たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

美しい日本の風景(おちんちん的な意味で)「わたしを有明に連れてって!」


おちんちんマエストロこと上連雀三平先生の新刊「わたしを有明に連れてって!」が発売になりました。
エロマンガがある程度好きな人には上連雀先生という名前を聞いただけで口元がニヤリとなるはずでしょう。
逆にエロマンガを読まない人には「?」かもしれないので、一応貼っておきます。
上連雀三平(Wikipedia)
エロマンガサブカルチャー愛する人には、ある種神の領域に近い人でもあります。そのブレーキをかけない作風、なぜかおちんちんがナチュラルにある展開、セックスが隠すものではなく日々の生活の一部になっていること、などなど、一度読んだら忘れられない異彩を放つ、類稀な作家さんです。
さて、今回のこの「わたしを有明に連れてって!」も間違いなくその血をついでおり、画面の方々からお○んちんが生えてピューってしています。それが卑猥なものという扱いではなく、呼吸をするように組み込まれているのが面白いんですよねえ。そして非常に明るく前向きな「娯楽」として描かれているので、イヤな後味もないです。パンクな破壊力を持っているけど、パンクのようにキツくない、おちんちん空気系マンガです。「チンコ」「ペニス」ではなく「おちんちん」なのがポイント。
関連・おちんちんマイスター上連雀先生の最新おちんちん漫画「わたしを有明へつれてって!」(しばた@OHP)
 
はて、この作品間違いなくそのような性的な暴走っぷりを楽しむだけでも十分おなかいっぱいっていうかあふれるほどなんですが、もう一つ魂をこめられている部分があります。
それは、美しい尾道の空気です。
 

●時が止まる街、尾道

尾道といえば大林宣彦監督作品の映画でよく用いられる、ノスタルジックな表現にぴったりの街です。そのほか「かみちゅ!」や「タビと道連れ」などのような、まったりのんびりとした世界観のマンガにも用いられる舞台。
いやはや、行った事のない人間としては「尾道」と聞いただけで映画のカットが思い浮かんで、ゾクゾクしますよ。あそこで階段に座って甘味でも食べたいものですよ。
あくまでもイメージとして。日本の中でも言葉によってイメージ化された街ベスト3に入るんじゃないかと思うほどです。
さて、このおちんちんランドマンガも、尾道が舞台。このチョイスに最初は度肝を抜かれたものです。
しかし、上連雀先生はなぜ尾道を選んだのでしょう。 
 

P20より。
美しい日本の漁港の様子です。
よく見ていただければ分かるのですが、真ん中のベンチで主人公二人がおやりになっている最中です。
しかし、この光景、その性的なものも含めてちょっと自然に見えませんか。見えない?そうですね。
 
この前後は激しく視点が二人の行為に密着し、まるでナメクジがまぐわうかのようにヌルヌルガツガツと性行為に励むシーンが続きます。その絵が続く後で、このような引きの画面が突然挿入されるのがこの作品の特徴。
このタイミングがまた極めて見事なんだ。
確かに頭の中がおちんちんでいっぱいになっているシーンは、その暴走の歯止めのきかなさにこちらもクラクラしてしまいますが、それをこうして緻密に描かれた美しい光景の一部に差し込むことで、ごく自然な感覚の一部に落とし込んでくれるわけです。


素に帰れば間違いなく異常な光景なのですが、この本の中ではそれを風景の一部として描き続けます。
それが見ているとトリップ(旅行的な意味で)の境地に手招いてくれるのだからたまらない。
 
実際、エロマンガという文化が18禁であるのは、それを冷静に理解した上でさらに「表現の挑戦」に挑むことが作家と読者の間に許されるから、というメリットがあるからだと思います。単純に「エロい=18禁」じゃあないわけですよ。
上連雀先生は常にそこに挑んでいます。そして確かにそこにある「ありえないエロ」を、でかくおちんちんを描くことに加えて、このようにしっかりと描きこまれた背景にミックスしていくことで、新しい日本の光景を作り出そうとする表現者でもあるんじゃないかな。

大都会ではないけれどド田舎でもない、レトロと現代の時が交じり合うような街、尾道を舞台に選んだのは、そこに「日本らしさ」があるからなのかな、と思いました。描かれる風景は日本人の心を掴むに十分なものばかりなんですよ。
今の日本の姿。過去の日本の姿。そして性やオタ文化を混じり合わせたもう一つのジャパニーズサブカルチャー
それを違和感なく融合させることが、上連雀先生の描くもう一つの日本。ちょっとだけ遠くから眺めることで生まれる、日本の「性が入り混じった」オタク文化の姿はここにあるんじゃないでしょうか。
そして、それは決して汚くないんです。愛情たっぷりの彼女達の性は歪んではいても、こんなにもキレイな風景に溶け込んでいるじゃないか。
 

●性の祭りのもう一つの姿●

もう一つの面白さは、有明同人誌即売会のシーン。それまでの尾道の様子がちょっとズれた日常だとしたら、こちらは間違いなく「非日常」。
上連雀先生の描く世界でさらに非日常なんだから、その有様は半端ではありません。自分も上連雀先生作品が好きで読み続けていましたが、さらにヒートアップしておりました。

このシーンの突っ込みどころは「わたしが見たところ」でしょうか。いや違うか。
しかしまあ、乱交目的のあたりはないとしても、冷静に考えると同人誌即売会のエロゾーンの様子って、経験したことがない人から見てみたら、上連雀作品をはじめて読んだマンガ好きの人の衝撃と似たようなものは、あるよね。別にそれが「解禁」された無法地帯なわけではないので、自粛はそれぞれしますが、エロPOPが乱舞する様子は確かに何かが吹っ切れた祭典のノリがあります。
じゃあそれをマンガにして描いちゃえ!となったときにすごいことになってしまうのが上連雀流。尾道のシーンとのギャップもあいまって、こちらまで頭のてっぺん開いちゃいそうです。
 
そして祭りが終わってからって、なんともいえない心の空白できるじゃないですか。あれをエロ交えて収束させていくのがうまいんですよ。

再び尾道に戻ってくる彼女達。扉絵は尾道を美しく描いたものが多いのですが、この左上に注目。ネコのようにまぐわっているのが見えます。
ストーリーとは直接関係ない絵なのですが、確かに読み終えると彼女達が尾道を見下ろしながら性を日常にしていることとあいまって、違和感なく受け入れられるんです。
先ほどと同じように、尾道の風景をたくみに使ったひきの構図。快楽にあわせて、時間がまるで止まったかのようじゃないですか。
 
エロマンガだからこそできる「現実的じゃない」空間の現実味。
確かに上連雀作品は笑いながらとてつもない世界を楽しむ事が出来るのですが、同時にもしかしたら日本人が見ているまったく別の性と風景の有様を提示してくれているのかもしれません。おちんちん的に。
 

尾道を舞台にした理由として「某作品で聖地巡礼したから」というのもまた、らしいというか。にしたって本当にゾクゾクするくらい風景の描きこみは緻密で繊細。それを見る価値ありますよマジで。
だけどwikipediaの尾道市の項目で「舞台(モデル)とした作品」に列挙されているこのシュールさはなんでしょう。楽しいなあ。
一緒に収録されている声優エロマンガ上連雀節炸裂。往年のファンにはたまらない逸品であります。「精液グランプリ」略して「精グラ」とかの言語感覚、普通は思いつかないですわ。