たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

救いのない陵辱マンガを読んで、ほっとすることもあるんだ

こちらはちょっとまだ考えがまとまりませんが、メモ

私は男性向け同人誌、男性向け18禁を好んで読む女ですが、ラブラブものは好きじゃないです。
救いの無い陵辱物のほうが面白いと思ってしまいます。
ありえない話のほうが、完全な創作物として、客観的に読めますが、中途半端にリアルな話が好きじゃないです
もちろんリアル世界で痴漢行為を働く男とかは許せませんけど。
創作物において、女性がひどい目にあう類の話を読んで「不愉快だ」と思ったことは無いです。
まとまりの無い話ですいません。陵辱ものを読むのが好きな女も居るという例です…。

町田ひらく先生をはじめ、ハード陵辱物、救いなし、ヤマなしオチなし意味なし(いや、意味はすさまじくある)作品を女性が好む傾向は実際強いようですね。もちろん嫌悪する人には徹底的に嫌がられるジャンルですが。
 

●カワディMAX「コロちゃん」●

ついさっき、こちらも陵辱の大家カワディMAX先生の作品を読みました。非常にかわいらしい絵柄の作家さんですが、何もないハッピー状態でも見ていて不安にさせるのは絵全体から漂うオーラのせいです。

やったねたえちゃん!
この2ちゃんで有名なコマ。これだけでも何か不穏な空気があることをビリビリ感じます。
この後、もう汚らしいオヤジに延々犯され、処女を喪失することでこのコロちゃんとしゃべることもできなくなります。たえちゃんは感じることもありません。苦痛に苦痛を重ねて耐えるのみ。そしてこのコロちゃんは・・・。

 
怖いもの見たさなら決して薦めません。本当に救いや感情の解放のない迷宮に踏み込んで帰れなくなってよい、というのならゼヒ見るべきです。
 
救いなんてないさ。
助けなんてこないさ。
寝ぼけた人が、夢見ていたのさ
だけどちょっとだけどちょっと 見てみちゃう自分が怖いよ。
 

●レイプ・陵辱を見る時の男性心理●

まず、陵辱ものの少女は「気持ちよくなりません」。レイプです。いわば心の殺人です。気持ちなるなんてファンタジーです。
そのファンタジーを活用し、レイプから始まる純愛ものを描く人もいます。こちらもテクニックのいるものです。
しかし幼女さらってレイプしてハッピーエンドなんてありえない。ほらそこの好色な顔で見た君?君の目はよどんでいるよ、目の前の少女が君をどんな目で見ているか分かるのかい?誰の目だ?僕の目じゃないか。
 
これを男女がどう感じるかを考えたいと思います。
 
男性でレイプもの好きな人は実はそれほど多くありません。実際今掲載されているエロマンガでも、レイプものは全体を10とした場合1か2くらいでしょう。しかもそのうちの多くは途中で気持ちよくなって「もっとー」とか言っちゃう調教型。ガチで女の子が「いやだ、くんな、やめろ」とおびえるのを黙々とやるのはかなり少ないです。
ああああー、書いていて非常に重い気分になってきたああ。
自分も陵辱物自体は好きじゃないのですよ。でも見てしまう。
陵辱されている少女が何も言わずこちらを見てきたときが最悪です。

町田ひらく先生「三文病棟」より。
諦念で、世界を、男を蔑む瞳。彼女達に希望なんて何の意味もありません。希望を与えられても拒絶するかもしれません。恨み・恐怖・悔恨・妬み・憎悪・・・それらを乗り越えて、心は生ける屍になったのです。
うまい陵辱作家さんは、それをエロティックに描きます。女性が苦しんでいる状態で男性がとても興奮しておかしなことになっているのを黙々と描きます。
それをみて、どきっとしている自分が怖い。その中にいる卑猥で嫌悪感を抱かせるようなキャラと自分が同じであることが恐ろしい。
なのに、性欲はかわいらしきもの、女性の柔らかな肢体に素直に反応するわけです。
反応するな、わが体。お前は憎まれるべき悪と同じなのか?
 
ああ、そうさ、同じさ・・・だから全部壊してやる。
壊せるのかい?壊せるのかい本当に?
 
男性の中の陵辱・鬼畜物を読むときの心理は複雑です。冗談がなく、ひたすら少女が苦痛に耐えるシーンで興奮する場合もあれば、そんな自分の感覚にも激しく嫌悪感を抱く人も。そして・・・むき出しの自分の欲望に出会えたことに感謝をする人も。
でもね、それも人間の根っこを描いた貴重な表現なわけです。決してなくならない。たとえ純愛路線が増えるこれからにおいても。
 

●女性が好む陵辱物●

まず先に書くと、レイプ・陵辱物を好む女性は意外と多いです。全体数が多いわけではなく、意外と、です。
そして、それらの人たちはほぼ全員、レイプや強姦という事件を嫌悪しています。憎悪しているはずです。自分がそうされることなんておぞましくて考えたくないはずです。
 
しかしここから先が面白いところ。男性はファンタジーのなかに自分の性癖や嫌悪を汲み取って打ちのめされるorそれすら楽しむ人が多いのですが、女性は先ほど書かれていたように「完全な創作物として、客観的に読め」るんだとおもいます。
もちろん女の子がひどいことされるのなんて見たくない、という人が大半でしょうが、二次元で破壊されるために準備された子たちが黙々とひどい目にあうのは、ファンタジーです。できれば女性側はそれで興奮して情に流される、男性の都合いい妄想ではないほうがいいでしょう。少女達は憎悪と絶望に狂うくらいの方が明確でしょう。
あとはそこから、欲望のスケープゴートとしてみるか。滑稽な男たちを受け止める女性の姿と見るか。社会嫌悪と男性の醜悪さを重ね合わせて楽しむか。見方に余裕が出てきます。
痛々しいのは見たくない。でもそれを見ることによって、それによって生まれた感情の揺さぶりを確認することによって、自分が何を感じて生きているのかがあぶりだされるのがこの手のマンガのすごさだと思います。
以前も書きましたが、一回死ぬんです自分が。そして生き返って、神の視点で黙々とその惨状を見る。
そこで何を感じるかは人次第。
自分が女性になって、その感覚がどんなものか知りたいですよ。
 
誰もが憎む性犯罪。でも二次元世界でのそれは自分達を、社会を映す鏡です。
鏡に映る自分の姿は怖い。だからこそ覗いてみよう。ただ、そのあと世界がドス黒く見えても責任はもてません。むりはしたらだめ、絶対。
でもね、そのドス黒い虚像の向こうにある自分の中に、高鳴る心臓が映っていれば、それだけでも発見だとは思うんだな
 
・・・と、いうような感覚が町田ひらく先生作品を読むたび感じます。
「黄泉のマチ」で一部の大人たちが汚らしい面をさらしながら困惑しつづけているのに、被害者の少女達が何も感情を吐露しないのを見るたびに、どうしようもなく自分の心の中暴かれた気分になります。

  
でも、それが次の日の活力になるから不思議。
自分がどうして、読んでいてつらいはずの町田ひらく作品にここまで惹かれるのかどうしても気になって仕方ないのです。
 
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余談。
「酷い目にあって、女性は絶望のふちに・・・」というマンガと、「酷い目にあった中で心や体を開いて『もっとー』といって『やれやれ淫乱な女だな』」というマンガはそもそものジャンルが別なんだろうなあと思うのでした。向かう先が明らかに違う気がするのです。
 
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