たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

やあ女装作家くん、なんでエロマンガを描くんだい?「姉と女装とエロ漫画家」

●エロ媒体に魂を込めて●

エロ漫画って、恥ずかしいわけですよ。
名作もあり、本当に素晴らしい作品もあり、涙させる作品も芸術的な作品もあります。が、やっぱりそれを見て「恥ずかしい」と思うわけです。
このへんは人間が昔から築いてきた倫理観の問題もあるんですが、それよりもっと単純です。
「自分の性癖を知られるのは恥ずかしい。」
「自分の理性の奥の部分を丸出しにするのは恥ずかしい。」
何もかもむきだしにするほど人間は強くない。だから隠します。それを面に出すわけです。しかも写真ではなく、現実にはかなわない妄想を絵にするわけです。
だから、「恥ずかしい」って思う。
でも、だからこそ最高に魅力的なんです。
人間の本当の、奥の奥、丸裸でむきだしな部分を、ありとあらゆる力と才能と技術の粋を尽くして描く。
それを欲している自分と向き合い、正直な気持ちになって買う。
「むきだしコミュニケーション」がここにあるんだ。
 

●女装に彼が目覚めたわけは●

エロ漫画への情熱を描いた作品といえば「キャノン先生トばしすぎ」が有名です。
そして今回紹介したいのが、幾夜大黒堂先生の「姉と女装とエロ漫画家」
姉と女装とエロ漫画家 (富士美コミックス) (富士美コミックス)
ちなみに右の、おしりむかれてるのが女装ですよ。
女装男子のM属性を存分に生かしながら、「エロ漫画」を愛する気持ちでぱんぱんに溢れた長編エロ漫画です。
 
主人公はエロ漫画家の一青年なんですが。

女装が趣味です。
しかも見てのとおりめちゃくちゃかわいい。女装をとくといがぐり頭でものすごく男の子らしいのもまたくせもの。
こんなかわいい男の子が!色々な女性に!くんずほぐれつ襲われまくる!コレは楽しい。幸せいっぱい夢いっぱいです。
が、「なんで女装が好きなの?」という部分がポイントになります。
 
そもそも彼は、姉のことが好きで好きで仕方ないんですよ。
もうどうしようもなく好きで、ついつい姉の制服を着てしまったのが運の尽き。それを妹に見られ、逃げ出すように家から出てしまい、今のエロ漫画家暮らしがはじまります。
でも、分かる人には分かるでしょう、「好きな人の服着てみたい」っていう気持ち。
いや、恥ずかしいことですよそりゃあもう。死にたくなるくらいに。
自分の欲求が暴走している様なんて人に見られたくない。
 
しかし、あるんです。
人には誰にも言えない、説明も出来ないスイッチが入ってしまうことが。
彼は自分の姉を愛し、それがゆえに女装に目覚めてしまいました。
だから、究極的には「女装で姉とまぐわう」のが夢なわけです。
そして、根っからのM気質もあってどんどん流されて奪われていきたい。ただその性の中におぼれて過ごしていたい。
 
彼は「エロ漫画の資料」という大義名分で、その夢が偶然にも叶ってしまいます。最初はそれはご都合主義的にすら見えます。
たとえばこんなシーン。

女装させられて、編集さんに襲われるシーン。
いやあー、満たしてくれますねM願望を!「そういうのって作者の願望が出てるのかなぁ?」の言葉があまりにも象徴的というか、そのままです。
編集さんたちに、ファンの女の子に、同業の作家さんに(実在作家のパロディ!)、妹に、そして最愛の姉に…。そう、それはとても都合がいい世界。
だから、彼はどんどん溺れていきます。溺れて、必死になっていたはずの「エロ漫画を描く」ことへの力がどんどん弱まってしまいます。
ご都合があるからには、その代価も払わねばならない。
 
後半になって、突拍子もなく見えた数々の設定の「なぜ」が怒濤のように解明されていきます。
「なぜエロ漫画を描いているの?」
「なぜ女装を続けるの?」
「なぜ、頑張ろうとしているの?」
 

●エロ漫画を描く原動力●

エロ漫画家であることと女装趣味は、実はそれほど極端な組み合わせではないことも途中から分かってきます。
自分の名前をパロディにしている「満夜大墨堂」というこの主人公、普段から描いている作品は女装ものエロ漫画です。
そして、一番最初に描いたエロ漫画は「姉と弟もの」でした。
 
姉を愛するあまりに女装に目覚め、そして赤裸々に「姉弟」妄想を、それはもう恥ずかしいほどにむき出しで描いていたのです。
恥ずかしいよね。恥ずかしいよ。でも狂おしいほどに描かずにいられなかった彼の気持ち、分からんでもないじゃないですか。
青くさい情熱。熱いリビドー。
理由なんて分からないんです。突き上げる衝動なんです。それを吐き出すように、突きつけるように、全力で紙に叩き付ける!
それが、エロ漫画のもつ恐ろしい力。
時々、本の向こうから作家さんの強烈な叫びにも似た強烈な空気を感じるエロ漫画を見ることがあります。性癖にあう合わないは別としても、見入ってしまう恐ろしい作品が。
 
主人公の彼は、最初そういう作家でした。
しかし漫画も女装も、ひいては「女装エロ漫画を描くこと」もすべて、姉への憧憬なわけですよ。
姉は絶対に、手に入りません。どんなにあがいても、どんなに求めても、どんなに抱いても、姉は姉なのです。彼の手中に入ることはありません。
前半は姉との性にまみれた世界に耽溺してぐずぐずと深みにはまりこんでしまう彼ですが、途中から「姉」と「エロマンガ」の狭間にすっかり埋もれ込んでしまいます。
そりゃそうです、目の前にいる姉に溺れていたら、原動力が奪われてマンガとしての表現も出来なくなります。
幸せ?幸せかもしれないけど、…手には入らないよ?

編集さんに厳しいだめだしを食らうシーン。
非常に見ていて、胃が痛くなるようなこういうプロ世界のシーンが続きます。だから彼も逃げて逃げて、逃避して逃避しまくってしまうんです。
気持ちは分かる、分かるが「作品を残せない」「姉を欲しても手に入らない」。このままじゃだめだ、だめなんだ、って分かっているけれどもどうすればいいのか、分からない。
 
エロ漫画は「強烈な願望の表現」であるが故に力強さも持っていますが、同時に「願望」であるが故にそのペースを維持するのが恐ろしいほど難しいのです。
この編集さんが言っていることをじっくり読んでみて欲しいのです。読者も、その「にじみ出る願望の力」を見ている。絵がうまいだけじゃなく、わきあがるパワーを見たいのですよ。

女装をといた主人公の元に下される、非情な言葉。
エロを描き続けるのは本当に難しい。しかし「だからすいません待ってください」は通用しません。脳みその奥からひねり、身体全身の力を振り絞って、自分の表現をしていくのです。
 
恥ずかしいですか?
恥ずかしいとも。エロだもの。
だけど「描きたい」と思ったんだ。表現しようと決めたんだ。
動機は「姉」でした。描くのも「姉」で「女装」です。願望=動機でした。しかし彼はプロ作家として、その願望と表現の中を突き進み始めます。
その姿は、恥ずかしくない。恥ずかしくないよ。
 

●描きたいもの●


右下にいるのが、彼のファンでアシスタントをする女の子。彼女もまた情熱あふれる子で、パワーみなぎりまくっています。
彼を叱咤激励するために究極の女装をさせる、という倒錯っぷりもあるのですが、それも確かに「エロ漫画」においては重要な原動力。それでいい、それでいいんだ。
 
この作品、もちろんエロ漫画なので毎回「エロ」が入っていますが、それらが数珠つなぎで一本になってクライマックスに向かっていくのがすごいのですよ。
主人公はもうどうしようもないくらい逃げ続けるんです。そこがM的に面白いシーンでもあるんですが、途中からそれじゃ許されなくなっていくんです。そして耽溺する性と、表現する性をしっかりと見据えるようになります。
 
描いている作品はエロ漫画。「人には言えない」、そんな作品なのも分かっています。
分かっているけれど、ここまで自分を見つめ、自分と闘い、その技術と魂全てを注ぎ込んだマンガをばかになんて出来るわけがない。
「ちゃんとエロい」エロ漫画は、「ちゃんと作家が魂を込めている」エロ漫画、とも言えるのです。
 
姉はそういう意味で、最大の偶像であり、同時に最大の理解者でした。

歯を食いしばって、泣き叫んで。
そしてはじめて出した、自分のエロ漫画単行本。
それを抱きしめて、弟から離れていく姉。
 
「ハッピーエンド」なんてものの到達地点はわからないんだけど。
人によって最後の方のシーンの受け止め方は大きく変わる作品だと思うんだけれども。
自分はこのコマで心の全てが満たされた気持ちになりました。
そうだよ。魂を注いで描いたエロ漫画は誇っていい。
それはあとから見たら恥ずかしいかもしれないけれども、今を全力で生きて、叩き付けた結果じゃないですか。
 
ちゃんとエロくて、ちゃんとM属性願望を満たしてくれて、そして思いっきりエロ漫画を愛してる。
この作品が、好きです。
 

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ちなみにエロシーンは「女装」メインでバリエーション豊富なため、ものすごい特殊な物が多いです。
特に感動(!)したのは「おちんちんと金玉を完全に股間に入れて、女の子の性器を再現する」シーン。いわゆるコツカケ。それで女装エロシーンをやるんだからもう。女の子同士に見える上に男性の未知なる感覚を描いていて強烈。女装もの好きな人なら必見です。

あと、女装状態で電車に乗っていたら男に痴漢されるシーンとか。
これがまたエロいから困る。幾夜大黒堂先生の女装へのこだわりはすばらしすぎます。

  
エロ漫画を愛する人が描くエロ漫画家物語は、本当に面白い!エロ漫画が好きであればあるほど、楽しくてたまらなくなります。そして「エロ漫画は、エロくて楽しい!」って叫びたくなります。
でも叫んだら迷惑なのでこっそりねこっそり。
ちなみにこの作品、途中でも書きましたが現実にいる富士美系の作家さん(LINDA先生、MARUTA先生など)がパロディで登場しています。主人公の女装青年と自分が同じ名前なのも含めて、そのへんもエロ漫画愛に満ち満ちていて心地よいです。
 
〜関連リンク〜
幾夜大黒堂『姉と女装とエロ漫画家』(ヘドバンしながらエロ漫画!)