たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

雨がっぱ少女群先生の見ている、僕らには見えない世界。

WEB拍手でこんなものがあったので、ピックアップ

たまごまごさんは町田ひらくさんや雨がっぱ少女群さんがお好きみたいですが、この作品のよさって何でしょうか?
こちらの紹介でこの二人の作品が好きになり友達に紹介してみようと思っているのですが、上手い表現がみつからなくて…。よければ教えて下さい

個人的には理論ではなく「いいと感じた瞬間それは自分にとってすばらしい作品なんだ」というのが持論なのですが、人に勧めるとなると本当に難しいですよね。
自分も好きすぎて逆に、誰かに勧めるために言葉にまとめてしまうのが悪い気がして「まず読んで!」となってしまうのです。
しかし、少しでもやはり魅力を感じてもらいたいので恐れ多くも「どこがいいのか」を自分なりに見ていきたいと思います。
今回は雨がっぱ少女群先生が「世界を、読者が知らない部分から見ている」の一点に絞ってみます。
 

●退廃とノスタルジィの間で●

この雨がっぱ少女群先生は、どの人が見ても一発で覚えられる特徴的な絵柄なのが魅力の一つです。
特に「絵で惚れてはまった」という人はものすごく多いと思うのです。このへんは理論でどうこう説明できる類のものでもないのですが、やはりどこかに特筆すべきインパクトがあるんですよ。
たとえば単行本「小指でかきまぜて」の裏表紙を見てみます。

おそらくこれで買った人多いのではないでしょうか。
どこか分からないアジア風無国籍な土地の片隅で行われている、少女のやりとり。ぎょっとするほどの値下げっぷりにも目が行くのですが、なんといっても誰もそこに後ろめたさを感じていないのが不思議な感覚を呼びます。女の子たちもまるで日常生活の一部のようにそうしているわけですよ。
しかしこの町の色はどうしようもないくらい夕暮れ。これからさらに暗い時間を迎えるのは目に見えています。
加えて退廃感を強くしているのは、壁にはられたさまざまな広告や、散らばっている雑多なもの、そして失われた中華娼館風のせいでしょうか。
 
この退廃感を雨がっぱ先生はいつも、ぎっちりと書き込みます。

「ウオノココロ」より。
廃墟や旧家屋の描写が多いのですが、とにかくいっぺんのすきもなく丁寧に描きこみます。
実際、この作品自体は非常にエロティックで明るいムードにあふれているのですが、このような時間が止まってしまった場所が舞台になっていたり、最後のシーンで路面電車が出るため、退廃感以上にノスタルジックな空気への憧れを感じさせます。
 
もちろん現代が舞台の作品もあるのですが、この退廃とノスタルジィのバランスを保った世界へ没入していくのは雨がっぱ少女群先生ならではの描写方法だと思うのです。
そしてその中で、性に翻弄されながらも女の子たちはどんどん前に突き進んでいくのです。
 

●見たことのない世界から●

エロマンガというジャンルは、エロ面において「見たことのない世界」を描くことができる強力なアイテムです。
しかし雨がっぱ少女群先生は、この世界そのものをも「見たことのない場所」から描いています。
それは読者が気づかない位置から、この世界を見る視点を持っているからにほかなりません。


「団地の子」より
ハッピーエンドなんです。とても女の子もかわいらしい作品なんです。
しかし帰り道に見えるありふれたマンションの様子がこうなってしまうのは圧巻としか言いようがありません。ちゃんと本編を最初から読むと、なぜそう見えるのかも少しだけ分かります。
そしてこれが、男性視点なのも重要でしょう。見てのとおり右側がゆがんでいるのは、左側に男がいるからです。が、もちろんここまでゆがむことはありません。強調のデフォルメも含まれています。
つまり、この幼い女の子と青年の関係の中で、少女が華奢で弱弱しくも、はるかに強い存在になっているのです。そだからこそ少女を取り囲む視線は、少女を含んだ光景として「見たことのない世界」として飛び込んできます。


少女は確かに物語の中心にすえられていますが、同時に繊細なまでに書き込まれた背景によって世界の一部にもなっています。
雨がっぱ少女群先生の作品は、当然ではあるんですが「少女がいるから」こそのマンガだと思います。そこに少女がいるから、作者の目を通してみた陰鬱だったり輝いたりするまったく知らない世界を見ることができるのです。
 

●そしてどこへ進むかは誰にもわからない●

雨がっぱ少女群先生自身、LOのお絵かき掲示板内でどの方向に進むか今非常に苦心しておられるようです。
求められているものと作りたいものと、できてくる作品とのギャップでいかに苦しむのかと言うのは作る側でなければ分からない点だと思います。産みの苦しみここにあり。
しかしそれらもすべて含めて、その感受性の強さこそが雨がっぱ少女群先生に魂の根っこの部分から惹かれる部分でもあります。

明るいエッチな話もとても楽しいです。暗く悩み苦しむ話も魅了してくれます。
そしてどちらも、この世界にあってわれわれが見ることのできない「何か」を雨がっぱ少女群先生は見て、描いているのでしょう。少なくとも毎号描かれる絵図の個性は、簡単に思いついて描けるようなものではありません。
 
雨がっぱ少女群先生が納得のいく作品を産み出していってほしい、とファンとしては心から思うのですが、同時にその過程をもファンは今受け取ることができるのです。
改めてペンネームの「雨がっぱ少女群」の名前が心にきます。
作者は今、どこからどんな少女群を見ているのでしょうか。
 
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