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待ってろ、次に動くのはこっちの番だぜ!「空色動画」3巻

WEB拍手より。

空色動画3巻に「礼 TAMAGOMAGOGOHAN」の文字があってびっくりしました。
自分もこちらのおかげで空色動画に出会えたので感謝の気持ちでいっぱいです。


なんですと・・・っ!?
 
 

ほんとだ!!!
しかも、3コマも!(同じ壁なので当たり前なんだけど!
 
片山先生。
礼を言わせていただくのはこっちの方です!
だって、最高の興奮と、生きるための一生物のパワーをもらったんだもの!
ありがとうございます!
落ち込んだとき、書けなくなったとき、いつも読んでます。
 
空色動画 3 (3) (シリウスコミックス)

3巻は完結巻。
おそらく、表紙が主人公3人できっちりおさまっている上、ストーリーもかっちりまとまっているため、最初から3巻構想だったのではないかと思われます。
しつこく書いてきてますが、本当に、何かを作ってみたい人、自信のない人、虚無におそわれて不安な人、日々に何か物足りない人、マイナス思考になりそうな人、むしろポジティブに血にたぎっている人・・・そしてすべての人に読んでいただきたい。
いいか。
想像力は無限大なんだ。
実現するのは夢物語?器具もないしお金もない?
いや。叶わない夢もあるけれど・・・表現は誰にだって出来る。
 

●創作の厳しさ●

人が「創作活動」をするのには、いろいろな理由があります。
それが好きだから。あこがれの人のまねで。鬱屈とした感情をぶつけたいから。何かを破壊したいから。自分の存在を証明したいから。誰かと一緒に作っていたら楽しいから。
みんな、ばらばら。
最終的には「好きだから」に集約されるのですが、そこに至るまでにはもちろん壁は何枚もあります。
お金とか時間とか道具じゃないんです。それは二の次で、情熱さえあればなんとでもなるんです実際。テクニックも好きなら身につけることが出来ます。
もっともっと、強大な壁です。

それは「完成しない」こと。
すごいけど投げ出された未完成品は、失敗した完成品に劣る。
ここで言われていることは厳しいけど、確かに真実です。
特に絵画の場合は「完成」というのが非常に見えない物です。どこまでもどこまでも、直そうと思ったら一生未完成。
しかしどこかで切り上げて前に進まないと、技術も能力も、そして作品の伝える力も育ちません。
 

●理屈じゃない「迫力」●

何かを完成させるというのは、本当に難しい。
特に半端に技術があって知識があると、人と比較して逃げ出したくなる!
・・・でも人を感動させるのって、隅っこの小さな修正だけじゃなくて、そこに詰め込まれた「作るぞ!」っていうパワーなんですよね。
 
たとえばこれ。

主人公の一人、ジョンの描いた絵が動くシーンです。
 

ジョンは、絵がうまくないんじゃなくて「下手」です。ノンタはセンスもあるしリズム感もいい。ヤスキチはこつこつ積み上げてきた力で絵もうまいし動画への情熱もある。
でもジョンは下手。
しかし、みんなはジョンの絵をそのままアニメーションにします。落書き?落書きです。
なぜヤスキチはジョンの落書きをそのまま、修正せずにアニメにしようと思ったのか。
大事なのは、そこにこめられた情熱です。むろん技術も大事です。すっごく。しかし技術では説明できない迫力がディスプレイの向こうから、文字の向こうから、紙の向こうから、伝わってくるような作品にであったことはありませんか!?

自分はこの作品で、彼女たちの描いた作品が自由に飛び回り、現実と一体化していくのがたまらなく好きなんです。
その情熱が伝わるときには、確かに「空想」と「現実」の壁はその一瞬だけ間違いなく取り払われるんです。
彼女たち、特にジョンはその「楽しさ」を体感している人間なんです。だからこそ、こんなにも自由で、そしてみんなの心を一つにする。
動画が「感動的」で「迫力」があり「驚かせる」のは、自由だから。
自由ってのは、理屈で考えるものじゃありません。信じたもの勝ちなのです。
 

●孤独と創作●

今回前半は、学校祭に向けてクラス全員で団結して作ったアニメを上映する、主人公3人中心の「みんなで」パートになっています。
後半はレトという孤独でいっぱいっぱいな心を抱えた芸術家肌の少女の「孤独」パートです。
その二つがラストにぶつかっていくのを、スプレーアートで表現しているのが象徴的で非常に面白いです。

確かに、創作は時には「孤独」や「鬱屈」や「苦悩」によって生み出されます。辛くて、逃げ出したくて、その激しく尖った感情に押し出されるかのように、書かずにはいられなくなる場合があります。
そういう経験された方、とても多いのではないでしょうか。必ずしも「楽しいから」ばっかりじゃないです。

孤独で、鬱屈とした中に魂を込める作業。
それは「楽しい!」の情熱とほとんど変わりません。やはり鬱屈とした迫力が画面の向こうから伝わってくるのです。
方法論の違い、といえばそうなのですが、表現であることには変わりません。
 
確かに3巻だけ見ると、主人公達はみんな楽しそうで、幸せいっぱいです。
しかし1巻を見直してみます。
そもそもヤスキチはいつも孤独で、現実逃避のために絵を描いていた子でした。人が怖くて、逃げてばかりいた子なのです。
ジョンやノンタは一見、いわゆるリア充に見えますが、彼女たちが裏でどのような人生を送ってきたかは間接的な方法で語られています。これについては1巻を読んでください。
いいか!アニメに限界なんてないんだぜ!「空色動画」

「楽しい!」の前にあるのは、孤独。
表現をするのは、誰かに見てもらいたいからです。究極的には「自分に見せる」という課題はあるものの、人に見てもらうこと、人と何かを作ることは多くの人が欲してやまないものです。
そう感じるのは、やっぱり孤独だからなんです。
 
レトがどうなっていくかは実際に見ていただくとして。
やはり自分はこの作品においてはヤスキチに感情移入をします。クラスで目立つリーダー格なんかじゃないし、現実逃避するの好きだし、自信だってなくします。ヤスキチが逃げるのを否定できません。

でも、だから、この感動はすっごくわかる。
孤独だった時に、得られた感動。
できあがったときの、完成したときのどうにも押さえられない感動!
これのために、生きていてよかった。そう思うものって絶対あります。
なにせ、想像と表現は自由だから。
ただし、待っていてもだめ。
動かないと、それは手に入らない。だから彼女たちは動きました。
 

●さあ、ぼくらの番だ●

「空色動画」は三巻で完結です。
主人公の孤独から始まり、みんなとの協力、仲違い、技術の向上、ポジティブとネガティブ、方法論の差異など、ありとあらゆる「創作」の要素を見事にこの3冊の中におさめています。

一見たわいもないこの言葉。
でも実はなかなか言えるものじゃありません。
壁なんて何十枚もありました。
すんなりいくことなんてありません。
でも、「やりたい!」は人の間を共鳴し、増幅することで拡大していきます。誰かといるから、諦めずにすみます。

99%の苦労。1%の喜び。
その1%があるから、いくらでもがんばれる!
そして言える。
「楽しい!」
 
たとえ、それが後から見て恥ずかしい作品だとしても。
誰かが「失敗作だ」と言っても。
真っ白なキャンパスよりも、何かを描いたキャンパスの方が価値があります。
そして、何かを描いた、ということは次のキャンパスを得る第一歩になります。
 
ヤスキチは確かに絵はうまいし努力もしていますが、上には上がいっぱいいます。まだまだ稚拙です。
でもね、彼女たちの歩みが「無駄」だなんて思う人は誰もいないわけです。

この物語は幕を閉じましたが、彼女たち3人はおそらくこれからも、創作を続けるでしょう。
きっとさらに新しい世界に、予想もつかないような舞台に立って。
だって、想像力は無限なんだぜ?
そんな枠にはまってる暇なんてないよ。
夕日の向こうに見える、三人の作ったスプレーモンスターは、彼女たちの、そしてぼくらの心に足跡をつけていきました。
さあて。
次に「動く」のはぼくらの番だ。
なんでもいい。
ジョンやノンタやヤスキチたちをびっくりさせてやろうぜ!
きっと「すげー!」って言って、もっと面白いことしてくれるはずだ!
 

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余談になりますが、この作品に登場するスプレーアートのアニメーションは実在します。

1コマ描いては消し、また描き、消し・・・途方もない作業で「できるわけないよ!」とか思ってしまうのですが、世の中やってしまう人はいるのですな。

地道で緻密な、そして巨大な、途方もない作業によって生まれたアニメーション。
現実をも巻き込んでいくアニメーションの力に驚愕させられる一作。是非見てください。

ほんときれいに大団円なので、「最高だった!」とは思うんですが・・・終わって欲しくなかった!もっと読みたかった!
でもここから先はこっちがバトンを受け取っていかなきゃ、なんですね。
片山ユキヲ先生、次の作品を心待ちにしています。
 
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