たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

雨がっぱ少女群のエロマンガ少女は、夕暮れの中から視線を向ける。

はて先日もコミックLOの話を書きましたが、今日もLOの話です。
だってLO大好きなんだもん。
コミックLO*1という雑誌、新人さんだけではなく、ベテラン層はもちろん、中堅層の作家さんたちも強烈なバズーカ砲を背負っているのが魅力です。
その中、多くの人に一気に話題になったのが雨がっぱ少女群先生。名前からしてインパクト絶大すぎです。すでに名前ですらないけれど、このインモラル感溢れる響きと一発で覚えるインパクト。
よく、少女を絶望的に奪い去り醜悪な性の塊に翻弄される男と少女を描く達人町田ひらく先生と比較されることもある作家さんです。
しかし、確かに雰囲気は似ていますが、雨がっぱ少女群先生の狙う先はどうもベクトルがちょっと異なっているようです。
少し今月のLO掲載分「家庭菜園」からピックアップしてみます。
 

●家庭菜園●

ここしばらくライトなタッチの絵柄でかわいらしい女の子の物語を描いていた雨がっぱ先生ですが、今月急に鉛筆書きオンリーのリアルタッチに方向変換をしたもんだからド肝を抜かれました。
いや、もともとがそのタッチの方だから納得はするんですが、なんせ描かれる少女像の「旧式さ」が際立っているから息を呑みますよ。
鉛筆画の持つ威力は尋常じゃないよ。
まず古みを帯びた雰囲気づくりにももってこいですし、画面の温度を柔らかく保つにも鉛筆は向いています。そして同時に、幼き日々を残虐に引きずり出す腕力を持っているのも、また鉛筆の威力です。

この少女の「少女らしさ」と「古めかしさ」。
この瞳を見て何を感じますか?
 
自分が感じたのは、少女側がこちらを見透かしているのではないか、ということ。それでいて見ているこちら側が妙な後ろめたさをもって彼女を見ているのではないか、ということ。
はれぼったい瞳。小さな乳歯。薄暗がりの部屋。
こんなシチュエーションでこんな瞳で見られたら、男側は心が妙にうずきますよ、いやな感覚とドキドキする感覚両方がさ。
同時に鉛筆画ゆえに、この少女と同年代だったころの自分のノスタルジックをたたきつけてくるのも曲者。
たとえば鉛筆画の大家、片山健先生の「美しい日々」「エンゼルアワー」*2が描いていた、小学生に目覚めたときの悪夢のような「性」の形が、ここにもあるんです。

年代は明記されませんが、おそらく昭和の日本のイメージが強い雨がっぱ先生の絵柄。特に夕暮れ時の光の加減は逸品!見てくださいよ、この美しさと切なさ。もう失われてしまった光景が、ここに眠っているじゃないか。
 
そう、雨がっぱ少女群先生が描く世界は、実はもうぼくらが置いてきてしまったかつての記憶の部分を掘り返してくるんです。
「少女をどう捕らえるか」、というのはさまざまな作家さんの永遠のテーマであります。
たとえばある作家さんは美しい妖精として描くでしょう。ある作家さんは生々しい血の通った人間として描くでしょう。また、搾取され陵辱される弱者として、男がかなわない偶像として、ロリコンの想像の箱庭の中の住人として、キュートな人形として…。
雨がっぱ少女群先生は、おそらく少女を「過去の憧憬」として描こうとしているのではないかと思います。
あの夕闇におびえ、廃墟にワクワクし、漠然と不安を抱えていた昭和のにおい。時としてそれはまぶしく楽しい景色ですが、同時に過去は残虐で冷酷です。ぼくらを簡単におき去ります。ここにいれば時間はとまっていると思っていたのに、という安心感も、風雨や命の成長で『永遠はないよ』。
だから、雨がっぱ少女群先生の描く少女は、ただ蹂躙されることはありません。男に奪われつつ、こちらに笑顔で銃を向けてきます。
まるで幼い時感じた、夕闇の漠然とした恐怖感のように。
 

●夕暮れ時のさみしさに●

あくまでも視点は、少女のものとして進められて行くのも雨がっぱ先生の特徴です。
時々搾取され振り回されるんですが、少女側がそれを淡々と見ており、時には反旗を振り上げる。力は弱いですが、魂は弱くありません。男に振り回され、コレクションされていきますが、彼女たちは夕闇の中、当たらない銃の引き金をひこうとします。それも、なぜなのかを理解ができぬままに。

単行本「小指でかきまぜて」収録の「ソラを渡る円環」より。少女が見るのは廃墟と化した遊園地です。見事ですよね、この飲み込んでいくような世界の圧力。
雨がっぱ少女群先生作品には廃墟と夕暮れの街が数多く出てきます。それは先ほども書いたように、おそらく少女が「夕闇の中の生物」だからでしょう。
夕闇ということは、これから夜が来ます。夕暮れの時間は一瞬しかありません。
少女が少女の肉体でいるのは、一瞬しかないのです。精神は少女性を保ってはいても。*3
 

同じく単行本から「パラダイス・ロスト」。
雨がっぱ少女群先生の作品に出てくる男はロクデナシばかりです。しかし彼らは醜悪な容姿をしていません。むしろかっこいいといって差し支えないルックス。
なんてうらやましい!と思いたいところですが、ほら、あくまでも彼の作品は「少女視点」なのです。脆い時間の上をふらふら歩く少女から見た大人の男性は、かっこいいんです。
そして、かっこいいから裏切られる。大人の男性も、手を伸ばして少女の一瞬に触れたがる。
そのすれ違いが、やりきれない。
  

置いてきたのが時間なのか?
時間に置いていかれたのか?
あるいは、少女においていかれてしまったのだろうか?
廃墟や古い町並みが時間を描くと同時に、今回に「家庭菜園」では、少女で時間を描こうとしているように感じられました。それは失われていくものでありつつ、こちらを通り過ぎていくものであることも最後まで読むと分かります。

時々は男性視点で描かれる作品もあります。その場合はラブラブな作品も多いのですが、描かれる背景は廃墟だったり、昔の家屋だったりとやはりなにか不安定なものを感じさせます。「退廃的」って言葉はこういうときに便利です。時々意図的に狂わされたデッサンによって、その退廃感はあり地獄のように人をひきつけていきます。
時間の流れの中で時々はだまされ、時に反撃をする少女達。
そのセピア色のフィルムの中で少女は何を刻んでいくのでしょう。
 
 
単行本は裏表紙の退廃感も最高なので、必見。
雨がっぱ少女群先生は今後も注目株…なんていうレベルの作家ではないですって!
少女と時間をあらゆる手段を駆使して描く先駆者になっていくのではないかと思っています。最近のLOはそんな、「少女像」を最大限まで駆使して表現しようと試みる作家さんが多いので、興味深い。エロで18禁というのはあくまでも大義名分で、それを使うことでさらに少女を性から、男性・女性視点から見ようとしていることすらあるのではないかと思います。
おおげさ?いやいや、こんな雑誌他にないぜ。…いやあんまり多くても困るんですが。
ちなみに20代前半だと味合えないような光景もあるのですが、彼はそれも考慮し、巧みに疑似体験できるようになっています。ロリが苦手な人は、新時代の退廃作品と思って読むのもアリだと思います。
 
〜関連記事〜
コミックLOの新人さんたちが今すごい〜LOの求める少女道〜

*1:言うまでもなく18禁ですよー。

*2:現在絶版のため、入手困難。しかしこのエロスはどこかで見て欲しい!是が非とも!

*3:この作品はこのページのあとの4Pが壮絶なので、必見。