たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「LO」表紙の「母は、少女であった」の意味を考える

 
今月のLOの表紙の「母は、少女であった」という文字があまりにも意味深なので思考が混乱しました。
どういうことだ?
 

●少女=母?●

個人的な意見として、「少女は、母であった」のほうがしっくりくるんですよ。
ぼくらの見ている二次元少女、特にロリマンガで「そんなことないありえない」な少女はものすごい包容力があります。二次元少女は現実にはありえないようなチンコも受け止めるし、初めてでも感じます。
ありえないありえない。だけどそんな人間の乱暴欲求をオブラートに包んで受け止める。
そのへんが、どんなに走っても追いつけない「母」のようであるとも言えるとは思うのです。
あるいは二次元少女は「偶像」。
 

●母=少女?●

しかし「母は、少女であった」だと非常に困惑します。
文脈どおりだと「お母さんは少女だった」っていう当たり前のことです。むしろそう言われるとなんだか心に歯止めすらかかります。
となると「君らの見ている少女も大人になるんだよ」という意味合いを感じるのですが、それってLOの言う「二次元少女至上主義」「ぼくらはこの箱庭で楽しむんだ」と反する気がします。
となると視点は一体どこにあるのだろう?
 

●どこに向けての言葉なのかがわからない。●

奥付のコメントは「いいフィクションと悪いフィクションに分ける人がいますね」という内容でした。あいかわらず面白い。
今回の表紙でいうと、「母は、少女であった」はフィクションなのか、それとも現実への微妙な比較なのかが分かりません。
犬さんが「母は、の点が重要」という話をしてくれたのですが、確かに「母は少女であった」と「母は、少女であった」だと大きく異なります。
 
なんてことのない一文かもしれないのですが、LOが今までかなり意味を深めてやっていたことを考えるとこれはどうしても気になるところ。なぜここで母が出てきたのか見当がつかないのです。
 
案としてまとまらないのですが箇条書き

1、そこにいる母親たる女性(観客とは無関係)は、少女のような心を持った人だった
2、次世代の少女を産む女性も少女である、つまり少女が少女を作り上げるのだ。
3、受け止めてくれる存在としての「母」は、実は少女達そのもののことなんだ。

個人的には3が強い気がしますがどうかしら。

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余談
本編の内容がまたよかったです。町田先生あいかわらずすごい。東山先生のラストは切なくエロい。朝木先生の女の子が死ぬほど色っぽい。千勢賢秋先生の絵がすごい好き。えーと…書ききれないのでまたどこかでこっそり書きます。