キャラやストーリーの傾向から「この作品・このキャラが好きなら、この作品も面白いよ」と横につながっていく指針にもなります。出会える機会が多いに越したことはないもの。
 

●自分はどう感じるか●

自分で「オタク」「萌える」などの言葉を使うのは便利なんですが、これを第三者から言われると非常に受け入れずらい時があります。悪意はなくても。
平気なときもあるのですが、やはりそれぞれ感覚は別で、一辺倒の答なんてない部分。そのギャップを相手側から提出されると、妙に居心地の悪い感じを受けるから、なのかな。
最初のコメントにもあったように、曖昧なものだと思います、このへん。答はないです。
自分は「オタク」は、大切な趣味を持っている人のことだと思うし、「萌える」ことは自分独自の感受性が様々な角度から刺激されることだと思っています。でもそうは思わない人もいるでしょう。
そのギャップが、面白いんですよね。ああ、この人はこう感じているのか、と。
押し付けることは失礼にあたるので、出来ません。でも相手の感覚を受け入れられたら、オタクライフはさらに楽しくなっていく、はず。
そしてそれを踏まえ比較して、自分はどう感じたか。それを信じていきたいなあ。
 
蛇足。その感覚の部分が偶然でも少しでも誰かと重なった時(好きな作品が一緒だった、等)の親しみのわきっぷりときたら。それが半端じゃなく楽しく感じられるのも、オタクならではの楽しさだあね。