たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

心を癒せる人は、壊すことも出来るから。「落下傘ナース 2巻」

共依存協奏曲●


あなたを守りたい! あなたを守りたい! あなたを守りたい!
だから側にいて、いないとだめ、側にいてくれないと、私あなたを守れない。
 
「落下傘ナース」は、「おいお前俺のことを守れ、死んでも守れ、俺のためになんでもしろ」という依存した男と、「あなたを守らせて、命をかけて守らせて、私以外に守らせないで」という依存した女の狂った物語です。
一巻の内容はこちら。
病理服従救済冒涜…共依存ヤンデレサイケデリック。「落下傘ナース」
読んでいて頭がおかしくなりそうなマンガです。ジャンルとしてはおそらくコメディなんだと思います。
しかしそのコメディと真剣の狭間が全然わからないわけですよ。主人公の共依存している二人もそうですし、出てくる登場人物みなどこかしら病んでいるので、誰かに感情移入した瞬間頭が変になりそうです。

極度の肥満の後、急激な回復で皮が伸びた学生達が、鳥になった気分で次々に飛び降りるシーン。
これ笑うところです。
多分「漂流教室」のパロディに近いと思うのですが、いやはや、この子達の人生を考えると笑いづらいというか、狂いすぎています。
 
確かに狂った恐怖をゲラゲラ笑うというのは「天才バカボン」の頃からある手法ですが、あらためてかわいらしい絵と、めきめき展開する真面目なストーリーの狭間でやられると相当心に来ます。
そんな頭グラグラ感が最高に気持ちいい、珍しい作品だと思います。
微熱でもうろうとしているときって、だるいけど妙に愉快じゃないですか。そんな感じ。
ちょっと価値観が崩れたほろ微熱酔い気分なところに差し挟む、人間の心の病理。体調の悪いときに読むのはちと危険。
 

●時間よ止まれ●

少年は「守られたい」と願い、少女は「守りたい」と願います。
しかし、二人きりの世界を望んでいるわけではありません。この世界の中で、二人がお互いに寄りかかり、依存したいのです。
時間は過ぎて、二人は成長します。我慢をすることも覚えます。だがそうなってしまったら、共依存のバランスは狂います。

そうするには「変わらない」ことを望むしかありません。
いや、変わらないというよりは「お互いの思った通りにさせる」しかないのです。
しかし、少年の「変わらない」と、少女の「変わらない」が同じワケがないんですよね。

もう虫酸が走るほど狂った少年のセリフなんですが、なぜこうなるのかはまあ読んでいただくとして。
少年の望む「変わらない」は「俺を気遣え」「俺を育てろ」なわけです。
一方、少女の望む「変わらない」は、彼が自分を頼り、自分によって育てられることです。
そう、「育てる・育てられる」という一面において、二人は今まで依存しあって生きてきました。
このまま何も変わらなければ満足?
変わらないわけがない。
 

●奉仕をするということは●

少女側の言い分を見てみましょう。

「私はチトセくんの道具になりたいだけ!!」
これすごく献身的に聞こえるんですが、実は全然違うわけですよ。
人のために働く奉仕の心はそれはもう尊いものですが、彼女は「道具のように自分を頼らないチトセ君」を尊重することをしません。「自分を頼れ」と望んでいるわけです。
つまり、チトセ少年の人格なんて本当はどうでもいいんですよ。
「頼ってくれる少年」という傀儡が欲しいだけ。
ほんとに?ほんとに?
 

この世界は、病を自分に引き受けて治療する「ナース」がいるため、病気の観念が非常に希薄です。
相手の怪我や病気を全部一身に引き受け、それを注射器に入れればはいおしまい。極めて簡単に治る方法です。しかし治療の時の痛みが半端ではありません。こうして破裂してしまうこともあります。病気ですから。
それをも含めてこの世界では「奉仕」と言います。
 
そもそも「奉仕」って言葉、すごく曖昧なんですよね。
奉仕活動って弐種類あるわけです。
「相手のために」する奉仕。
「自分の満足のために」する奉仕。
境界線? そんなもの自分にはさっぱりわかりません。
自覚しているかどうかと、あとは結果がどうなのかのみ。
実質なんて、誰にも分かりません。
 
この作品の世界は狂っているので、当然奉仕の意味も極端です。
死してなお尽くすのが奉仕。そんな勢いです。

「文子さんにとって他人に奉仕することがウジ虫100万匹を咀嚼するのと同じくらいの行為なのだとしても、そのおぞましさに耐えることが、患者さまへの献身として喜びになるんですよ。」

この作品、こういう言い回しが非常に多いです。なんだか妙に説得力があるけれども、嫌悪感をむき出しにさせてくれるんです。おそらくわざと、でしょう。
神経を逆なでしながら「奉仕」「奉仕」と連ねられる空間に、奉仕活動とはなんなのかわけがわからなくなります。
それはアガペーなのか。
いや、自己愛?
 

心療内科病棟●

一巻では主に外科医的なナースが活躍してはスプラッターなシーンを繰り広げていましたが、二巻は心理面に踏み込んでいきます。
そもそも心理の治療ほど得体のしれない物はありません。もちろんプロの医者にしてみたら血中の化学物質のバランスが云々という数値で判断できるのかもしれませんが、素人にはこれほど治ったか治ってないか分からない病気もありません。
だから、治すということは壊すことも簡単に出来るように思えてしまうのです。形には見えないから。

少女文子を「ヤンデレ」とまとめるのは簡単なのですが、実際彼女は一体なにを求めているのか非常にわかりづらいです。あえて複雑にして、愛なのか病みなのか分からなくされています。
身体面でのフォローをするのは、非常に見た目にも「奉仕しました」という結果が見えやすいため、充実感があります。しかし心はそうはいきません。
むしろ心が治るということは、チトセ少年が文子に依存しなくなる、離れていくことに他ならないのです。
 
実質的な心療内科のナースは、出てきません。
出てくるには出てくるのですが…このへんはネタバレを含むので。
心が病む、治るというのは全く形にならないため、非常に判断が困難。ただ逆に「心を壊す」のは見えやすじゃないですか。
突然、行動が変わったり、すべて忘れてしまったり、幼児退行したり。

時間を止めたい。
変化したくない。
ならば心を壊してしまえばいい。
 
二人の病理をめぐる旅は、どこまでも落下傘なしで堕ちていく。
 

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二巻完結です。
この作品最大の功績は、心の病も体の病も、明確な物体として表象した事だと思います。形になればそれは病気として明確化します。心も。そこが一番面白い表現なんじゃないでしょうか。
特にラストシーンは、これで幸せなのか、そうでないのか全く分かりません。詳しくは書きませんが、自分は「ああ、治らないものってあるな」と感じ入りながら、狂った世界と現実世界のギャップの中に眠る真実にちょっと怯えたりしました。
コメディタッチな分、その狂った感覚がどうにも恐ろしい。
最後近くにある「人の心は分かりませんが、今、少しだけ理解できました。」というのが、この作品の良心なんだと思います。
厘のミキ先生は是非とも今後もこの狂った感覚をばしばしバットで打ちまくる作家さんであってほしいです。
 
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