たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

御免なさい先生の少女地獄極楽図絵巻

●極楽絵図●

1月前くらいに発売された御免なさい先生の作品集「おませで御免!」なんですが、なんせこの作品表紙が目立つの何の。ドぎついエロ表紙なわけではないんですが、とにかく異彩を放つというか、一回見たら忘れられなさすぎです。

色使いが激しいの何の。赤と青と黄色を意図的に詰め込んだ配色の中、妙になまっちろい女の子と黒髪、赤いひざ小僧がギラギラしています。
目に優しいとかそんなのはどうでもいいのです。むしろ目に優しくないこの突き抜け方こそが、この200ページ近い本を象徴しているかのようです。
 
エロマンガってそもそも「エロいもの見たい」人(自分とか)にとっては、四角い空間に閉じ込められた極楽なわけですよ。
自分も基本はまったりラブラブが好きなのですが、時には極端に、さらに激しく強烈に鮮烈に突き詰めて、詰め込んで、煮出して濃縮して還元しないくらいのが見たいわけです。1話でおなかいっぱいになりそうな…いや、一コマでおなかいっぱいになりそうなのを。
この本はそういう意味では「少女極楽」です。
 
極楽という言葉が、そもそも徳を積んでうんちゃらかんちゃらをすっとばして、「とにかく幸せなところ」「幸せに満ちまくった場所」という意味になりつつある昨今。ロリコン魂を持ち、快楽追求に余念のない人間(かつ紳士)にとっては、難しいことを考えずにあらゆるものを受け止めてくれる少女に「ありがとう極楽」みたいな部分も少なからずあります。それを越えて愛着や愛情みたいなものも感じていくのですが、やはり入り口には「少女を描こう」という強烈な欲求があるほど、見る人の心に少女極楽は生まれます。
そういう意味でも、御免なさい先生は、「少女を煮詰めた」ような絵を描く人だと思います。煮詰めまくった結果、「少女」ではない「少女以上の何か」になっています。
 

●御免なさい先生絵の少女感覚●

「ロリに目覚めてしまった」とか「ロリ好きなら見ておくべき」という評価が多かった本作、逆に「ロリじゃない人は見ないほうがいいかもしれない」という意見もあるのが面白いところ。
ロリ系マンガはおしなべてそういう部分はありますが、それでも「ロリじゃなくても楽しめる」という作品が多い中、これはちょっと異彩を放っている気がしますが、納得いく人は多いのではないかと。
 
そのへんの説明のためにちょっと絵を引用してみます。

たとえばこのコマ。見ていて明らかに何か特殊なオーラを感じます。
まず体がいい具合にアンバランスです。それは中途半端に育ちかけの少女の体がバランスを保てないことを示唆しているかのようです。特に腕の細さひざ小僧はこの作家さんの強い個性です。
とにかく骨格が華奢なんですよ。そして頭が大きくてぐらぐらしていて、体を支えられなさそうなほどかりかりしています。そして着ている服はぶかぶか。

この子も非常にそのにおいが強く詰まっています。先ほどの少女以上に、服装のセンスや小物に少女臭が詰まっています。このへんがまさに「少女を煮詰めた」汁になっています。
 
御免なさい先生の描く女の子たちは「少女を描こう」という気迫に満ち溢れています。1コマずつ全部。ここまで記号的に少女少女少女と突き詰めるのは並大抵のことじゃありませんヨ。
加えて、ポップな衣装ではあっても、体の成長具合が非常に昭和初期的です。栄養をきちんと取れていなかった時期の子のように成長が半端です。鼻水たらしたり。
ここが先ほどの「ロリに目覚める」という部分にもつながっていきます。そんなアンバラスな子がここまでラブラブに!というスリルとワクワク感。極端に面白いセリフまわしもあいまって、とにかく1コマ1コマの少女濃度がまあ濃いこと。
 
なので、自分も大好きではあるのですが「ロリじゃなくて」「エロマンガ経験はそんなにない人」にはどうにも薦めずらいです。濃すぎてげっぷ出るかもしれません。
そこが…そこが!いいんだけれども。先ほども書いたように、少女以上に「少女ではないなにか」が詰め合わせになって百花繚乱状態。

「いもうとロリボDX」より。
新しいのにレトロなフューチャー。この味はなんとも不思議です。ロボットなのにやたら生々しくロリしているのも不思議な感覚を呼び覚まします。
余談ですがロリボが100万なのは安すぎるよ。がんばって買っちゃおうかと働くよ。
 

●少女のいる光景●

こんだけ濃いと少女極楽に溺れてしまいそうなのですが、すこんと抜く部分があるのも特徴的。

この少女の猫背がまたなんとも独特です。
少女は「そこにいる」だけで空気を変える存在、としても描かれています。このへんは視点が徹底して、少女を愛する(性的な意味も含めて)青年からのものなためです。
先ほどの「ロリコンじゃない人は楽しみきれない」というのはこの部分にもかかわってきます。それだけ視点が少女寄りになると、逆に子供っぽさも強くなります。なので「むしろペドっぽく見える」という拒絶感が生まれる人も多そうです。
つまり。それはほめ言葉なわけです、エロマンガにとっては。それだけ要素が濃いってことですもの。
 

●少女地獄絵図●

はて、ここまで来ると漠然と不安を感じるかもしれません。そりゃもう本体は比較的ラブラブハッピーエンドが多い幸せ祭りなんですが、どうにも絵を見ていると、少女の肢体のようにどことなくアンバランスで奇妙な感覚が芽生えてきます。

表紙は先に載せたようにとにかくど派手な極楽ですが、めくったところにあるイラストにはぼんやりとした死の重みが湛えています。煩悩に満ちた世界が「此岸(しがん)」ならば、こちらはその向こう側にある「彼岸」です。
このトンネルの向こうは何なのだろう。
煩悩とか性欲とかが激しく詰まった世界を超えて通り過ぎたところにあるものを見つめた時に、そこにあるのは何なのだろう?
そんなはっきりとしない得たいの知れなさが心に奇妙な感覚を芽生えさせます。どこまでもエロと少女の匂いでパンパンの世界だからこそ、反動で不可思議な死の香りがぷんぷんするんです。個人的にはですが。
 
以前ラジオでこの話した時は「エロスが強いほどタナトスの香りがする」という意見があったのですが、それには納得しました。
もう爆発するくらいパンパンにエロいと、逆に死の空気の意識が読者側に芽生えることがあります。作品によってはエロスが生命賛歌にもなります。御免なさい先生はそれを見据えながらも、意図的に「彼岸」の、性と生の向こう側を冷静に見つめながら、あえてエロス濃度をあげている気がしてならないのです。
 
話自体はメガストアのロリマンガらしく、幸せいっぱい夢いっぱいなので安心してください。

その中に時々ふっと入る、青年が見る少女のイメージ像。とてもかよわく細く、どうしようもないくらい小さいのだけれども。
煩悩を全部飲み込んだ少女たちがいざなう場所はどこなのでしょう。
 

とにかく読んだあと色々言いたいことがあふれてしまう傑作。ロリじゃない人だと確かにストライクしないかもしれないですが、マンガ表現としてかなり特殊な作品だと思います。コマひとつひとつからにじむ郷愁にも近い感覚が、陶酔感を増幅させます。
御免なさい先生のマスコットガール(?)「残虐少女」を見てから読むと一気に視野が変わる作品でもあると思います。
いっそ残虐少女が残虐のかぎりをつくす作品で一冊できないかなあと思うのでは自分だけでしょうか。
あるいは、今度は死と破壊の匂いをぱんっぱんに詰め込んだ作品集を。そうすると逆にエロくなると思うんだけれども。
少女の持つエロス・タナトスの担い手としては、三浦傷ィ冬先生や雨がっぱ少女群先生がいると思いますが、徹底して少女を描くことで絶望や不安を抱かせながら切ない気分にさせるこのジャンルは、ぜひともしっかり育てていってほしいと願うばかりです。
 
〜関連リンク〜
平行奇塊学論
御免なさい先生のサイト。残虐少女は必見です。見るべき。
御免なさい『おませで御免!』(ヘドバンしながらエロ漫画!)
かなりしっかり感想がまとまっているので、きちんとした感想が読みたい人にはこちらオススメ。