たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

おちんちんが運ぶ幸せは、地球を救う!「もほらぶ」

WEB拍手より。

もほらぶ、とても興味があるんですが、たまごまごさんの文章を読んでも、アマゾンの説明を読んでも、いまいち内容が把握しにくく・・・。でもだからこそ、ものすごく気になるんですが。いわゆるBL物とは違うんでしょうか?

まず、BLではないです。これは先に言っておきます。
この作品は、ジャンル「おちんちん」です。
 
自分にどこまで説明できるか分かりませんが、出来る限り「もほらぶ」という作品集がどのようなもので、何が凄いのか書いてみたいと思います。
まあ、上連雀三平先生作品を知るにはその絵を見ないことにはどうしようもないので、一番強烈な1ページを引用してみます。

そう、おちんちんによって救われたのです!!!
 
上連雀作品を読み慣れている人なら「よかった!」と言うでしょうけれど、知らない人には何が何だか。
いずれにしても、上連雀三平先生についての説明が必要でしょう。
18禁なのかなんなのかわからないですが収納。
 
 

●おちんちん。●

上連雀三平先生作品を読むには、上連雀三平ワールドをある程度把握しておく方がスムーズです。
上連雀三平 - Wikipedia
上連雀三平先生の描く作品はとにかくおちんちんが登場します。主に思春期前後の年齢が多いです。
普通の少年はもちろん、女装少年、ふたなりなど、性別はほぼ関係ありません。重要なのは「おちんちん」です。
「おちんちん=人格>性別」という感じです。
 
ストーリーも、執拗なまでに「おちんちんによる快楽」を中心に繰り広げられます。
とにかく世界中の幸福と悦楽はおちんちんにあるんじゃないの、といわんばかりの勢いでおちんちんを描写します。延々と枯れることなく射精し続けます。
これが基本ポイント1だと思っていただいていいと思います。
 
基本ポイント2は、たとえつながりがあろうがなかろうが、言葉でねじ伏せて「アウェー」すらも「ホーム」にしてしまう独特の言語センスです。
不可能なことなんて上連雀ワールドにはないんですよ。上連雀三平先生のマンガの世界はおちんちんを軸にして何もかもを「当たり前」に変えてしまうのです。
 
基本ポイント3として、セックスがどこにでもある日常の光景になっていることが挙げられます。
玄関開けたらセックス。学校行ったらセックス。帰り道に寄り道セックス。帰ってきたら家でセックス。何処に行ってもセックス。当然おちんちん×おちんちんです。
本まるまる一冊そういうテンポで描かれているため、読み終わった後の余韻が恐ろしいです。「それが当然」の世界から戻ってくるのは大変なのです。
 
これらのポイントすべてが破綻することなく(あるいは破綻をも魅力として取り込みつつ)面白いマンガになっているのは、紛れもなく上連雀先生の描写力のたまものです。
先に挙げたページもそうですが、無数のおちんちん描写に隠れつつも背景の描きこみなど尋常ではありません。
では、それらのことをおさえつつ、「もほらぶ」の上連雀ワールドに足を踏み入れてみます。
 

かわいいは正義(おちんちん)●

上連雀ワールドは、基本かわいい「おちんちんを持った子」しかいません。
「子」が男か女かなんてのは些細なことです。

一見するととてもキュートなカップルですが、当然どちらもおちんちん持ちです。
見ての通り、出てくる人物はみんな幸せなんですよ。
なぜ幸せかって?
「おちんちんがあるからさ。」
 
かわいい子達が、「おちんちん」という快楽装置を持って、コミュニケーションを取り合う。これが幸せではないわけがない。つまり幸福。

先ほどの二人の出会いのシーンですが、論理展開がすごいですよね。
「転校生の竹橋雪乃さんは女装の男の子。転校初日にボクのおちんちん属性を見抜いちゃうスゴイ子なんだ。それ以来ボクは竹橋さんの肉棒奴隷状態。」
突っ込みを入れるなんて野暮なことはしてはいけません。
そう、なのです。これで正しいのです。
そして、キャラがおちんちん中心にそれで納得し、お互いが満ち足りるならばそれは素晴らしいことなわけですよ。
 

●おちんちんによる「幸せ」●

一見むちゃくちゃに見えますが、むちゃくちゃです。
 
しかし、人間の欲求ってなんだ?
「幸せ」ってなんだ?
それは「自分の喜び」「他人の喜び」「双方のコミュニケーション」が全て満たされることではなかろうか。
まるで「人類補完計画」みたいな話ですが、実際そうなのです。
愛しあえよ、求めあえよ、満たしあえよ。
 
それでも人間には嫉妬とか悲しみとか憎しみとか、そういう歪んだ感情がありますね。あります。
しかし「愛」と「快楽」はそんなもの平気で乗り越えます。

なにげに、扱っているテーマはものすごく大きいんですよ。
もちろんコメディが多いですし、おちんちんの有様は異常なので「その理論こそ総て」なんて事はあり得ません。
しかし「快楽によって満たされる人間の世界」という桃源郷を、上連雀三平先生はおちんちんと精液によって描きます。
性病とかそういうややこしいのはとりあえず消しゴムで消しておけばいい。そこにデメリットのない「快楽」のみがあるならば、快楽からは幸福と愛が生まれるわけです。
そりゃー「真っ白な精液を見ながら幸せを思う」のはこっちの世界ではおかしいですが、上連雀ワールドでは正解なのです。
 
現実には人間の中の「幸せ」は性によってはもたらされません。性病、望まぬ妊娠、心身的苦痛、性のコンプレックス…むしろ一歩誤れば不幸の方が多いです。
だからこそ、至高の桃源郷上連雀三平先生は描こうとしているわけですよ。

おちんちんによるおちんちんの戦争と平和
それをエロティックジョークとして笑い飛ばすもよし。
現実には満たし得ない最高の幸福の有様として、この世界にどっぷり浸かって明日への鋭気を養うもよしです。
 

●「快楽」は一人だけのものじゃない●

はて、そんなわけで全編に渡って「おちんちん×おちんちん」のオンパレードなこの作品集ですが、一編ちょっと異色作があります。
「フロムおちんちん」という作品。
この作品は宇宙からきた男根生物とまぐわうことで最高のエクスタシーが得られるけれど、自分も次第に男根生物になってしまう、というなかなかブラックな物語になっています。エンディングはまるで手塚治虫先生や藤子・F・不二雄先生のSF短編集を彷彿とさせるものになっており、実際そういうSF的思想が根底に眠っている気がします。おちんちんですが。

他の作品が脳天気に「おちんちんは最高!おちんちんは幸せ!」と高らかに歌っているにもかかわらず、この作品だけはぼんやりと快楽の向こうにある不安をたたき出しているんです。
と言うのも、上連雀三平作品で重要なのは「快楽は一人だけのものではない」ことが基盤にあるから。
まあエロ漫画全般に言える話ですが、特に上連雀三平先生の話は、あくまでも「快楽」は一人だけで突き詰めても幸せには至らないんですよ。愛する誰かがいることで成立します。
もちろんそれは現実ではなく、「仮想現実」というか「おちんちん現実」の世界の中の話なのですが、他の作品の幸福さと比較するとなかなかぞっとするものがあります。マトリックスと同じですね。快楽の追求を間違えた先にあるのは本当に幸せなのだろうか。
「おちんちん」は幸福の象徴ではあっても、「おちんちん」そのものが「幸福」なわけではないのです。
 
もう一度、最初の1ページを引用します。

この話はもう、読んで欲しいので詳しくは述べませんが、ここにこそ幸せがあるじゃないですか。
おもちゃ箱ひっくり返したら全部おちんちんだった、ってなくらいのインパクトのある上連雀作品ですが、改めてそこにある幸せを見つめ直すとなかなか味わい深いと思うのです。
 

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このマンガは完全にショタものなので、「抜き目的」で買うと全く肌に合わない人もいると思います。しかしマンガ技術をフル活用して、幸福の権化としてのおちんちんを描いているのはなかなか癒し効果抜群です。
しかしなんというか、BLではもちろんないのですが、ショタ物と言っていいのかもよくわかりません。上連雀先生以外にこれを描ける人はいないんじゃないでしょうか。
 
〜関連記事〜
美しい日本の風景(おちんちん的な意味で)「わたしを有明に連れてって!」

こっちはふたなりモノ。
風景描写と、コミケのハイテンションさ、そして「やっぱりあなたが好き」という多幸感はぜひ読んでみてほしいなあ、と思うのですが、独特すぎてなかなかすすめづらいのは、うん。だな。
心の準備をしてから挑むといいと思います。遠出して温泉行く幸せ、みたいなものです。