たまごまごごはん

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そして今日も男の娘に翻弄される快感〜「プラナス・ガール」から見る、女装少年の魅力〜

●男の娘●

今本当に「男の娘」が、ものすごい勢いで愛されていますね。
最初期作品が何かは分かりませんが、「ストップ!!ひばりくん」は外せないでしょう。一般化したのは「ギルティギア」シリーズのブリジットでしょうか。あとは「バーコードファイター」も欠かせないですね。
その後たくさんの作品に出てきますが、たいていの場合出てくる度にそこそこ以上の人気を獲得するすごいジャンルです。
こと今に至ってはこんな可愛い子が女の子のはずがない。」「むしろ男がいい」と言われるほどになっていくわけです。アイマスDSに至っては、秋月涼が男の子と判明してから売り上げが伸びる(ただし、アマゾン上での話なので片寄りあり)という異常事態が発生しています。日本終わった?いえいえ、始まったんじゃないかなむしろ!
これが「オカマ」と書くと一気に雰囲気が変わるから奇妙なモノ。女装少年を「オカマ」というのはタブーみたいな雰囲気すらあります。なんなんでしょうこれ?
 

何がそこまで魅力なのかを語るには一言では済ませられないのですが、今回は松本トモキ先生の男の娘マンガプラナス・ガールを題材に自分なりの解釈の一つを少し書いていきたいと思います。
 

●女装少年分類3系統●

女装少年もの、といっても「その人物がなぜ女装をするか」がとても重要です。ストーリーそのものの根幹に関わると言っていいでしょう。

1、女の子になりたくて、女装をしている。または性同一性障害
2、やむを得なくて女装をして暮らしている。
3、女装がしたいだけで、内面は男の子そのもの。

そのキャラが男性を好きなのか、女性を好きなのか、どちらも好きなのかは、一旦ここでは置いておきます。
 

1は「放浪息子」の二鳥君などです。女の子に近づきたくて、女の子に憧れて女装をしているタイプ。非常に葛藤の多い性格でもあります。

2は少年じゃないですが「ニコイチ」など。あるいは「乙女はお姉さまに恋してる」の瑞穂なんかはこれにあたるでしょう。ポイントになるのは「ばれたら困るかどうか」。
また合わせて「無理矢理女装させられた」というキャラを含めると、「ハヤテのごとく」のハーマイオニーなど、数多く当てはまるのではないかと思います。
 
で、問題の3です。
「面白いから」「かわいいのが好きだから」など、1や2に比べて悲壮感もなければ苦悩も少なめ。ポジティブ思考な場合が多く感じられます。周囲が「男の子」だと知っていても平気の平左、むしろ「知ってるけどかわいいからいいよ!」という超絶変化球でもあります。それに説得力を持たせられるかどうかが、漫画家としての腕の見せ所でしょう。
 

プラナス・ガール」の女装少年、藍川絆はすっぽりそれに当てはまります。
理由がまったく定かではないんですが、とにかく女装なのですよ。かといってどうも女の子になりたいってわけでもない。状況を楽しんでいるだけにも見えます。
もっともわざわざ女装をするんだから何らかの理由はあるんでしょうけれども、気まぐれでもいいんじゃない?という気楽さが作品全体に溢れているため、彼の存在に違和感がありません。
明るく、元気で、かわいい。いい性格しているんですもの、そりゃみんなに好かれるっつうもんです。
が。「男の娘」が愛されるには決定的に必要な条件があります。
それはとても残酷なことです。
 

●かわいくない男の娘は認められない●

「ただしかわいい子に限る」のですよ。「男の娘」の最低条件としては。
ブリジットも、準にゃんも、瑞穂も、結城蛍も、ひばりくんも、そして藍川絆も「かわいい」のです。
どのキャラも男女問わず愛されています。
そのビジュアルは、第三者から見てほとんどが「少女」そのものでしょう。ひどい言い方ですが「だからここまで愛される」わけです。
これがもし、ヒゲやすね毛の濃いキャラならどうでしょう。ごつい男キャラならどうでしょう。残念ながら、作品の中でも「オカマキャラ」扱いで終わってしまいます。
あるいは、人間的に愛されても「男の娘」とは言われないでしょう。「面白いやつ」どまりです。
 
もう一点。服装という外的要因を外すことは出来ません。
女装をしている、からいいわけです。あるいは女の子っぽい仕草や言動が言い訳です。
回りくどい言い方ですが「男装をしている女装少年」はただの少年です。人の心を惑わすほどの妖艶さは持ち合わせません。
(いや、持ち合わせているけれども、別ベクトルになっちゃう!)
 
かわいくて、女の子の格好。
結局女装少年の魅力の絶大な部分として「女の子のようである」という事実は欠かせないのです。
このへんが非常に残酷な視点でもあるのは、「放浪息子」で描かれています。
しかし、美少女はどこまでも美しく、美少年はどこまでもあでやかなのが二次元のいいところ。
 

「かわいいだろう?でも男なんだぜ。」
むしろ男でもいいよ!」
「かわいければ男でもかまわない!」
確かに女装少年の魅力は「男の子であること」にありますが、同時に「女の子の外見と挙動」に魅了されていることは忘れてはいけないポイントの一つです。
 

●なぜ少女よりも「男の娘」に惹かれるのか●

ここからは、「少女」よりも「男の娘」の方がよい、という要因についてです。
プラナス・ガール」はちゃんとそこを計算して作られているのが素晴らしいと思うんですよ。なんとなくじゃなく、わざとその魅力を生かすように描かれているんです。
一番分かりやすいのはこのシーン。

その上男と言うだけあって、男心を知り尽くしているときた

外見と明るい性格だけではなく、彼は内面が「男の子」です。
だから男の子の気持ちが分かるというのが最大の魅力になっています。
…まあわかるも何も、男の子なんだけどさ。
 
ここで一旦、性別を切り離して考える必要があります。無の状態から考えてください。
男性が読者であるから、まずは美少女の外見をかぶせます。外見は大事ネ。
で、内面は女らしくあってほしい…けれどあんまりにも女性臭さが強すぎると「分からない」わけです。
男から見た女、女から見た男、どちらも彼岸の存在。それこそが恋愛の醍醐味ですが、二次元でそれを考えるのはちとめんどくさい。
ならば、内面は男の子の気持ちが分かる存在であってほしい。
こうして「外面は女性・内面は男性」という究極生物が誕生します。
 
とはいえ、「性別無し」というのは現実的には不可能です。究極的には多くの人が望む存在であったりもしますが、それは天使などであって人間ではないです。
そのため、精神部分をベーシックにして男性の体が選択されるわけですが、そこで生じるのが「男性同士の恋愛はあるのか」という壁。
しかし、一気に恋愛に行く必要はないんですよね。
 
基準値を中高生に持って行くと比較的分かりやすいと思います。
学生の時期って、変に異性といるよりも、同性といる方が気楽です。
その気楽な関係を保持できる、というのが「男の娘」の最大の利点です。

外見はキュートな女の子だけど、男だから遠慮する必要がないわけです。
ホモとかゲイとかそんな言葉はなんのその。男同士でわいわい遊んでいるんですから、いいじゃない!という言い訳が立ちます。
実際、この「プラナス・ガール」の二人が男女であったら、ここまでフランクな関係にはならなかったでしょう。いろいろハプニングがありつつも、彼らが最善の友人関係を保っているのは、絆が男だからです。
 
同じ事が実は女性キャラとの間に言えます。
女の子にしてみたら「男」だから一旦距離をおく存在でもあるのですが、外見が女性でかつ女性的心理も持ち合わせているので、警戒心をゆるめやすいです。
一緒に遊んでいても、この子は女装少年だから大丈夫…そんな不思議な心理状態が開くのは、「男の娘」キャラに下心がないからに他なりません。
当然、男の娘キャラでも下心満載の狼であれば警戒はされます。
 
加えて、男心をよく知っているので「理想の女性」を演じることが出来るのが魅力の一つでもあります。
つまりは女形。「女性らしい人間」じゃなくて「男性の思い描く女性像」になり切ることが出来ます。

この作品はそれが一番の武器になっています。
もーのすごいあざといんです、絆の行動が。でもどんなにあざとくても、女性的下心を含んだ罠ではない。男の子が男の子をおちょくっているだけ。しかし見た目は少女なので、ぎょっとしてしまい、ニヤニヤ出来るトリック。
 

●同性愛とかは別の次元のお話●

絆がどう考えているかはまだ分かりませんが、相手役の槙君はこんな象徴的なセリフを言います。

優柔不断でずるい表現ではありますが、でもこれって読者側の求めている答えでもある気がしてなりません。
将来年を取ったらどうするの? 社会に出るとき男か女かを選ばないといけないんじゃないの?
恋人になって胸を張る勇気はあるの? あなたは私をどう見ているの?
問題はいっぱいあるんです。槙君にしても、彼にドキドキすることで「俺は男が好きなのか!」という混沌に悩むわけですが、実はこの状態を維持したい、結論は出したくないんです。
 
二次元のいいところは、時間がたたないところです。結論を出さなくていいところです。
ならば、それを最大限に楽しみたい。
図々しいかもしれませんが、思春期のドキドキを永遠に楽しみ続けたいから、こんな曖昧な答えも許されちゃうんです。「プラナス・ガール」の作者はそれをよく分かった上で、ほのめかしてくるから怖い。
きっと細いピアノ線の上をゆらゆら歩く絆の危なっかしさに、ドキドキさせられっぱなしでこのまま突っ切っていくのでしょう。
 
一応勘違いしないでほしいのは、男の娘ブームは「女性嫌悪」や「女性が怖い」というムーブメントではありません。「男こそが最高、女性はだめだ」というミソジニー的なものでもありません。
二次元という理想郷で究極を求めた時の一つの解答だ、というだけです。
「現実から目をそらしている!」と言う方は、現実の女装の苦しみを描いた他の作品も見ていただきつつ、一旦リセットして別の視点で見ていただけるといいのではないかと思います。
たまにはこういう「究極化された桃源郷」に浸りつづけたい、と考えるのは今のオタク文化らしい部分です。温泉にいってノンビリしているときに、現実のわずらわしさなんて考えなくていいんですから。「プラナス・ガール」を読んでいる時だけは、気兼ねなく一緒にいることのできる、自分を受け入れてくれる最高の友人(?)にドキドキする興奮を味わうのが、この作品に敬意を表した楽しみ方だと自分は思っています。
 

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「オカマ」かどうかというと、オカマなんですよね。男であることを明言してますし。でも「オカマ」という言葉と「女装少年」という言葉にはクレパス級の溝を感じます。いつのまにこの溝ができたんでしょ?
もう一つうまいのは、決定的な「男」である証拠を絶対見せないこと。他の女装作品もそうですが、これが見えないことによって「ひょっとしたら女の子かもしれない」なんていう幻想に浸ることも出来ます。まあ男なんですが。焦らし方をよく心得た見事な作品だなあと思います。マンガの中でくらいは、いつまでも焦れる思春期でいたいですよ。
蛇足ですが、ショタコン趣味とは違うのは、「男の子らしいからいい」のか「女の子っぽいからいい」のかの差異だと思います。男装した女装少年じゃ、だめなんですよね。
 
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