たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

この世界が怖くて仕方ないに決まってるだろうが。「アイアムアヒーロー 1巻」

●怖いよ●

怖いよ。
怖いんだよ。
オバケとかさ、超常現象とかさ、心霊とかさ、そういうのじゃないんだよ。
もっともっとほら、曖昧なんだけど。
現実?
そう、現実怖い。でももうちょっとほら、なんか、襲ってくるとか苦しいとかじゃなくて「怖い」。
自分と、現実の身の回りが違っているのが。置いて行かれるのが。自分が希薄なのが。怖い。
 

●俺は一人きりなのか●

花沢健吾先生の「アイアムアヒーロー」が怖い。
ストーリー的にこれから何か始まるであろう事も、確かに怖いんですが、そこじゃない。そういう外枠の怖さや取って付けた怖さじゃないんです。
 
ルサンチマン」ではバーチャルと現実の間で苦しみもがく人間の様子が描かれました。「ボーイズオンザラン」では手を伸ばしても伸ばしてもうまくいかない厳しさと哀愁が描かれました。
花沢作品の中には、いくら頑張っても駄目なものは駄目だと言うDNAが刻まれている気がしてなりません。それでも前者2作品は、前に進んだわけですよ。鬱蒼と茂る蔦の中を切って燃やして食いちぎってウンコ漏らして、それでも不格好に走って走って。
おおよそハッピーエンドと言っていいのか分からない地点に着地することたびたび。でもそれが現実なんだと突きつけます。強烈な女性不信、人間不信の狭間の中でもがいてもがいてもがいてもがいて、時々鼻から水吸っておぼれかけて。
がむしゃらなのは「怖いから」でした。
 
アイアムアヒーロー」は、その怖さがさらに狂気的に、心の中に巣くいはじめています。
何かに襲われるとか、孤独とか、失恋とか、病気とか、死とか。そういう具体的な恐怖じゃないんですよ。


一巻では、現実の世界と彼の妄想の世界が交互に、どちらが正しいのか分からない状態で描かれています。
夜、一人で漠然とした不安に耐えているときの心理状態がこのコマなのですが、病的という表現で切り捨てられるものではありません。
彼は別に死ぬのが怖いとかではないでしょう。自己を見失い、この世界に自分がいるかどうか、あるいは自分以外のものがすべて自分から乖離していることが怖いのです。
自分を何とかつなぎためるために、彼は自分の恋人の存在にすがります。それすらも出来ない深夜は、架空の相手を作って対話することで自我を保ちます。

太鼓持ちみたいなこの左のキャラ。実在しません。
彼が自分の恐怖に耐える時、自分を奮い立たせる時、作り上げる架空の存在です。
結果、彼は独り言を言いがちな人間として、周囲に避けられていくことになります。
 
彼の不安がなんなのかを表現するのは難しい、というか、精神分析的な事を書いてもみんな嘘になってしまうでしょう。
むしろそんな解明をするよりも、読者がその漠然とした彼の恐怖を体感することに意義があります。
とても愛せるキャラクターではないし、実際横にいてぶつぶつ独り言を言われても困るのですが、彼がそういう状況に陥る感覚に飲み込まれていくわけです。
一人きりは怖い。
世界が自分を受け入れないのは怖い。
この世界の中で、自分はキャラクターとしてすら生きているか分からない。
 

●俺はこの世界で希薄だから●

妄想癖、というべきでしょうか。
「彼の望む世界」の中では、太鼓持ちのへちゃむくれくんが「すごいっすね!」と励まし、周囲の人間も笑顔で自分を受け入れてくれます。
そう、理想の世界です。
ヒーローです!
マンガを高尚な理念で描き、それを人に受け入れられ、女の人はむしろ向こうからすり寄ってくる。興味はないけどね。ああ、かっこいいわ。抱いて。
アイアムア、ヒーロー。

実のところどうだい。
独り言が癖になっていて、みんなには疎まれて、何もかもうまくいかない。一度はしたマンガ家デビューも、気づいたら周りに追い越され、自分の存在はどこにもないじゃないか。
彼女以外の女性達は気持ち悪いものを見るかのように見てくる。反吐が出るような男ですら、俺のことをバカにする。いや、むしろいなかったかのように扱う。
自分の存在はなんだ?どこにいるんだ?
 
彼の「自我」の消失の恐怖は、画面の端々から襲い来るかのようにこちらに向かってきます。
滑稽なその姿。でも決して彼を笑えないんですよ。
虚勢を張って、強がって。でもそれが何もかも、自分の存在に自信がないからなのは分かっているんです。テレビの画面から人物が消えてカラーバーになるときのあの不可思議な喪失感が、常に身の回りを覆う。
誰もが経験ある、とは言いません。しかし「そうなりうる恐怖」は誰の精神の中にも巣くっています。
ヒーロー?笑わせるな。
それどころか、自分は「登場人物」なのかすら分からないじゃないか。

彼のセリフがあまりにも痛々しい。
言葉にはしないけど、それはいつも思っているんだ。
言葉にすると恐怖が形になりそうで、言えないんだ。
 

女性嫌悪と人間不信●

花沢作品は、女性を疑っています。
もちろん全員が嫌いというわけではなく、「ボーイズオンザラン」にしても最終的には一人の元に(ボロボロながらも)行ったりと、個人と個人の絆としては大切にはしています。
いますが、同時に「女性は裏切る」という痛烈な不安感あふれる根っこの元にマンガが描かれています。「ボーイズオンザラン」のビッチ(←公式)はその典型でしょう。
花沢健吾インタビューその1 非モテよ立ち上がれ!『ボーイズ・オン・ザ・ラン』

――女性に対する不信が根底にあるんですか?
 
花沢:これもまた表裏一体で……、どこかこう、信用できないんじゃなくて、理不尽なものを感じることがあるんですよね。なんだろな……女性……専用車両とかね。最近、北海道で女性専用スパゲッティ店ができたって話があって、男性は何時から何時まで入店できません、って……。なんかねえ、そういうのを、すごく……。
 
――理由がわからない。女性専用車両ならば、痴漢防止かな、と思うんですけれども。スパゲッティを食べる男を見るのが不快なんでしょうか。
 
花沢:そういうこととしか思えないですよね。ものすごく理不尽なものを感じてしまって……。
 
――『ボーイズ・オン・ザ・ラン』が闘う対象は女性なんでしょうか?
 
花沢:(考えこむ)なんだろうなあ……。あからさまにそうなっていくかはまだわからないですけど、せっかくなので女性批判はしていきたいと思っています。自分の中にいろいろな憎しみとか、暴力衝動とか、そういうものが、あるんですよね。そういうのをまず描いていこう、その対象になるものは何かと考えると、いろいろとあるんですけど、身近に何があるかと考えると、そういう不条理だったり理不尽だったりするんですよね。

セックスはしたい。どうしようもないくらい性欲はある。けれども、だから女性にへつらうのは納得がいかない。女性だからえらいのか?テレビでおっぱい目立たせているだけのアナウンサーに意味があるのか?たかがおっぱい大きいだけなんじゃないのか。それでプロと言えるのか!
…でもおっぱい好き。
女性に対しての理不尽と不満と恐怖が入り交じっているのに、一緒にいることで安心してしまう男どもの滑稽さが、「アイアムアヒーロー」の中ではさらに強調されています。
ひいてはそれは、女性のみならず現実世界そのものへの理不尽への不満と恐怖にもなっていきます。
 
世界は理不尽に形を変えていきます。自分の存在なんて忘れて前に進んでいきます。

視野が狭い、と言われるかもしれない。実際彼らの視野は狭くて狭くて、錐で開けた穴から必死に向こうを覗こうとあがいて苦しんでもだえて、失敗しています。
でもあがくしかないんです。その錐の穴からしか向こうが見えないんです。見えない、と強迫観念のように責めさいなまれているのです。
 
第一巻はこの人間(主人公とはまだ言えない)英雄の、世界への恐怖が形になって描かれています。どこまでが本当なのか、境界線はありませんし、境界線をひくことに意味はありません。だって怖いんだもの。
しかし、この一巻ラストからいわゆる「現実」として認識していたものが終わります。崩壊のはじまりです。
現在進行形でスピリッツで連載は続いているのですが、何が起きているのかはまだはっきりとはわからない状態。そもそも英雄の心理と世界が曖昧で乖離をしていない状態です、それこそどこまで本当なのやら?
ネタバレになりますが、こちらのサイトで詳しく「予兆」についてまとめられているので、単行本片手に是非。
 
僕が単行本を読んで改めて驚いたという事件の予兆を箇条書きでまとめておきたいと思う。- @Payaso
 
英雄はヒーローになるのか。
そもそも「登場人物」としての自我を持てるのか。
花沢作品は安易なハッピーエンドを作りません。ハッピーエンドに見える終わりも、本当はどうなのか分からない場合の方が多いです。
それが、現実だから。
英雄が見る、恐怖に怯えていた「現実」はどんな形を作り出すのでしょうか。
それを見るのが、ものすごく怖い。
何もかも自分に跳ね返ってきそうで。
 
お前は人生の主人公になってるのか?
 

緊急放送のテスト、深夜のテレビのカラーバーや砂嵐、子供の行方不明のラジオ放送…あの得も言われぬ不安感に似たマンガ。
彼女がいて一見「勝ち組」に見える彼ですが、その彼女へ対する不信と不安がものすごくて吐きそうになります。そもそも勝ちとか負けとかじゃないんですよ。この世界にいて自分が安心できるか出来ないかだけなんです。「ボーイズオンザラン」ではその視線が他の人にも広がりましたが、この作品はインナーに入り込むのか、人を救うところまでいくのか、単に病的な視点なのか。全く不明です。
多分多くの人が彼の行動に飲み込まれて「怖い」と感じると思うのですが、逆に完全に客観視したら、滑稽で笑えるのかもしれません。自分にはその感覚は、永遠に持てそうにありません。
なんとなく、幼児期に自我が芽生える時の「世界は自分と違う」「自分以外は他人」という別離不安に似たものを感じるのですが、ストーリーが進まないとこのへんはなんとも。
 
〜関連記事〜
「ボーイズ・オン・ザ・ラン」という、納得のいかない現実の中で負けを認めない男の話。