たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

10年後、ぼくらは「電脳コイル」を見ているのか?

●記憶に残るアニメ体験●

もういい加減、アニメに対して「エヴァと比べて」なんて言い方はするんじゃないよ自分、とか思うのですが、いつまでたってもそのクセがぬけません。
もうね、諦めました。自分の中ではそのくらいエヴァが強烈でがっちりはまって、毎週草の根BBSで感想書いて、泣いたり笑ったりしたわけです。それも一つの体験。
自分にとってコレは「10年後残る作品」でした。可とか不可とかじゃない。もう染み付いてるんです。
 
はて、その後もありとあらゆるアニメにはまりましたが、自分にとって昨年放映された電脳コイルは衝撃でした。
「10年後残るの?」と聞かれたら、残る…いや、次の世代に残したいと思う作品だったからです。
 

●人と話したいアニメ●

自分にとって電脳コイルが特別だった理由を箇条書きにしてみます。

1、科学的に手が届きそうで、夢想するのが楽しかった。
2、子供時代の神経のツボを押された
3、人とそれについて語るのが死ぬほど楽しかった。
4、仮想感覚の感動を全肯定したことに驚いた。
5、デンスケ

1については言うまでもないと思います。電脳メガネを見て、おそらく10年後にはそれに近いアイテムが出来ると信じています。
そう、このアニメを見て感動した世代の、これからの科学者が。
 
2は「となりのトトロ」を見たときの感覚や、「おジャ魔女どれみ」の個別エピソードの生々しさに似ていました。
誰もが通過した小学校6年生の、あのなんだか複雑な感覚。それに「ノスタルジックの形式美」のような色合いが重なる事で、体験してもいないのに体験したような強烈なデジャヴュに襲われます。
 
3はネットがあってよかったとつくづく思うところです。謎が謎を読んでどんどん複雑化していく世界、それが一気に解かれる後半。
その興奮を話す場所がほしい!と思ったらあるんだもの側に。楽しさ5倍増しでした。
 
4は「NHKだし」という既成概念を持っていたからこそなんですが、驚きましたよ。途中、「手で触れたものだけを信じるんだ」というイサコの言葉や母親のセリフで、ああ確かに現実に戻らないとだめだな、電脳世界だけじゃだめだよな、と納得もしかけました。
そこにきて「あの時の喜びや悲しみはニセモノなのか?」というたたみかけ。心の痛み、感じただろう。それを信じろよ、と。
 

それを体言してくれた、デンスケを忘れる事なんて、できないよ。
 

●次の世代に見せたい、と感じる理由●

自分には子供はいませんが、もし子供が出来たら電脳コイル、見せたいです。
そう感じるのは、この作品を見て何か感じるものが幼児でもあると思うからです。
取り扱っているテーマは重いし、SF的な難しさもあるし、単語なんて数回見直して、ネットの解説や関連書籍を見て、それでもよくわからないくらい複雑です。
ですが、イサコが泣いた時のあの気持ち、最後にデンスケと会った時のあの気持ち、幼い子供にも伝わるじゃないか。
それこそが、心に痛みを感じる体験じゃないか。
 
アニメを見て泣いたり笑ったり考えたりするのは、立派な体験の一つだと思います。
電脳コイル」はそれを、年齢差問わず与えてくれるあたえてくれます。大人は懐かしさと共に忘れかけていた痛みとワクワクを思い出します。子供はあの世界の楽しさにあこがれます。
できれば、10年後も子供達がこの作品を見て、語り合っている姿を、自分は見たいなあ。
電脳メガネ的なものを片手に。
 
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