たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

『田舎』がいいって、本当ですか?「ばらかもん」

●「田舎」神話●

田舎はいい。
と、よく人は言います。
自然があるとかー、空気がいいとかー、人があったかいとかー、住みやすいとかー、色々なんですが。
本当か? 本当にそうか?!
いや、自然はあるけど…本当に住みやすいか?と自分は一歩引く部分があります。
無条件で「田舎はいい、田舎に住めばいい」という意見には首を傾げる部分があります。
田舎=極楽、ではない。
 

●田舎の住みづらさ●

都会育ちの書道家が、田舎の島に行って暮らす、という設定で描かれたこのマンガ、田舎万歳物なのかなあと思いつつも、表紙の幼女に惹かれて買ってしまいました。青年と幼女。よい。
 
読んだ結論としては、ああ、ちゃんと「田舎」を分かって描いているんだなあーと深く感服しました。
手放しに田舎万歳じゃあないんですよ。なぜ田舎がいいのかをきちんと説得力を持たせて物語の力で説明しながら、田舎には欠点もあることをちゃんと踏みしめています。
 
田舎の面倒くささって、病院がないとか、テレビが映らないとか、ネットが遅いとか、そういう表面的なものもありますが、もっと深い部分に根付いているわけですよ。
ようするに人間関係の問題の部分。
島はまさに、現代に残る村社会です。どうしてもクローズドな視野の狭さが微妙に残ってしまいます。
たとえばこのシーン。

引っ越しの荷物が届いたんですが、競合する業者がいない寡占状態なので、すごく商売が大雑把になるんですよね。
お店の商品の値段がやけに高かったり、ガソリンが異常な値段で取引されたり…島は経済的には独立国家みたいなものです。「寡占はいけない」なんて理論は通用しません。
「おおらか」という言葉でまとめるならいい感じですが、悪く言えば極めてルーズです。そうじゃないお店ももちろんありますが、どうしてもルーズになってしまいがちなのはもう心理的にどうしようもない。
 
あと、世間の狭さが半端じゃない。

ちょっと何かあったら、すぐに話題になってしまうから迂闊なことができない!
「村中みんな知っている」状態は、これが意外とあるから困りもの。特に引っ越してきた外来の人の挙動で、かつ先生なんていったらものっそいよく見られて話題のネタにされまくり。四六時中「先生」として生きて行かなければ行けません。
これは、オンオフの切り替えのできる都会と違ってものすごいハードもハード。弊害となって若い人が田舎からいなくなる原因の一つと言っていいです。
 
この本そういう田舎の面倒臭いところを隠さずに描いているから、すごくほっとします。
そう、田舎は天国じゃあない。
これに加えて、不便さがついてくるんだから、むしろ田舎は住みづらいのは、事実です。
 

●住みづらい田舎だから●

はて、荒れた荒野に咲く花は、根を深く伸ばします。うっそうとしげった森を生きる草花は生き抜くために形を変えます。
田舎は非常に住みづらい。だから住人たちはそこに適した生き方をするために、強く生活しようと戦うのです。
見えないところで。笑いながら。苦しい顔なんてしていられない。
 
主人公の設定が「書道家」なので、それほど都会っ子的な不便さは表に出しませんが、やはり田舎の文化とのギャップに苦しめられます。必ずしも全てが「いやあ素晴らしい」というわけじゃあない。
しかし、その中で時間を経ることで分かっていく人間の「情」ってもんがあります。

ものすごいこの作品を象徴するかのような1ページ。
実際面倒多いんです。色々不便だらけです。
世界が狭いからうまくいかないこともあれば、振り払えないしがらみもたくさんあります。
あるからこそ、つながるものもある。
 
田舎はいい所、と単純に言いたくない。
田舎に住むのは大変なんだよ、すごく苦労するよ。
苦労するから、みんな手を取り合ってその体温を感じられる。
そこは、悪くないと思う。きっと。
 

●狭くても広がる世界。●

この作品、視点が別のキャラ(この村の住民など)だったらまた違うんだと思いますが、主人公が外来者だというのが大きく作用して、上手い具合に化学反応おこして、笑いながらほっとできる物語作りになっていると思います。

基本的にこの人なつっこい、でも鬱陶しい感じの女の子、なると主人公を中心に物語は展開していきます。
なるが「女の子」じゃなくて「がきんちょ」なのがいいんだ! 行動原理も考え方もものすごく幼い。だから「かわいい」んだけど「イラッ」とする気持ちもわかる。
「イラッ」としつつも、やっぱり尻尾をふって付いてくる子は「かわいい」。そういうものですよね、子供って。
 
主人公は頭でっかちな都会っ子ではありますが、それでも案外と性格がストレートな方です。感情的に動ける人間です。
書道家、という設定でそれをうまく描いているんですが、なるとワイワイやっているときはもう彼の中の感性がものっすごいシンプルになります。考えてどうこうしていないんですよ。
それを「田舎効果」と言っていいかどうかはわかりませんが、子供とぶつかりあうことで見えてくるものはあると思います。

もちろん、なるも、何も考えていません。感情のままにしゃべります。
一旦シンプルにすることで、視点を切り替えて見えてくる物もやはりあるのです。
 
なるの性格とビジュアルが悪くないと思えれば、この作品とても読みやすく、すんなり入ってくると思います。なるはおバカな子ですが、とにかくめちゃめちゃかわいいです。
「ハートフル」とかって表現しちゃうとむずむず背中がかゆくなっちゃうんですが(中2病的に)、なるがげらげら笑いながら近くで遊んでいられるような場所が「田舎」だとしたら、「まあいいかもね」と妥協してしまいます。
 
だからこの「ばからもん」という作品、主人公視点で見ると、多少の理不尽も「まあ仕方ないか」と思ってしまう妥協コメディだったり、キリキリ悩んでいたことも笑顔と情で許されてしまう許容コメディなんじゃないかと思います。
あとは…。

幼女と若い娘が遊びに来るとか、天国じゃね?
くそう…ぼくも書道家になって田舎に行くんだ…。
 

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ほんと「田舎よいとこ一度はおいで」で終わらない、田舎の持つ裏も表も笑いながら描いているから、この作品が好き。島だとなおのこと、「いい部分」以上に、問題点もあって当然。だけどそれをいかに許容して行くかが生きて行くコツなんだよと。それを受け入れて、楽しさに変えられたときに、はじめて「田舎っていいところだね」と言えると思うのです。と、田舎暮らし経験者の自分が言ってみます。
作者のヨシノ先生が実際に長崎の五島列島の生まれだそうで。かなり実体験なんだろうなと思われるシーンがたくさんあります。なるほどどおりで。
 
個人的にもち投げのもちを横取りするパンチばあさんの話が面白かったです。こういう不条理と人情のバランスで、田舎の社会は成り立ってますよねえ。
現実的な部分(例・知らないじーさんが家にあがっているとか)と理想的な部分(例・女の子が遊びに来るとか)を混ぜ混ぜした、かなり良質な田舎疑似体験マンガにしあがっていると思います。
 
〜関連リンク〜
生存確認(ヨシノサツキ先生オフィシャルブログ)