たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

幸せになるのに慣れていない症候群「腐女子っス!」2巻

●「幸せになるのに慣れていない症候群」●

オタクだからとは限らないんだけどもさ。
オタクに多いのは事実だと思うんです。
「私なんて誰にも好かれないから。」
「俺を認めてくれる人なんていないから。」
自分を必要以上に卑下してしまい、自分のアイデンティティが行方不明になってしまうこと。
原因がある場合もあれば、ない場合もある。
甘えの場合もあれば、真剣に苦しんでいる場合もある。
誰にもその答えは分からないんだけど、幸せになりたくて、笑顔になりたくて、誰かに認められたくて生きているのかもしれないとは漠然と思いつつ…人に認められることが信じられない。
自分には不相応だから。
 
「幸せになるのに慣れていない症候群」なオタクはたくさんいると思います。
幸せになりたくてもなれるわけないんだよ!と言うのは全世界の数多くの人が一度は経験する若い苦悩ですが、いざ幸せが転がり込んできたときに今までの心の傷や不安が邪魔して、どうすればいいかわからないこと、あるんです。
 

●オタクだとばれるのが怖い●

御徒町鳩先生の「腐女子っス!」二巻がでました。
1巻ではオタクをこじらせつつも割と美人で、恋を射止めたユキとめぐみの話が掲載されています。

で、2巻はその友人、えりがヒロインになります。
彼女は自分のことをちんちくりんで、へちゃむくれな、一介のオタクだと思っています(実際はかなりかわいいのですが)。でも「元気」で「明るく」、「強気」で「前向き」な女の子です。
二人が恋を手に入れるのを見て、あーいいねーと傍観者の立場でニヤニヤします。
しますが、「私には恋愛は関係ないから」という態度をとるわけですよ。
 
自分は「腐女子」という呼び方を第三者がするのは好かないです。人を腐っているとか他人が言うものではないです。
しかし、この作品の子たちは自分達を「腐女子」と呼びます。
明るく楽しく…という風に一見見えますが、ものすごい強烈なコンプレックスも抱えているのも実はあるんですよ。自分がオタクであるということに。
だから、彼女たちが自称する「腐女子っス!」という言葉にはものすごく明るいながらも重い、打破しなければいけない鎖ようなものが横たわっているのです。
ユキとめぐみはそれを乗り越えたのですが、えりはなかなか乗り越えられませんでした。
それが今回、強烈な仕方で描かれていきます。
 
「オタク」だってことは、今の時代にしてみればもう恥ずかしいことではないわけですよ。
「いや、恥ずかしいよ!」という人もいるかもしれませんが、世間は案外気にしていないものです。相手がどんな人か、の方が大事ですから、信頼関係が出来ていればそうそう「オタクだからいやだ」と言われることは実際はほとんどないです。
ないんですが。
怖いんだよ。
怖いよ。
 

えりは三人の中でも一番サバサバしていた子でしたが、逆に一番コンプレックスを持っている子でした。
このシーンは弟の友達に対して、「オタク」だってことを「言うな」と伝えるシーンです。
「身内にオタクが居たら嫌だろう?」という言葉があまりにも痛くて悲しいよ。
現実的には弟は全く平気ですし、弟の友達も気にしません。誰も気にしていないんです。
悲しいのは、彼女がなぜこういう思いになってしまったかです。
 

●私は「変」だから●

どうしても自分、えりに感情移入が激しくなってしまいます。
いつも開き直って、美人な親友に囲まれてオタク生活の幸せを謳歌しながら「三次元には興味ないから!」「今この生活楽しいから」と強がっちゃうんですよこの子は。
でもね、そういうことを言うってことは、逆に言えば一番気にしているんです。ああ、痛い、痛いよ。
狭い「オタク友達」空間の楽しさは間違いない。しかしその外に吹く強風が怖いんです。
 
物語は幼いころのえりの話にまでさかのぼります。
思い出したくない引き金の物語です。

幼い頃、「変」って言われた記憶。
「変」「みんなと違う」「気持ち悪い」「おかしい」
なんてことのない言葉も、幼い心をずたずたに引き裂くには十分すぎます。
大人から見たえりは、個性が強く、感受性が豊かなすてきな子でした。しかし子供同士の間では当然そんなの認められるはずがないわけです。
「変」というレッテルは、思っている以上に恐ろしいもの。
 
私は「変」だから。
小学校、中学校、高校。自分の中で人に言われた「変」を持ち続けることは、想像を絶する重みです。
堪えられないじゃないですか。だから、自分の周りに防壁をつくるんです。
「私は変ですよ。」って。
 
えりはそういう苦しみを経験している子でした。
オタクだから、というよりも「個性的だから」です。
自分が好きだと思っているものは「変」。自分が楽しいと感じるものは「変」。
心を開く場所が学校になくなるとき、逃げていく道を探すしかないんです。自分の姿を映す鏡を必死に探すしかないんです。
彼女にとってその鏡が、小説でした。
 
オタクがみんなこういう苦しみを経ているとは決して言いません。むしろ今は「楽しいからオタクだよ」と言う人の方が増えつつあります。
しかし、いびつさや苦しさに出会って行き惑い、その果てに見つけた心の安息地としての、楽しいと思える場所がオタク趣味なこともたくさんあるんです。
一人、教室の隅で読書するえりを、誰が責められようか。もう、見ていて辛くて仕方ない。
恋愛マンガを読むとき、たまに「くそー、幸せになりやがってー!」という嫉妬にも似た気持ちが生まれることも確かにあります、だってオトコノコだもん。
でもね、えりは幸せにならないとだめなんだ。
そんな気持ちがふつふつとわいて止めることがどうしようもないです。
なんかおかしいですよね、キャラに対してそんな思いがわくなんて。でも「変」の傷を負って行き惑う人の気持ちは、幸せに対して必要以上の恐怖感を覚えてしまうことにもなるんです。この作品は明るいながらも、そこを決して省略しない。だから、ずっしり心に残る。
…そう、信じられないくらいに、応援したくてしかたなくなる!

今えりは幸せか?と聞かれたら「YES」でしょう。「YES」じゃなきゃ納得できない。そう思いたい。
でも、ふと冷静になったとき、彼女は不安もたくさん抱えているんです。元気で明るい自分は、このオタク女友達3人と家族の間だけだから。たくさんの人に嫌われていたことも、知っているから。
「変」だと思って作った心の壁は、固くて厚い。
 

●認められることに慣れないから。●

彼女が救われたのは、小説が楽しかったからもあるのですが、なんといっても親友の隠れオタク、めぐみに出会えたことでした。
めぐみも自分のBLマンガ趣味をナイショにしていたという境遇が似ていたのもあります。でもそこじゃない。包み隠さず言ってくれたたった一つの言葉が彼女を氷解しました。

中学の頃。オタクだとバカにする同級生達に対しても、気を張って強く立ち向かっていた彼女が、ぼろぼろと泣き崩れるシーン。
たった一言なんです。「キモい」といわれようがなんだろうが、かまうもんかと生きてきたって…誰かがこの一言を言ってくれないと苦しいし辛いんです。
その一言は、自分がここに書くことじゃないので、読んでください。

「あさましい」という言葉が辛い。
あまりに気を張って立ち向かいすぎて、誰かに認められることにすっかり慣れなくなってしまった彼女。
自分がそうやって誰かに認められることを求めるなんて、あさましい。そう考えてしまうわけです。
 
あさましい?
認めてもらいたい。それは当たり前のことです。大人になれば自分で納得する術も手に入れますが、誰だって最初はやはり、認めてもらいたいです。
認めてもらえなければ、寂しいです。
めぐみがえりを認めてくれた後も、彼女は男子達にむげに扱われます。
明るい画風と軽い流し方で気楽に読めるんですが、正直…
辛かった!辛いよ!
救う言葉はたった一言ですが、傷つける言葉もたった一言。
それらに泣いてわめいて叫んで殴りかかることもできるけど、ただ押し黙って興味がないふりをしていれば、あれることなく過ぎていく。分かってる、確かにそうなんだけど。
えりはそういう生活を送ってきて、今の幸せな高校時代を手に入れるんですけれど。彼女が今まで抱えて、押し黙り続けてきたものを考えるだけで何もかも破壊したくなりましたよ。おおげさですか。おおげさです!でも感情移入しちゃったんだから書くよ!
そして、えりが「破壊」なんて望んでないことも、ちゃんと描かれていきます。
 
だから、えりは幸せにならなきゃ、だめだ!

人に好かれる。そんな経験はないから、不安にもなるし、浮かれもするし、どうすればいいか分からなくなります。
「幸せになるのになれていない症候群」は、必要以上に自分の傷をフラッシュバックさせます。だから「オタク」だと言うこともおかしなほどに隠そうとしてしまいました。
でも、それらは時間が癒し、人のつながりが解決もしてくれます。
後は一歩、がんばって前に進むだけ。
がんばれ、えり!
 

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必要以上に自分もえりに肩入れしすぎていますが、もーーーほんとね。
えりは少しでもたくさん幸せにならないと、ホント許さないんだから!!
何をだよとか言わないでくださいな。
オタクが経験する数多くの「苦しいところ」をちゃんと描き、笑いにしないのはこの作品のすごいところです。
それらを復讐のカタルシスで解決しないんですよ!ちゃんと前に向かって、苦しみをそれぞれ乗り越えて「幸せになろう」と努力しているから、この作品が大好きです。
また、オタクであることを開き直ろうとしないとの面白いところです。

ちゃんとしたオタクである彼女たちは、マナーも守ります。そして人一倍気配りもできます。
それらは自分達が嫌な思いをしてきた経験も持っているから、です。こうやったら痛いんだ、という人の痛みを知っているからです。
同時に「少し卑下しすぎじゃない?」と思うところもあります。「オタクなのは一般人には言いませんから!」「迷惑は絶対かけませんから!」「私たち腐ってますからごめんなさい!」と。
まあそれらはオトコノコ視線で見ているから「いやいや、もっと元気にのびのびでもいいんだよ?」とか思っちゃうのかもしれませんが、女性でオタクをやっている人たちの心の奥には、色々幸せで最高に楽しくても、ぬぐいきれない複雑な溝もあるんでしょう。
それらもトータルで含めて、「幸せ」に感じられるから、この作品はすごいんです。
3人ともみんな、応援したくて仕方なくなる。その気持ちを読みながら感じたら、それで十分「幸せ」だと思う。
 
関連・マンガ描いて小説書いてコスプレしてます、幸せっス。「腐女子っス!」
 

うあー、どう感想書こうか迷いに迷ったけど、思ったまま自動筆記状態でぶっちゃけてしまった感じが。
でもそういう、感情の部分にダイレクトに触れてくる作品なので、是非読んで欲しいです。特にえりが好きだったので、2巻の展開には苦しかったり辛かったり。こんなにも「幸せになりやがれよ!!」と心の底から思う子達に出会えてよかったです。
なんだか改めて、明るいながらも「腐女子っス!」という題名が重みを帯びてきた感じがします。
悩み、やっぱり色々ありますよ。