たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

おばあちゃんと三つ子の間に浮かぶ、母の影「みつどもえ152卵生」

いやはや。
まさかの新キャラ登場。
ここで丸井家のミッシングリンクを埋めるとは思わなんだ!
 

おばあちゃんですよ!
 
いや。もちろんおばあちゃんが「存在」するのは当然なわけですが。人間ですしー。
とはいえ、父親はいても母親不在が当たり前になっていた世界を「ギャグだから」で済ませられなくなってきた、とんでもない一滴なのは間違いありません。
基本的に大筋の物語がないこのマンガが、じわじわとつながりはじめています。
 

●おばあちゃんとパパ●

どちら側のおばあちゃんなのかが非常に気になるところですが、今回の描写をさらってみるとどうやら父・草次郎側の母親のようです。
ポイントはここ。

「また余計なもの買ってきたのか」というパパの突っ込み。これは婿に入った男性だとしたら、まず言わないでしょう。なのでここの血のつながりは確定的かなと。
にしてもこのコマも妙ですよね。「もちろんよ!!」という返答のちぐはぐっぷりが気になります。
パパのセリフに「いつも」という意味合いがあるとしたら、もしかしたらこのおばあちゃん、三つ子が幼い頃から、あるいは草次郎が子供の時から「余計なもの」というのを分かって買ってきて、楽しんでいる可能性があります。
もう、二人の間ではこのやりとりは日常茶飯事なのかもしれません。

おばあちゃんがまた、ものっすごい愉快な方で。
この性格は最近のこととかではなさそうです。
 
なんでこんな所「いつから」にこだわるかというと、三つ子の母親がいないことに対しておばあちゃんがどう考えているのかがにじみ出る部分だからです。
おばあちゃんの性格はよくも悪くもみつば似(詳しくは後述)。逆に言えば、みつばが無類のおばあちゃんっ子だという事を考えると、かなり幼い時点からおばあちゃんの影響を受けて性格形成されている可能性があります。ということは、これは妄想ですが、三つ子がおばあちゃんと暮らしていた時期がある可能性もあるんですよ。
可能性にすぎませんけれども。現時点では分かりません。
おばあちゃんが三つ子を「思いやって」こうやって遊んでいるのか、単に「そういう性格」なのかも気になるところです。おそらく後者に、前者が少しプラスされている感じかな?と予測。
 

●みつばとおばあちゃん●

3人とも「いい子」なのは言うまでもないことですがっ。
今回のみつばのかわいらしさは半端ではありません。子供としてのかわいらしさです。性的な意味じゃない方です。
たとえば、おばあちゃんが帰ってくると最初に喜んで駆け下りてくるシーン。

センスの悪いTシャツも、おばあちゃんがくれたからと言ってあえて見えるように着て降りてきます。
みつばが赤面している時ってだいたい「嘘」がないんですよね。素の部分であることが多いです。

そもそもこの笑顔を疑えるわけがない。
もうー、ほんっとに心の底からおばあちゃんが好きなんですよ。
 
おばあちゃん側は、特に暴走の激しいみつばをいじるのが趣味なようで、わざと(?)「余計なもの」を「余計なもの」と分かって買ってきているのが、先ほどのシーンから分かります。別に本気で「これはいいもの」とは思ってないわけです。

この2コマ、みつばの「わぁ」から感じられるヒドさが笑えるシーンなんですが、みつばの「おばあちゃん思い」を見ていると笑いながら泣けてきます。
みつばも一応はおばあちゃんが冗談かましているのは、分かってはいるんですよ。だけれども、おばあちゃんを困らせたくない、おばあちゃんに喜んでほしい!と、ムリに気を遣うんです。まあその後キレたりもしますが。
そこまで含めてのおばあちゃんの計算。
これだけ書くと仲が悪いんじゃないの的に感じられるのですが、実はお互いそこまで含めてのツーカーダチョウ倶楽部のお約束みたいなもんです。みっちゃんは上島なポジションなんじゃないかと。パパもその部分見切っているようですし。
 
また、みつばだけは、おばあちゃんにプレゼントまで用意するんですよね。
(ひとはが一緒に作った料理、ふたばの甘えもプレゼントですが、物的なのはみつばだけ)

「わぁ…」の反応は同じですが、こっちはみつばのセンスが幼すぎるだけで、おばあちゃんをいじろうという他意は一切ありません。本当に喜んでもらいたくて買っているわけです。
 
もうね。
今回みつばが笑えば笑うほど、こっちも笑いながら涙がボロボロ出ますよ。
悲しいんじゃないよ。なんでしょうねこの感覚。人間が本能的に持っている血縁への愛おしさなのかしら。そんな大仰なものじゃないかもしれませんが…。
純粋で疑うことをしない、掛け値や見返りを求めない「おばあちゃん好き」に、こんなにも愛しいと感じさせられるとは思わなかったよ!
 
全編を通して、三つ子のおばあちゃんへの愛情が描かれているわけですが、とにかくみつばのストレートな「好き」がまばゆすぎます。
考えてみたら、杉崎とかパパとかひとは・ふたばに対しても、不器用でひん曲がった「好き」は表現してはいるものの、ここまで彼女がまっすぐに「好き」って言っていたことなかったんじゃないでしょうか。

どういうやりとりがあったかは実際に読んでください。
二人の間では、ちゃんとギャグマンガになっています。なっているんですが、それを超えた部分にあるみつばの純真さがどうしようもないほど愛しいんです。
子供のいない自分ですらこんなにもみつばがかわいく見えるんですもの、子供や孫や、親戚の幼い子供のいる人は、なおさら彼女の「喜んでほしい!」という素直な思いが、胸に刺さるんじゃないでしょうか。
なのにいつもぱんつのことばっかり考えていてごめんみっちゃん!(でもまた考えると思う!
 

●母親の行方●

お母さんについては今回も一切触れられません。
ただしヒントはあります。

「ひとはすっかりお母さんね」
この言葉は深読みするべく置かれている、意図的に盛り込まれている感じがビンビンします。そもそも丸井家の家庭内で「お母さん」の語が出てくることが稀(というか杉崎・佐藤ママの話が出るか出ないかくらい)だからです。
一番可能性としてありうるのは、「すっかりお母さん」というくらいですから、既にお母さんがいないということ。死別の可能性は大です。
とはいえ、あくまでもギャグマンガと考えるならば、単に今この場にお母さんがいないという可能性も0ではないです。限りなく低くなってきていますが…。
例としては…。
・お母さんとは三つ子が生まれてすぐ離婚している。
・お母さんは三つ子が幼い時に世界冒険に旅だった。
・お母さんは方向音痴で迷子になったきり帰ってこない。
うーん、まだ分かりません。
いずれにしても「すぐ戻ってこられる所にはいない」というのだけは確定的でしょう。
 
ふたばやひとはの巨乳趣味、みつばとおばあちゃんの関係、ひとはが龍太に以前言っていた「もう…二度と買ってもらえないかも…しれない…のに…。」の言葉。
「お母さん」像をつなぐミッシングリンクが少しずつ埋まってきています。が、全く不明なのは今も変わりません。
おばあちゃんが今後出てくるときは、話が大きく動きそうですが、おばあちゃんどうもすぐ遊びに行ける距離に住んでなさそうなんですよね。みつばやふたばの様子を見ていると、どうやら久しぶりに来ているようですし。
まあ、お母さん関連はたまーに思い出したように出てくる位の方が安心してみていられるので、今はかわいいかわいい三つ子を愛でることにします。こっちが気を揉んでも仕方ないですよね。三つ子はこんなに楽しそうにしているんですもの。
 
とはいえ、みっちゃんの笑顔を見ているとどうにもボロボロ涙出てしまう。
うーん、これが年を取るって事なのかしら…。
あ、今後もみっちゃんのへそなめたいのは変わりないですけど。それとこれとは別ってことで。
 

みつどもえ 1 (少年チャンピオン・コミックス) みつどもえ 2 (少年チャンピオン・コミックス) みつどもえ 3 (少年チャンピオン・コミックス) 
みつどもえ 4 (少年チャンピオン・コミックス) みつどもえ 5 (少年チャンピオン・コミックス) みつどもえ 6 (少年チャンピオン・コミックス)
152卵生を読んだ人は是非ガビョ布先生が描いた、幼児番組のお姉さんみたいな天使みっちゃんを見るのをオススメ。みっちゃんマジ天使。