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「【獄・】さよなら絶望先生」とヤン・シュヴァンクマイエル〜モノの持つエロティシズム〜

さっきの続きです。

●躁のラビリンス●

ベースになっているのは「俗」の時の絶望先生のOPなんですが、もう原型とどめていないっぷりがすごいのなんの。

このように切り貼りした絵をかなり小まめに動かし続ける、とてもカオスな内容になっています。
 
色遣いがとにかく赤みを帯びているため、見ていてとても不安定になります。
動いていない瞬間が可符香のシーンしかないため、落ち着きません。
そして、「グロテスク」をコラージュして、妙にかさかさした印象を与えています。
 
一見すると気が狂ったかのような展開なんですが、これちゃんと前ふりあったんですよね。

第一期が「鬱」だったのに対し、第二期は「躁」がテーマでした。
いわば、この光景は躁状態で落ち着かない感覚を絵にしたもの、と思って見て見るといいと思います。
バッドトリップみたいに見えるかもしれませんが、見ていて妙に落ち着くなあと感じる人はどこかでデジャヴな経験があるのかもしれません。実際の病気じゃなくても、ナチュラルハイな時とかですね。
 
さよなら絶望先生」は基本「鬱」が漂う漫画です。しかし躁と鬱は隣り合わせ、実質根底に流れているパワーは躁の方が強めでもあります。千里ちゃんとかまといとか、あのへんです。糸色先生も、負のエナジーが一定点を超えると比較的躁状態になります。

あの感動のシーンも一転して悪夢のような光景に。
妙にビビッドな色が目に痛いです。
ただ、彼ら彼女らの脳内でこれらが通常状態ではない、とは言い切れないのもまた事実。
ただただ、びくびくと動き続けるのを、狂乱の中見つめるだけ。
 

人形アニメーションの魔術●

はて、今回のOPの面白さは、やはり人形アニメーションのテクニックを存分に生かしたことだと思います。
クレイアニメのようなかわいらしさの演出にももってこいなのですが、やはり「無機物が有機物になって動く」というグロテスクさ、エロティックさを人形アニメーションは持ち合わせています。
 
ふとそこで思い出されるのが、チェコ人形アニメの魔術師、ヤン・シュヴァンクマイエルです。
ヤン・シュヴァンクマイエル(wikipedia)
一番有名なのは「アリス」でしょうね。

「シュール」の一言で片付けるにはあまりにも特異な世界を描くこの人形作家。
特徴として箇条書きにしていくと…。


1、人間とモノが同列の扱いになっている
2、人と人、人とモノの境界線がとても曖昧
3、体が破壊されて、中から内臓ではなく物体がこぼれ落ちる描写が秀逸
4、食べるという行為や食物を極めてグロテスクな行為として描く
5、グロテスクの持つユーモアを悪意的に楽しめる
6、物体の持つエロティシズムを前面に押し出している

などなど。
動き回る肉片の気持ち悪さや、腹から砂をこぼれさせつづけるウサギは、とにかく見ていてインパクトがあります。
 

●物体のもつエロス●

今回の絶望先生OPは、そのヤン・シュヴァンクマイエルの意志を見事にパロディにしていると思います。いや、リスペクト?

まずキャラクターがみな物体化しており、人間らしい挙動をしているのが可符香と糸色先生くらいしかいないんですよ。
しかし、この千里を見て、クリーチャー状態なのに妙にエロティックなものを感じるじゃないですか。
人間がモノになって、極端な記号化をされるとき、とても性的な面がクローズアップされます。

このシーンもそうですね。ものすごいスピードでまといの顔が変わるのですが、髪型とおかしな切り抜きでぱたぱた変わるだけなのに、間違いなく「そのキャラ」なのを観客は認識します。
 
この手法は、「人を記号化してモノにした」のではなく、「モノを人にして、同列に扱っている」と言う方が正しいかもしれません。
そもそもアニメーションというのは、モノを人にしていく作業ですし。
 
この点に関してヤン・シュヴァンクマイエルは、モノにエロスを与える天才でした。
とにかくきれいな物体を使わない。汚れたモノをそのまま並べ、ヒトを作っていきます。だからこそ「モノ」でしかないのにえらく生々しくて、記号化されているためとてもエロティックなんです。

絶望先生OPでもその精神を上手くとりこんでいます。
使われている紙はみんな薄汚れていて、とても「きれい」ではありません。
また色使いもとても攻撃的で、意識して相手に嫌悪感を抱かせる色彩を放っています。
そして右側のまとい(原型とどめてねーな!)のように
「人間(キャラクター)」→「物体化」→「物体で人間を組み立てる」
という遠回りの作業を経ています。
 

●こぼれ落ちる世界●

今回のOPでとても大好きなのがここ。

キャラクターの首が切断されて、うつろにあいている目・口の穴からはぼろぼろとキャラクターを切り刻んだ「モノ」がこぼれ落ちるというシーン。
穴からいろいろなモノが飛び出すことで、モノであることを強調しつつグロテスクに描く。ヤン・シュヴァンクマイエルが様々な角度で使った手法でもあります。
口からこぼれおちる気持ち悪さは、ヤン・シュヴァンクマイエルが「食べる」ことをグロテスクに描いたのともよく似ています。
 
人間不思議なもので、やっぱり穴とか切れ目ってものすごい反応しめしちゃうんですよ。ほら、人形に穴あいてたり、破けていたりしたらなんだか不快感あふれてくるじゃないですか。人形じゃなくてもいいです。紙に穴が開いているだけで不安になります。
そこからいろいろなものが出てくることは、その穴が性と生を持ったとすら言えます。
このマリア太郎は首が切れているわけですが、生を一旦捨てて物体化したことで、さらなる生のエロスを持ち合わせることになります。
 
このOPのためだけに、DVD付き買ってもいいです。
きれいな画質で見るとわかるのですが、コラージュに使っている紙もこっていますし、顔がぱたぱた変わるシーンは絵の具塗りをするという凝りようです。
うん、デジタルのを出力したのちぎるだけじゃ、このモノっぽさは演出できないですものね。
アナログ作業に立ち返り、物体にこだわることで「モノのエロス」に挑もうとしたことに拍手を送りたいです。ビバ!
 

シュヴァンクマイエルの世界
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グロエロかわいい薄汚れたモノたちに興味がある人は、ヤン・シュヴァンクマイエル作品は是非一見の価値ありです。あとは手に入りずらいですが、ブラザーズ・クエイもオススメ。
ヤン・シュヴァンクマイエルについての本で読みやすいのは、「夜想 2−:+」の特集。こちらはオフィシャルサイトで手に入るので是非。


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劇団イヌカレー
どうやらここの仕業らしい。デチューンといってますが、どう見ても力入りすぎです。