たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「女の子だらけ」作品の、閉じた楽園で君はどのキャラを愛するの?

『苺ましまろ』で好きなキャラとか聞かれると、すごく困る件(犬の本棚)
リンク先を見てもらうと分かると思いますが、「苺ましまろ」は強烈なキャラ萌え性をもった作品にもかかわらず、選べないというジレンマのお話。
これは一見「そりゃ作品が好きだからでしょう」という解答もあるのですが、他の「女の子だらけマンガ」にも共通する事項なので、考えてみると興味深いです。
といってもハーレムものではありません。近年でいえば「ストライク・ウィッチーズ」、また「あずまんが大王」や「ひだまりスケッチ」「トリコロ」「らき☆すた」などなど。きらら系4コマには特に多いです。
もちろん、見る人によっては「このキャラが一番!!」というのは絶対あるわけです。自分でいえばエーリカかわいいなあエーリカに笑われながら罵られたいなあ、とか思うわけです。
じゃああの女の子集団にはいりたいのか?と言われると自分の場合はNO。
ウィッチーズはみんなそろってこそのウィッチーズで、それを全体から俯瞰して見ている視点の場合もあります。苺ましまろも同様で「千佳」というキャラに視点が仮に行ったとしても、それはあくまでも「苺ましまろ世界の中の千佳」を見ていることになります。
場合によってですが、どうしても感情移入して入り込む以前に、箱庭を眺める視点が先立ってしまうことがあるのです。
 

●男性不在の「百合的世界」●

上記の作品群は二次創作で「百合」として描かれることがよくあります。
しかし実際に百合設定なキャラってそんなに多くはないんですよね。いることはいるけど、別のカップリングを作るのが楽しかったりします。あるいは百合でもなんでもない組み合わせなんだけど「このシーンのこれは愛だよね!」的なニヤニヤ感です。
 
これは「男性不在」なのが大きく影響しています。*1
そもそも作品において「男性不在」を前面に押し出すのは、偶然の産物ではありません。作家側が何らかの意図でそうしていると考えていいでしょう。
メリットとしては以下の点があげられます。
 

・「かわいいものだけ見たい」欲求を満たす。
・がつがつした無用の性欲を一旦排除できる。
・外側から愛でる箱庭感覚を味わえる。

一つ目はまあ、「女の子しか描きたくない!」というかっこいい作家さんもいるので、十分ありえます。
はて、特に三つ目のがトリックになってきます。
たとえば「苺ましまろ」に男のにおいをさせたキャラが出てきたとしましょう。そうだなあ…茉莉ちゃんとお互い惹かれ合っているような少年キャラがいると仮定します。茉莉ちゃんがその少年にお熱だとします。
こうなると一気に作品の方向は変わってしまいます。もちろんマンガが面白くなくなることはおそらくないと思われますが、「女の子だけでゆったりする空間」の魅力は少なくともなくなります。
でも実際には「苺ましまろ」の世界にも当然たくさんの男子がいますし(笹塚とか)、千佳や美羽レベルに明るい子なら接触は大きいはずです。ですが、描写されません。
 
こうすることによって、「子供の視野」を再現することができます。
子供の見える「社会」の大きさは、「家族→友人→クラス→学校→社会→世界」と広がっていきます。ちょうどその「友人」か「家族」のレベルでストップさせることがマンガはできるわけです。
そのため、外側の「社会を知っている人間」からすると、目に映る相手が親しい友人ばかりなために、とても「密着性」が高く見えます。
それが「疑似百合」の感覚を生んでいくのです。
実際は、自分たちが子供の頃に好きだった友人との距離の再現、かもしれませんが。
 

●好きなキャラ・好きな世界●

先の記事にもありましたが、エヴァの場合は「アスカが好き!」という人はそこまでレイにこだわりません。あ、これ自分のことですアスカ大好き。
しかし、「苺ましまろ」だと「千佳が好き!でも千佳とかけあう美羽もすき。それを茉莉とアナが見ているのが好き。伸枝ねーちゃんは結婚したいけど保護者でいて欲しい」という「あれもこれも好き」が生まれます。誤解を招きそうな書き方になりますが、属性で選んでないんですよね。作品そのものの空間が好き、ということになります。
 
どうもこの感覚がわかりずらいと思う人もいるかもしれませんので例として。
「ジェットコースターが好き」という人と「ディズニー●ンドが好き」という人の違いだと思うといいかもしれません。
ジェットコースターが好きな人は、色々なジェットコースターに乗ります。
ディ●ニーランドが好きな人は、その中の好きなアトラクションはあるかもしれませんが、その存在自体が好きです。
一つのコンセプトで作り上げ、他の思考を排除することで完璧な世界を作るディズニーランドの、いい意味での「閉鎖性」は、もしかしたら疑似百合的な「少女だらけ作品」の感覚と似ているのかもしれません。
いくら人気があったからと言っても、ディズ●ーランドにキティちゃんはいらないのです。
それと同様に、少女だらけ作品にイケメン男子はいらない、のかもしれません。
ジェットコースター好きの人と同様の感覚の場合は、「幼なじみキャラにはきゅんとくる」とか「ツンデレには弱い」などの属性好みをする人も多いかもしれませんね。
 
さて、以前も何度か話したことがありますが、たとえば「らき☆すた」を見る時に
「この世界のこの位置に入りたい」
「はたからわいわいやってるのを眺めていたい」
という二つの視点があります。
とりあえず色々な人に聞いたところ、後者が圧倒的に多いです。統計とってないので明言できませんが。
自分がその世界に入ったからといってどの立ち位置になるかわからないし、他のキャラが今の幸せをそのまま持ち越すか分からない、とか、俺のことを好きになるこなたはこなたじゃない、かがみが好きなこなたを見ていたいじゃないかという…なんだかややこしい考え方もあります。すごいわかるのですが、これを書くのはえらい長くなりそうなので今回は割愛。
 
それよりも、もっとまとめると、箱庭の中の楽園を外から見守ってたいのですよね。
それが作品の見方として正しい正しくないはさておき、そのようにして見ることで「どのキャラもまんべんなく好き」という楽しみ方と「キャラ同士の絡みがいい」という楽しみ方が生まれます。
今だと「東方シリーズ」もそうかもしれません。「アイマス」もプロデューサー不在な二次創作増えてますね。
 
箱庭系女の子だらけ疑似百合空間は、とても癒しと甘みをたたえています。
たまには疲れたとき、そっとそれをほおづえついて見守るのもいいと、思うんだな。だからあえて「みんな好き!」と言っちゃおう。
 
…まあそれはそれとして、千佳はぎゅっと抱きしめたいけどね!柔らかいんだろうなあ…あ、鼻血が。(ロリレーダーの反応として)。
 
〜関連記事〜

「百合的作品」群から見た少女幻想と、ネバーランド住人たち。
「ストライク・ウィッチーズ」でいうと、確かにエーリカと(性的な意味で)いちゃいちゃしたい気はしますが、正直やっぱりウィッチーズ同士でどたばたきゅんきゅんしていて欲しいんですよ。あの「ズボンがない!」の話とかのように。
「誰か一人が自分のところにくる」という妄想はできなくないのですが、「あの世界に自分が入ってどうこうする」という想像がほとんどできません。
 

*1:男は出ていないわけじゃないけど、ほぼ空気だったり。