たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

偽善だと分かっていても、僕はトリエラを守るヒルシャーを見たい。「GUNSLINGER GIRL 10巻」

●はまりこむほど苦しみもがく●

自分はもう「GUNSLINGER GIRL」が好きで好きで仕方ないわけです。
しかしこの話は好きになればなるほど、残酷極まりなくなります。
うん、まあ、実際に少女達の扱いが残酷だってのもあるし、たくさんの人が理不尽に死んでいくし、時間は失われていくから。
でも本当に残酷なのはそこじゃない。この少女と大人のキャラクターにのめりこむほどに、自分がいかにこのえげつない世界に安堵感を得ているかをまざまざと見せつけられるからです。
 
はて、えげつないってのはどのへんかというと。
ネタバレになりそうなので曖昧に書いておきます。

・身体的な痛み
・幼い少女をきれいに描くことで美学的になっている部分
・何が正しいのかをぐちゃぐちゃにさせる設定

などなど。
 
実際、幼い女の子が大きな大人と組んで人を殺して、少女が「今日は5人殺したよ!」って喜ぶ光景はすげーかわいいわけですよ。
文字にするとひどいけど、絵で見るとこんなにキャッチーで美しくなっちゃうんだもの。戦闘少女の系譜と、女性従属の構図がうまくかみ合った瞬間です。
しかもその少女達はいためつけられて、過去にはひどい目にあっていて、戦場で戦って。
それをながめてセンチメンタリズム(?)にひたるたぁ何事ですか。ああひどいひどい。
でも、そこに惹かれる気持ちって、限りなく自己愛に近い愛情だったりするのよね。
それに気づかされるのが、もっともこの作品の残酷なところ。
 

●特殊な立ち位置のトリエラ●

ペトラ編になってから、少女が曖昧な個のマシーンではなくて一人の生き生きとした女性になり、ガンスリもずいぶん変化しました。対等に戦うパートナーになってます。
一期生のリコは完全にジャンさんの道具と化しています。ヘンリエッタは時々芽生える自我と、ロボットのように忠実な体と、失われていく時間に日々おびえています。これが擬体の姿。
そんな中、ペトラほど個を保っておらず、エッタほど条件に責めさいなまれないのがトリエラです。
褐色の肌、長い金髪のツインテール、生き生きとした言動。そして戦い、舞い、突き進む姿。ぼくら美少女好きの心をつかんで離さない、ある意味完璧な「少女像」でした。

この少女がここまで、まるで絵に描いた理想のようになっていったのは、紛れもなく担当官のヒルシャーの影響によるものでした。
ロボットのようにしたくない。この子を救いたい。せめて人間らしくあってほしい。
不器用で、真面目で、裏表がなくて。
そんなヒルシャーもまた、どこまでも理想のような男性でした。人間、不器用なキャラクターに弱いのよね。
 

ヒルシャーの感情●

ジャンはリコを道具にしている。ジョゼはヘンリエッタを妹にしている。
10巻はそんなわけで、対等な人間でありたいと願い続けるヒルシャーとトリエラがメインです。
そこで読者は「ヒルシャー視点」と「トリエラ視点」の二つ同時に読むことになります。
 
このヒルシャーという男は本当にできすぎたくらいに魅力的です。
いわゆる一般論的な「正義」っぽいものを信じています。感情で言うと「救う」とか「守る」を最優位にたてています。だけどそれをうまくやりこなすテクニックがないので、馬鹿正直で苦労します。
なんだか、とっても日本男児美学に近い物を感じてならないわけですよ。「不器用ですから」っていう、あれです。

ほんとに要領は悪いです。それが同情へと昇華して、ぐっと読者の心をつかみます。
 
しかしふと離れた位置から見ると、彼の中で信じている物がわからなくなってくるわけですよ。
ヒルシャーは人一倍冷静に見えますが、誰よりもとても感情的で、理論よりも感覚で動きます。
そんな中、なぜ彼はトリエラを、自分を犠牲にしてまで助けようとするのか。

ちょっとここはとても鍵になるページなので抜き出してみます。実際に何が起きたかは手に取って読んでください。
 
彼が見ているものが時々こうして、単純であるが故にわからなくなります。
間違いなくヒルシャーはトリエラを愛しているでしょう。でもその愛ってなに?
それが「死にそうだった、そして死にゆく彼女を僕が守らなければ行けない」という自分への使命感なのか、それともトリエラという一人の人間を心から愛し守ろうとする男の姿なのか、とても判断に迷います。
もっとも、彼自身そこまで考えていない気もするんですよね。
彼はきっとこれからも自分を投げ打ち、苦労して、トリエラを守り続けるでしょう。そして僕らはそれを見てどうしようもないくらい心がうちひしがれるでしょう。
しかしヒルシャーのそれは「少女」だったからなのか、「トリエラ」だったからなのか、考えるほどに分からなくなっていきます。
彼の中には悲しさと美しさの中に、人間が持つ一番分からない感情がねじこまれています。
自己愛か、他者愛か。
それは、読者である僕らにとっても。
 

●偽善とエゴと感傷と…でも。●

ヒルシャー視点は、上記の二つのどちらかは明確にせず、ただ突き進みます。
しかしほのめかす言葉も出てきます。ヒルシャーの過去の同僚の言葉。
「エゴのために命を救って、結果苦しめるかも」
ヒルシャーのやっている正義に見えることも、実は少女達を苦しめる結果になっているかもしれない。ならいっそジャンのように、冷酷に道具として使った方がいっそすっきりするじゃないか。
ふと頭に浮かびます。
「偽善」の文字が。
 
トリエラはもしかしたら、ヒルシャー以上にそれをよくわかっているのではないかという気がします。
彼女視点で見たヒルシャーが今回きっちり描かれるんですが。今までの経緯もあって、どこまでが本気で、どこまでがただの同情か分からないわけですよ。ましてやまわりの子と自分の扱いが違うことも感じています。
それでいて、中途半端に「条件付け(いわば洗脳)」が入っているからやっかい。
私は戦うためにいます。私を役立ててください。なぜ私を使わないんですか?!
私は、ただのお荷物ですか?
 

彼女はとにかくヒルシャーを見るたびにいろんな感情に責めさいなまれるのですよ。
私がいるからこの人は苦しむんだ。私が守らなければ。いやしかし私が守られるのか?私は戦うためにいる。ヒルシャーさんは私に戦うなと言う。私は何をしたいんだろう、私は、なぜこの人といるんだろう。
もう一度、先ほどのコマ。

彼女は他の一期生に比べて極めて自我が強いのに、それでもそれは自我じゃない。
だからこそ、彼女が何らかの感情を抱いてしまう時に、どうにもならない葛藤が生まれます。
それを見て僕らは息が詰まってしまうのですが、じゃあどうすればいいの?という答えが全く出てこないんです。
 
この本を読み始めたときから、読者側の欺瞞は暴かれるのが分かっていたのかもしれません。
ヒルシャーを見て同情する自分、トリエラを見て苦しむ自分。そんな自分に気づいてもなにもできない自分。
だけどトリエラが好き。ヒルシャーが好き。
気がつけば、自己愛の中で八方ふさがりになっている自分に気づきます。それなのに、どきりとした心や惹かれた気持ちはどうにも否定ができません。
 
終わりがくるのも、1巻の最初から分かっています。いつか死ぬんです。記憶も失うんです。何もかもなくなるんです。
大人はどんなにいい人ぶっても、結局にせものの少女を従属させているだけです。救おうとするエゴが逆に苦しめる結果になっているのかもしれません。
ここまで来て、ハッピーエンドを望むのかい?なあ、偽善者の自分よ。いっそばらばらに壊してしまった方が欲望に忠実なんじゃないかい?見たいんだろう?
 

●自分のエゴを認めた上で●

これはひいき目でしかないんですが、ヒルシャーって実は自分のエゴのこと気づいているんじゃないかって気がするんです。
そして、ガンスリファンの中のたくさんの人は、自分たちがもっているエゴと、鏡に映したような自己愛を認めた上で、この作品を読み続けている気がしてならないのです。
 
実際、先ほどのセリフにもあったように、この作品の中で少女を愛することはエゴです。
子供だし、女の子だし。少女じゃなかったらどうなの、と問われると言葉に詰まります。多分この作品の少女達に涙を流してしまう自分は「キショい」って言われちゃいます。かわいそうとか言ってフィギュア買っちゃって、キショい!
 
それでも、ごめん、好きなんだ。
ヒルシャーがバカみたいに不器用な男ぶってて、トリエラが感情を理解できないままその横に寄り添っているのが。

この関係はとても魅力的に映りつつ、とても閉鎖しています。そして「見たいものを見ている」というこちら側のエゴを鏡に映します。彼らががんばるほどに跳ね返ってきます。
それでも、ごめん、見たいんだそれ。
ヒルシャーが必死に戦ってトリエラを守り、トリエラが必死に戦ってヒルシャーを守って、できるだけ生きていこうとするあがきを。それが最善かどうかなんてわからないけど。いや、最善ではないだろうけれども。
 
だって、この表紙見たらそうとしか思えなくなるじゃないか。


きっと、これからますますこちらのエゴをひっぺがしてくるでしょう。だけどもね、それが偽物の人格の作ったよくわからない涙かもしれないけど、大人のエゴかもしれないけど、ここから目を離すことはやっぱり出来ないんだわ。
自分に向き合う覚悟は出来ました。相田先生、これからもよろしくお願いします。
 
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〜関連リンク〜
『GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 聖なる残酷さ〜美しいが納得できない世界観(物語三昧)