たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

ぼくらをいたぶるような「カリスマ少女」たちが悩む時・悩まない時。

●男性と少女の主従関係●

男の人と少女が並んで立っている図があるとします。
たいていの場合、力関係的には「男性>少女」と見えてしまいます。まあそれは現実なのでどうしようもありません。そういう連想は世界中でほとんどの人間が普遍的に持っているものです。
しかし、これがアニメやマンガの世界だと逆転するから愉快痛快。
女の子に男の子が、成人男性が、従属状態になるのです。そして高らかに少女に笑われながら、もうどうしようもないくらいにひれ伏すのです。
 
Mですか!
Mですねえ。Mじゃん。
 
別に「オタク」と呼ばれる趣味の人がみながMなわけでは決してないです。単にそのような「少女つえー」とか「ぅゎょぅι゛ょっょぃ」という状況が、アニメ・マンガ・ゲームくらいでしかないから必然的に偏りがちなだけです。
が、楽しみ方としては確かにMっけ強し。思いっきり「○○様!」と頭を空っぽにして崇め奉ると、なんだか脳内ハッピーな気分になります。
しかし、えらそうにしまくっている少女を見る視線は本当に「M」っぽさだけなんでしょうか。
 

●えらそうな少女の気苦労●

えらそうな少女・カリスマ少女は今、一大ジャンルのようにもなっているので、大まかにまとめてみます。


1、誰にも臆することがない。誰に対しても基本えらそう。
2、言葉遣いが独特な場合が多い。「〜〜じゃ!」など。
3、特に男性に対して気が強い。
4、必ずしもツンデレとは限らない(ツンだけの場合も多い)
5、場合によっては口にするだけの実力の持ち主の場合もある。

ヒロインだけではなくサブキャラまで含めると、かなりの数のえらそうな少女がいると思います。
 
さて、それを踏まえて、WEB拍手より。

「えらそうな少女」「カリスマ少女」と聞いて、自分は舞乙HiMEのマシロ女王が思い浮かびました。
思えば、珠晶もマシロ女王も並大抵でない苦労を乗り越えてるんですよね。
艱難辛苦を経験し成長した、「えらそうな少女」「カリスマ少女」はより一層輝きを増すのですね。

ですよね!
えらそうなだけではなくて、ちょっと何かしらの過去があったり悲しみや悩みを抱えていた方が、より一層魅力が引き立ちます。
ひっくり返すと、えらそうであることの大義名分にもなりえます。
なんでこの子こんなに気が強いの?ツンデレとかそういうことお母さんよくわからないよ。そんな「キツい子はキツいでしょう、やな性格ねえ」と思う方も実はいっぱいいらっしゃると思うのです。
しかしその子が複雑な過去を抱えていたり、ストレス社会に生きていたら「納得」できるんですよね。むしろそのキツさも含めて「愛しさ」すら沸いてきます。
 
ここが作品の魅力にも直結してきます。
人間像を描く場合にその「深み」は、過去の描写や苦悩によって味付けされていきます。そもそも悩まない人間なんてそうそういないのですが、感情の「起」があるのはその分の「伏」があるからです。
 

●苦労しているえらそうな君に、ぼくはお仕えいたします。●

えらそうな少女がいっぱいいっぱいに気を張っている状態は、非常に健気です。
と書くと、とても上から目線なんですよね実際。

たとえば、今話題になっている「百舌谷さん逆上す」のヒロイン、百舌谷さんを見てみます。

関連・ツンデレという名の病。「百舌谷さん逆上する」
ツンデレ病を描くコメディなのですが、根幹に眠っているのは上から目線で見る「属性」の複雑さと、少女の答えのない心理です。
彼女は確かに「病気」としてツンデレ…というか猛烈にえらそうになってしまう難儀な性格なのですが、おかげで彼女の本当の気持ちは誰にもわからないんです。このへん読めば読むほど「何が人間の感情を伝えるんだろう?」という問いがにじみ出てきて、とても面白いです。「ナツノクモ」の時の、ネットゲームのキャラクターの外装と通じるものがありますね、形式化した属性って。あるいはコミュニケーション不全、の方が意味合いとしては強いでしょうか。このへんはまた別で。
 
百舌谷さんはえらそうだし、きっついこと言うし、暴力も振るうんですが、悩んでいることは悩んでいると言います。そしてその悩みは誰にもわかりません。ほかのキャラだってわかりようが無いし、読者ですらわかりません。まるで「うそつき村人が言っているのは嘘なのか本当なのか」みたいな。
しかし百舌谷さんは一生懸命なんですよ。だから「どっちだかわからないけどとにかくかわいい、守ってあげたい」という感覚がなぜか働きます。
父性や母性?あるいは動物をかわいがるかのような感覚?
いずれにしてもそこに働くのは「守る」「相手に力添えする」という上からの視点か、「応援」の視点です。これが 「かわいい」という言葉になるなら、前者でしょう。
 
ハヤテのごとく!」のナギとハヤテの関係なんかはその最たるものだと思います。もうけなげでどうしようもなくかわいくて、えらそうなんだけど助力してさしあげますご主人様。
「主従萌え」とでも言うのでしょうか。その内側にあるのは「助けてあげたい」「守ってあげたい」という、やはり何らかの上から見つめる視点が含まれるのでしょう。「電脳コイル」のイサコ様なんかはストーリーの重みも加わって、非常にかわいらしいキャラとして完成していたと今も思います。
 

●だがしかし、主導権は私がにぎるわよ!●

はて、カリスマ少女はみんなが悩んでいるわけじゃないです。半分近くはまったく悩んですらいません
そんなビーム平気のような強靭さと直線的な貫通力がカリスマ少女の魅力でもあります。先ほどのを「愛でる苦悩型」だとしたらこちらは「ひたすら少女が振り回す型」です。
ここには「助けてあげる」はありません。「助けてさしあげる」という完全に下から目線になります。
もしかしたら助力すらも余計かもしれません、その時は罵ってください!踏んでください!
 
ちょっと興奮しすぎました。
この点で有名なのは、笹倉綾人先生が描く「小宮山さん」シリーズ。エロマンガという、キャラ名があまり話題にならない世界でも、本当の意味でカリスマ的な人気を誇ります。

笹倉先生の作品にはほかにも多くのカリスマ少女が男性を完全リードする話があるのですが、小宮山さんは別格すぎます。あらゆる男を性的な意味も含めて完璧に「男として鍛える」上に、男どもを心の底まで魅了してしまうという、まさにカリスマ。
彼女には一点の悩みも曇りもありません。デフォルメされた性格ではありますが、むしろその迷いの無さが魅力です。読んだあと、小宮山さんにかなう気がしなくなります。いやまじで。これだけ完璧な、できすぎたほどのカリスマ少女もなかなかいないです。
ここまで極端だと、本当に心の底から何も考えず「振り回して!」という受け身な感覚を楽しめます。Mですねえ。いいじゃんMで。
 
加えて、悩みのないタイプのカリスマっ子でも、何らかの弱点があると「かわいらしい」という上から目線に一気にシフトチェンジします。「サイバーボッツ」のデビロット姫がドジで幼かったり、老人に恋しちゃったりするあたりは「かわいい」です。また「アルカナハート」のきら様が天才科学者にもかかわらず、言動や思考が幼稚だったりおねしょしちゃうあたりはやはり「かわいい」です。
そんな幼さに振り回されるM的な楽しみ方もありますし、小動物がささやかにほえるのを愛でるような感覚で見るのもありでしょう。
 
もっとも「かわいい」と上から目線で見ていても、魅了されたらするりと抜け出して、すっかり手の届かないところに行ってしまうのですが。
ああ君のいる場所にいけない、ただ天真爛漫に怒ったり罵ったりしてくださいな。私はただただお仕えいたします。
そんな偶像への主従体験も、二次元だからこその遊戯です。
ただただ、えらそうな少女に罵られて踏まれている図を見るだけでどきどきわくわくしてしまう「ダメな自分」もまた、楽しめちゃうんだな。もう、その少女がこの世のすべてみたいに擬似的に思えちゃうんだな
人には言えない内緒の趣味だね!(言ってますが)
 

「少女流幸福攫取論」が小宮山さんのメインの話しで、たいらんと・ぱにっしゅで一編だけ描かれています。たいらんと〜では文字通りのアイドルの話や、先生を振り回す小学校の生徒の話、前作から続いての娘のマナに振り回される話など、男振り回されまくり。こういう問答無用な少女主導の話は見ていて爽快です。
 
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