たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

そして彼はいつも傍にいてくれた。「電脳コイル」デンスケの物語

●目の前に、存在するもの●

ARToolKitというものがあります。昨年の夏くらいから話題になっているものです。
「攻殻機動隊」「電脳コイル」の世界を実現! - ARToolKitを使った拡張現実感プログラミング
詳しくはこちらを見ていただくとよいと思いますが、自分にはさっぱりわかりません。
なので、とりあえず動画を見ていただきたいと思います。


解説編
そして、マーカーから離れたところを、ペットのように動かすことまで。

ニコニコ動画(RC)‐(電脳ペット) 初音ミクとあそんでみた

もう動きの理論とか演算とかさっぱりわからないのですがこれには度肝を抜かれました。
一つ目の映像がまさにドンピシャなんですが、これって電脳ペットの仕組みそのものじゃあないですか。
 
「電脳ペット」とは、アニメ「電脳コイル」に出てきた架空の電脳生物です。パソコンのディスプレイにあたるメガネをかけているときのみに見えるもので、様々な制限があったり実際に手に触れることはできないものの、メガネさえかけていれば目の前に現れているように感じられるプログラムです。
ペットのようにそれらを飼い、育てるのが電脳コイルの世界では大ブーム。しかも、あくまでもデータなのですが、破壊されたり老衰で死亡したりするため、本物のペットを飼っているかのような現実味があります。
基本的にはメガネさえかけていればいつでも傍にいるんですが、時にはコイルに出てきたイリーガル「クビナガ」のように、黒い所しか生息できないものや、管轄された区域外には入れない「サッチー」のようなものも。これって座標軸うんぬんかんぬんだとすると、「ARToolKit」の仕組みと非常に似ているなあ。
 
存在する、しないという言葉は大抵五感によって感じるものです。そこに見える、息づく音が聞こえる、生き物の匂いがする、体温や滑らかさを感じる。ああ、ここにうちのかわいいペットの犬がいる。こちらにむかって尻尾をふって、うれしそうに散歩に連れて行ってと言っているよ。
そこから減算していきます。生き物の匂いがしない。体温や毛並にを感じない。そこあるのは鳴き声と仕草だけ。決して手を触れることは、できない。
目の前に本当に、犬はいるんだろうか?目を閉じたら声しか聞こえない。ヘッドフォンをしたらいるのかいないのかも分からない。
それが、電脳コイルにおける「電脳メガネ」と「デンスケ」の関係でした。

デンスケはこの作品でとても重要な位置をしめるキャラなんですが、触れることの出来ないバーチャルでもありました。
電脳コイルの放送がすべて終わって再放送が始まっている今だからこそ、このデンスケが置いていったものについて書いてみたいと思います。
 
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※以下、ネタバレを含みます。再放送から電脳コイルを見始めたという人は注意してください。今わくわくしながら一回目の視聴をしている人は、見終わった後にのんびり見ていただけたら幸いです。※
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●デンスケを遠くから眺めてみる●

デンスケのような電脳ペットには色々な制限がありました。なんといっても一番大きいのは「メガネをしていないと見えない」「触れることができない」の二点でしょう。

第一話より。子供にも一発でこのペットの仕組みを証明した、極めて明快な名シーン。
そう、いないんですよ、実際には。映像、幻なのです。
デンスケは人間が触れることはもちろんできません。物体も貫通してしまいます。あくまでもメガネの上でそう映っているだけ。時々抱き上げることもありますが、おそらく「抱き上げられる」という動きを再現しているのかな?食事はどうするんだろう?おしっこはするんだろうか?プログラムに組み込むことは可能でしょうが、おそらくすべて画像内の出来事として処理されるかもしれません。ポストペットにエサを与える時の様に。
 
作品の中ではデンスケはあたかも存在しているように描かれていますが、実のところアニメはメガネをしているビジョンで描写されているからに過ぎなくて、メガネをしていないお母さんのような大人達には何にも見えないわけですよ。まさに子供が大げさなふりでごっこ遊びをしているように見えるのかもしれません。
そんな中、主人公のヤサコは何度もデンスケをなでます。愛して止まない友人としてデンスケに接します。しかし、感触が全くないという話をしていました。
「電脳ペットにも触った感触があったらいいのにな。ふかふかなのかな。壊れたら痛いのかな。」
「小さい頃、デンスケが舐めてくれたら不思議と痛みが消えたなあ…。」


第二話より。ヤサコがデンスケに対して感想を述べたこの言葉は、その後の展開に大きくかかわるものでした。
この時点でもヤサコはデンスケのことが大好きでした。ペットという域を超え、数年以上の長きに渡っていつも傍にいる一人の存在として見ていました。いつもいつもデンスケは、彼女の傍にいたのです。
しかし、実際のところ、メガネをしていない他の人にはその存在はありません。見えないし聞こえないのです。
 
面白いことにそれはこの「電脳コイル」の中での認識として描写されます。飼うのには、いかにも傍にいるように感じられる電脳ペットは人間の都合にいいわけですよ。お金がそれほどかかるわけではないし、実際に排泄をするわけでもない。エサ代もそれほどでもないでしょう。

実際に犬を飼っている人もいます。極まれに。「生犬」と作中では呼んでいました。実際に飼われていた犬が出てきたシーンはこれっきりだったと思います。電脳ペットは色々出てきますが。
子供でも管理できる。メガネさえかけていれば同じようにかわいがることができる。極めて都合のいいペットです。確かにおもちゃや情操教育として子供に与えるには最善ですが、…繰り返して申し訳ないのですが、再度書きます。デンスケには決して触れることが出来ないのです。
  
電脳コイル」という作品の、もっとも奇妙で、もっとも残酷で、そしてもっとも現実味のあるところがこのデンスケの存在に描きこまれていると言えるのではないかと思います。
もし自分がメガネの体験をせずに、メガネをかけていない状態でヤサコの言動を見たならば、どう反応していたのだろう。
 

●いつも傍にいてくれたね。●

デンスケが人工知能なのか、プログラムにすぎないのか、あるいは心を持っていたのかに関しては、言葉にすることが出来かねます。
ヤサコのおじじが治療施設の一環として作ったものなのでかなり特殊ではあるようです。しかしデンスケ自身がどう感じていたのかははっきりとは分かりません。カタチに関しては、コンピューターが作り出す像であることは間違いありません。
ええ。像です。虚像です。しかしそれがプログラムであろうと、虚像であろうと、デンスケはいつもヤサコとキョウコの傍に、必ずいました。たとえ、二人が他の事に気を取られて相手に出来ない状態だとしても、デンスケは確かにそこにいました

目の前にいて当たり前。傍にいて当然。デンスケはヤサコの生活の中に必ずいました。
ヤサコが笑っていても、泣いていても、怒っていても、デンスケはただデンスケとして傍にいました。目がぼんやりしているため、あまり感情は表現できません。普通の犬よりずっとぶにぶにしていて、毛もちびちび生えているためかっこよくありません。
誤解を恐れずに言えば、とっても変な犬です。

キョウコのデンスケに対する扱いはひどいものですが、子供が電脳のペットへ取る態度はかえってこのくらい適当な方が正解な気がします。電脳ペットですもの。多少のことならリカバリーできるでしょう。
でもデンスケはそんなことは意に介さず、ただ傍にいます。
ええそうさ、プログラムかもしれないし、映像としてそこにあるだけかもしれないけれどもさ。ずっと、ずっといるんだよデンスケは。彼女のすぐ横にさ。

常にメガネをかけていたヤサコやキョウコにしてみたら、本当にごく当たり前のこと。しかしそれは本当にかけがえのないこと。
いつも横にいてくれる、というのは他に変えることの出来ない強大な安心感を与えてくれます。何かしてくれるとかじゃなくていいんですよ。傍にいてれくれるだけでいいんです。
ヤサコにしてみたら、小学校生活の間ずっとデンスケは傍にいてくれました。
キョウコにしてみたら、生まれてからデンスケはずっと横にいました。
デンスケがくれた最大のもの。それは「傍にいてくれたこと」
 

●デンスケに自我はあったのだろうか●

残酷なことに、デンスケのような電脳ペットは管理し提供する大人の側から見たら、消耗品です。

いくら傍にいてくれても、それはバーチャルであることには変わりなく、壊れ、失われます。外側から見たら「死ぬ」ということも、この作品の電脳世界の中では「修復不能」という言葉になります。
このカット見るたびにたまらなく切なくなるんですよ。だって、見ているこちらとしてはデンスケは愛しい、いつも傍にいてくれる存在なんです。なのに「新しいペットは」と簡単に代用が利くようなこと言われると「デンスケは世界に一匹しかいないのに!」と声高に叫びたくなります。
しかし本当にデンスケは「デンスケ」なんだろうか?やっぱりデータなんじゃないの?
 
この作品は、デンスケにしゃべらせることを決してしません。デンスケに自我があるのかどうかは明確には描きません。時々へっぴり腰になり、そして大事なところで勇気を振り絞る犬として描かれますが、それが保護プログラムなのかデンスケゆえの意志なのかは分かりません。
でもね、分からなくてもいいんです。確かに、間違いなくデンスケは彼女達のために走り、戦い、傍にい続けてくれたじゃないか。
 
実際には存在しないものの、ヤサコ達の傍に必ず「いた」デンスケ。
それが生き物の心かどうかわからないけれども、ヤサコとキョウコに寄り添ってくれたデンスケ。
 
自我ってなんだろう。本能ってなんだろう。生き物の心ってなんだろう。
自分は難しいことは分かりません。しかしもしこちら側が、その物に対して親愛の情を抱き、それに心を満たされるのならば。その物に心があると言ってもいいことをこの作品は提示している気がしてなりません。
ヤサコのお母さんは、メガネを捨てて現実の体験をもっと大切にしてほしいとやさしく語りました。イサコは「実際に触れた物だけを信じる」と一度は言い切りました。
ディスプレイの中の世界は架空だし、電脳ペットもおもちゃなんです。決して押し付けてはなく、お母さん達の言葉は生きています。見ているこちらもそれは納得させられるんです。
しかし、ならメガネをかけていないと感じないデンスケの存在は、触れることのできないデンスケの存在は「無かったこと」なの?バーチャルの体験で感じた気持ちは、所詮受け止めてくれるもののない曖昧なものなの?
傍にいてくれた、デンスケに心はなかったの?
 

●あったかい。フサフサだったんだね●


思い出をたどると、いつもデンスケがいました。
ヤサコから見て、デンスケはココロを持った友人でした。小難しいことなんてどうでもいい、「デンスケと共に過ごして笑ったり泣いたりした日々」は存在したんです。夢、幻かもしれないけど、そのときの感情の高ぶりや安心感は覚えているんです。だから、デンスケが大好きな自分の心は間違いなくあったんです。
そして今でも、デンスケのことが大好きなんです。
 
僕らが電脳コイルを見て、デンスケとヤサコに強く心を惹かれるのは、複雑なものや理屈ではなく、一人と一匹の間に絆があるからです。
プログラムかもしれない。大人からみたら存在していないかもしれない。いいじゃん、デンスケはいるんだもの。ずっと傍にいて、一緒に暮らしてきたんだもの。その時に感じた優しい感情を忘れたくないよ。
そして、それを信じていいんだよ、とこの作品は差し出してきます。
正直「NHKだし、電脳より現実が大事だよ」と持ってくるとうがって見ていました。しかし、何か対して生まれた感情そのものがいかに大切かを切り捨てず、デンスケを通じて訴えかけてくるんだもの。ヤサコの張り詰めていた心がほぐれて泣いてしまったように、こっちもデンスケのことが大好きになって泣いてしまうじゃないか。
デンスケがさ。テレビの向こうの、変な一匹の犬なのにもかかわらずさ。
 

見えているときは感触はありませんでした。見えなくなっている時には*1感触がありました。
体温を感じたんだ。ふさふさの毛並みに触れたんだ。電脳世界のことだから、それすらもバーチャルかもしれないけれども、脳が見ている夢かもしれないけれども、確かにデンスケのことを感じたんだよ。

デンスケは何もいいません。でもヤサコの傍には、来てくれました。何を信じればいいのか分からないくらい複雑な世界ではあるけれど、デンスケは「傍にいてくれた」という一点のみで、確かに存在していたと言い切ることができるんです。
傍にいること以上に大切なことなんて、もしかしたらないのかもしれません。
 
デンスケの瞳が何を見ていたのかはわかりません。
デンスケがヤサコをどう思っていたのかも分かりません。
でもそれは人間だって、ペットだって同じです。相手のことなんて分かりきることは出来ません。目の前にいるモノは触れる感覚でそれを少しは感じることも出来ますが、100%理解はできません。
だけど、デンスケはそれらを超越して、ヤサコの傍にずっとい続けました。だからデンスケをすべてにおいて信じられるのかもしれません。
ヤサコが最後にのべた、デンスケへの「ありがとう」。これをどう取るかは見る人の自由です。うがった見方もできるし、そのまま受け取ることも出来るけれども、それを聞いたとき自分達もデンスケに「ありがとう」と言う気持ちが湧き上がってくるんです。そう、「いてくれてありがとう」って。
 
デンスケ。
ありがとう。

 
電脳コイル デンスケ(M)
 
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*1:このときヤサコは電脳側にいる