たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

アニメ・マンガのファンタジーに、リアルが切り込んだ時のショックときたら。

●いまさら「かんなぎ」の話をしてみる。●

なんかもう今更な感じでメモ。
 
かんなぎ」の一連の騒ぎの話です。ちなみに自分は雑誌で全部読んでる派で、今回のも読んでますです。
話の流れ見てると「真性処女厨と呼ばれる、ステレオタイプな人ってそんなにたくさんいないんじゃ?」とずっと不思議で。
まあ、単に祭りだから騒ぎたい人と、それ見てキモいと言う人とのぶつかりあいなのかなーなんて漠然と思ってたんですが、ネットの話を見てると「処女と物語論」や「童貞論」や「ミソジニーホモソーシャル」とか、もうおいら難しくてよくわからないよ世界に突入。
うおお、ワタシ横文字苦手デスヨ。
 
「中古」って表現は一部の男性がもつミソジニー的(女らしさに対する蔑視や偏見。男性へのそれはミサンドリー)な感覚だろうなーとは思うんですが、「かんなぎ」全部読んでる人ならどう考えてもあのシーンで単純に「処女じゃない!」って発狂まではしないんですよね。1巻から出てる話だし、そもそも処女じゃないとか全く書いてないし。物語的に「なんだってー」なシーンではあるけど、それ驚くところ違うし。
でも、さすがにそこまで発狂しなくても、なんとなく「もやもや」はするんですよ。なんかわーわー騒ぎになっちゃって話がこじれちゃったけど、どうにもすっきりしないところがある人もいるんじゃないかしらと。うーん、ワガランナー。
 

●「物語」の枠からリアルを切り離すこと●

と思ってたら、なんとなくピンとわかった。
とりあえず、処女信仰とかはどうでもいいです。人それぞれですし。
 
もやもやするのは、もう一つの方。
ようするに「物語にリアルなイメージが入ることの拒絶反応」なんじゃないかなーと。
 
たとえば「らき☆すた」の彼氏持ちの子。 背景コンビの、峰岸あやの
彼氏がいるのは全然かまわないんです。
でもね、「あいつら毎晩やってるんだぜ」的なにおいがしたら「いや、ちょ、そういうのは聞きたくないかも」と。別にそのキャラが好きじゃなくても、そういう反応をつい反射的にする場合はありえます。*1
 
わかりやすいところだと、特に百合作品世界にも言えて、プラトニック古風百合が好きな人は「エロはいれないでほしい」という人が多いのを思い出しました。男女問わず。
せめてここだけはファンタジーであってほしい、という考えに近いと思います。二次創作エロすらも百合の場合は嫌う人も確かにいます。
加えて、百合物語の場合は「男性の介入」を格別に拒絶する感覚も0ではありません。その空間に踏み込んで、リアルな性のにおいを感じさせるキャラの場合は、ひいてはそのクローズドな温室の破壊にもつながります。マリみての柏木さんが男もいける人で、祐麒双子の年子の弟、という設定はその点うまいですよね。
 
もうちょい飛躍すると、エロマンガの話とかの話のようにドエロな話をしている時ですら生々しい性の話になるとドン引きする確率は高いです。
紺野あずれ先生のアナルマンガいいよねー、とか盛り上がっているときに「あー、俺も彼女とさあ」とか言われたら「それはちょっと」とヒく空気になることも。これは童貞か否かの問題じゃないです。
ようはそんなエロスすらも「ファンタジー」にしておきたい場合の、拒絶反応。
 
もっと飛躍しますが、大好きなアニメに浸ってるときに、そのアニメの制作費とかリアルな話しないで!という感情にも似てる気がします。
ひいては、「らき☆すた」のエンディングが実写になった時に出た反発の声も、極力リアルを排除した絵柄、女の子だらけで荒らす物のないやさしい空間に「現実」を差し込むことへの拒絶感にも近かったのかもなあと思いました。
実は「らき☆すた」も無事卒業し、話は続いていく…という「サザエさん時空」にないリアルさを抱えていて、そんな対比を平然とぶつけてくるところが面白いんですよねえ。みのるお兄さん大好きデス。
 
かんなぎ」の話に戻ります。
ようするに「なぎ様が処女かどうかとか」「なぎ様が本当に好きなのかどうか」はさておき*2、「マンガのこの空間に生々しい性的なにおいが入るのはいやだ*3」というのが、たまたまこういうカタチになったのかなーと思いました。
それならちょっと納得。
永遠に終わらなさそうだった作品が急にリアルな話持ち出してひっくり返った時とか「すげー」といいながらショックで3日くらい立ち直れなかったりすることってあります、うん。
 

●切り離された楽園が動く時●

萌えはエロに対して非直接的なのであり、ロリコンマンガが現実の少女に直結したわけではなかったと書いたが、それを引き継いだ萌え系の絵は、ある意味さらに現実の少女から遠ざかったのだと言える。つまりはそれだけの抽象化がおこなわれたということであり、リアルな性とは遠く隔絶された世界にそれは存在しているのである。
(トーキングヘッズNo.36 胸ぺったん文化論序説 フラジリティとネオテニーの王国 より)

「萌え」文化の形態がリアルから乖離していることは、メリットもあればデメリットもあります。ただ、それが魅力的である場合がある、ということは間違いないでしょう。
 
ようするに、「かわいい」は「強い」。
もともと「かわいい」は、ひっくり返せば「弱い」ものへの憧憬である場合が多いのですが、それを「かわいい!」と思ってひざまづいた時点で、気がついたら自分よりはるかに強くなっているんですよね。
 
逆に言うと、それを乗り越えてリアルな側面が物語に食い込んできてショックを読者に与えるというのは、ものすごいことなわけですよ。
それだけ作品が読者を「隔絶されたファンタジーの園」に置く力を持っていたと言うことが一つ。
そして「閉じた空間を動かそうとする力」を作家が働かせ、読者の心を動かしたと言うことが一つです。
 
かんなぎ」で言えば、いつまでもだらだらと秋葉の同人誌作ってる話を続けていたら、キャラ達は少なくともずっと幸せに過ごせるわけです。でもそこから決別して動くということは尋常じゃない体力を、特に作家が強いられることになります。今、なぎや仁以上に魂を削って描いているのは多分作者本人のはず。
ってことは、もしこれだけ人の心が動いているなら、それは作家にとっても物語にとっても大きな転換点。つまりこれから面白くなるっつーことじゃないかな。実際武梨えり先生のファンは「きたきた」とわくわくしているかもしれないんじゃないかな。
 
と言って、今回の騒ぎで「かんなぎ」を知った人が「よし、じゃあ試しに読んでみようかな」なんて思ったらいいんじゃないかな!
 
ちなみに、おいらはキャラエロ妄想は大好きなので、もっとキャラエロ話を色々ささやいてくださいウヒヒ。
 

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というような話を、だんげさんに「たとえばイサコ様とエッチしたとして、イサコ様が経験済みだったらすっごいどきどきする」みたいな話で熱弁したら「きみはへんたいだな」とドラえもん口調で言われました。
 

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「胸ぺったん文化論序説」めっちゃ面白いです。
萌え文化とか、幼女礼賛と聞いて「ぬぬう、バルテュス?」とか思った人は読むといいと思います。「らき☆すた」「AIR」から、川端康成澁澤龍彦まで、一貫して「少女」イメージの持つ「弱さ(フラジリティ)」と「幼形成熟ネオテニー)」の話を掘り下げています。なんで「かわいい」が強いのか、どうして魔法少女は大人に変身しなくなったのか、なぜ胸の小さな少女イメージに大人の男女は惹かれるのか。色々問題提起としても読んでいて興味深いです。もうちょっと読んで色々書きたいなあ。
澁澤龍彦が語る「客体化されたコレクション」としての少女イメージから、逆に「萌え」像を考える時にもぜひ。
一つ目から鱗だったのは、「巨乳だと攻めの姿勢になって、ヤンデレになることがある」という話。…マナマナ?
 
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「かわいいは怖い。」
写真の中に少女を閉じ込めて〜反逆する、作られた少女像〜

*1:むしろドキドキした変態紳士さんは仲良くしましょう。

*2:原作読んでない人いっぱいいますし

*3:二次創作の持つファンタジーなエロスではない性