たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「男の娘」と「女装少年」は違う。

●百合の表向きの形骸化●

WEB拍手より。

最近ゲームをやって、男(男の娘?)×男に目覚めそうな昨今。巷での萌え具合に反して、作中で扱われる同性愛の障害の大きさって、男の娘>BLとかホモ>百合な気がします。
百合は既にファッション感覚というかフツーに属性の1つ、BLは(二次的な捏造が多いのもあるが)友情の上位とあまり障害として機能しないのに対し、男の娘だけは性差に対して真っ向から向き合うものが多い印象。
このゲームでは、中性的でコンプレックスこそあれ男と自覚していて、その子が男なのに主人公に好意を持っていて、だからこそ嫌われたくないから言い出せなくて〜ってのが非常にツボで萌えました。
ただ、一般向け漫画などではこういう好き嫌いのある感情を扱うことは難しいし(だからファッション感覚の男の娘ばかり)、エロマンガでもニッチで話の尺も取れないからやっぱり描かれない、と難しい属性なんですよねぇ。同性の恋愛の萌えって、その障害の大きさというか、自分達以外誰も祝福しないシチュ萌えもあると思うんで、百合やらが市民権を持つ上でそういった属性が失われているのは残念なばかりです。

ゲーム名はネタバレ防止のために伏せておきました。ご了承ください。
 
男の娘やBLや百合など、いわゆるヘテロではないタイプの恋愛で「障壁」を描く描かないは、それはもう、もーーーーーーのすごく繊細な問題になってくるので「こうである」と一概に言えないんですよね。
ただ、BLや百合がいい意味で定着してきたのは間違いないと思います。作中での問題ではなく、ジャンルとしての広がりや、販売数の問題で、です。少なくともある程度がんばればほしい物が手に入るようになりました。いいことです。
BLジャンルは性差による精神の苦しみを描いた作品も多いですね。言い切れるほど詳しいわけじゃないですが、ラブラブハッピーだけではなく、世間の目を盗んで愛し合うことへの苦悩が描かれる作品は多いと思います。
百合はどちらかというと「閉じた空間」、たとえば女子校なんかを舞台にしているものが多く、女学生時代の甘酸っぱい感情を増幅させたような作品が現在は多いです。そういう意味ではBLより保守的作品が現時点では多いでしょう。
逆に生々しいリアルな感情や、性のせめぎ合いを描くと「ビアン物」といって分けられることもあります。まだ百合が定着しきっているジャンルではないので、作り手側受け手側が繊細に気を遣っているから起きている現象だとも思います。「青い花」や「オクターブ」なんかはそんな呼ばれ方をされることも。

なので、ヘテロ以外のカップルに対する視線は作品単位に考えていく必要があるかな、と思っています。
 
「百合」は現在、ものすごい微妙な過渡期だと思います。
確実に育っている、伸びている! でも形骸化した「百合っぽさ」に進むのか、リアルな「女性同士の愛情」に進むのか、「女の子の特別な友情」を差すのか、「女の子同士ってエロくね?」という男視線の都合良さに向かうのか、これがばらっばら。
百合専門誌が今は女性向けの「百合姫」、男性向けの「百合姫S」、エロありの「百合姫wildrose」、複合型の「つぼみ」、新進気鋭の「Lily」のみなので、今は暗中模索の段階です。以前より「男性向け」「女性向け」がはっきりしてきたのでマシにはなってきましたが、うかつに踏み込めない難点も多々。
それをぶっちぎるため、完全にファンタジーな「女の子同士が好き好き!」という明解な形の百合的な作品群を生むことが解答の一つ。ややこしい問題は破棄して「楽しいが一番」というタイプの百合的な作品です。
これはBLでも当てはまると思いますが、そういう「わかりやすさ」は次の段階、深い心理描写作品が育ちやすい土壌を作る上では欠かせないというか、仕方がないというか。
弊害としては、外から見たときに「何にも分かってないよ!」と軽視されてしまうこと。
ジャンクフード的なおいしさを意図的に作っているので、まんべんなく読んでいる人には「こういうのもおいしいよね」と楽しめるんですが、客観視するとジャンクフードに埋もれてしまって「こんなのしかないのか」となんだか軽くなってしまいます。なので、「恋愛感情の苦しみ」を描いた作品はいっぱいあるけど、埋もれちゃっている、とういうのが現状なのではないかと思うんです。
あるいはオリジナル同人などでは、内なる感情をガッチリと描いているけど「明確なイチャイチャがない」ために商業誌に出られない作品はたくさんあるはず。土壌さえ整えばきっとそれらが日の目を見る時がくるはずだと信じてます。
 

●「萌え」るための土壌●

「自分達以外誰も祝福しないシチュ萌え」というのはものっすごいよく分かります。
前に希望が見えてこない、でも好きでしかたない苦しみ! それをきちんと描ける作品は本当に心をわしづかみにしてくれます。
ところが、同時にこれが強烈にデリケートな問題でもあります。
ハッピーエンドはいいんですよ。「よかったね!」で誰もが納得できるので。しかし報われない可能性を秘めている場合、あるいは「周囲から後ろ指さされる」ような描写がある場合、たとえフィクションだと分かっていても受け付けない人がいる可能性が非常に高いです。
これが、「萌え」の持つ暴力性の一つだと思っています。*1
「これは完全にフィクションです、現実とは関係ありません」とドラマみたいな前置きを入れればいいのかもですが、それも味気ない。「男同士『だけども』好き」「女同士で恋愛しても『変じゃない』」というのは、暗にそれを否定していることにもなってしまうのです。本当に普通ならわざわざそんなことは言わない。
だから、うかつに「そこが萌える」と大声で叫べないんです。
 
「これはフィクションである」という土壌さえしっかりしていけば、問題はクリアできていくとは思います。ミステリーがそういう苦難を乗り越えてきたように。
今はまだBLも百合も、非常に慎重さを持っている作家さんが多いです。「萌え」が前提にある場合、決して「市民権を得ている」という状態ではないですし、市民権を得るために何かを説き伏せるつもりもないと思います。
 
「萌えてごめんね、でも好きなんだ」と割り切っていくか。
間に入れるクッションを試行錯誤して、完全にフィクション化していくか。
さもなくば真剣に向き合って、誠意を持って最大限の力で表現するか。
後者は苦難の道ですが、だからこそ凄まじい熱量をもった名作が生まれるのもまた確か。
 

●「男の娘」という語●

前置き長いな! ここから本題です。
「男の娘」という語はそういう意味ではめちゃめちゃ優秀な言葉です。
なんせ「男の娘」という言葉が冠された時点で、フィクション化してしまうんですもの。
ああこれは現実にいるものじゃなくて、二次元の中のキャラクターなんだなと。
 
もちろん、異性装で悩んでいる性同一性障害持ちの少年キャラもいます。女装じゃないと不安になる苦しみを抱えた少年キャラもいます。
その点も踏まえて、「男の娘」と「女装少年」は何が違うのか、自分なりに考えて見ました。
 
まず基本として「女装少年」の語は「男の娘」を含む大きな幅があることを前提とします。
その上で、「男の娘物」「女装少年物」を分けるとしたら、

1、見た目が女の子っぽいか否か。
2、自ら女装をしているか否か。

ここが最大のポイントになります。
 
まず、1。
見た目や声が女の子っぽいことは最低限の条件のようになっています。女装したくても体つき顔つきが男っぽい場合は認められないという、ひっくり返すとなんとも残酷な話でもあるんですが、でもこれはどうしようもない事実でもあったりします。かわいらしさに「萌え」るためには。
どう見ても女の子、でも実は男の子、というパターンはそういう面では「究極生命体」を作ろうというオタク文化に取って欠かせない存在でもあります。
外見は女の子っぽいほうがいいんです。かわいい方がいいんです。しかし内面は男の気持ちを分かる人であってほしい。そんなわがままを一手に引き受けてくれる、創作の「男の娘」は偉大です。準にゃんなんかはまさにここにスポンとはまった感じがします。
 
次に2。たとえば「IDOL M@STER DS」の涼ちん。
彼は自ら望んで女装をしているというわけではないです。むしろ「できれば着たくない」。
その他にも、「ハヤテのごとく!」のハヤテも男の娘扱いされることもありますが、別に着たいわけじゃなくて「無理矢理着せられているのがかわいい」んですよね。
逆に自らの意志で着ていると言えば「ストップひばりくん」や「プラナス・ガール」などでしょうか。

かわいくありたい、どうせだからかわいくいたい。その思考回路は間違いなく男性のもの。決して心が女の子なわけじゃないです。
いわば、「愛でる対象」であると同時に、男性の変身願望をも一手に背負っているかどうかもポイントになってきます。
 
明らかに男っぽい外見なのに女装をしているのは「女装男子」。
女装するのを恥ずかしがっているのがかわいくて仕方ない、という見方なら、それもまた「女装男子」。
正々堂々さっぱりと女装を楽しみ、かつかわいければ「男の娘」。
 
使い分けた方が、「男の娘ものだと思って買ったのに思っているのと全然違うよ!」というハズレを引かずに済みます。実質様々な作品を見ているとどちらかに分かれているので、そろそろなんでもかんでも「男の娘」でひとくくりにしなくてもいいのかなと思っています。
もっとも変に定義にこだわりすぎると、その狭間にある作品の魅力を見落としてしまうのですが…。
 

●女装出来ない男の娘●

「男の娘」は読者に好かれます。男女問わず愛される確率が非常に高いです。いわば両性の魅力を持っていると考えれば、確かに納得。
加えて、かわいい「男の娘」は作中キャラにも愛されます。周囲に好かれることで、そのキャラが「かわいい」というのを表現するためです。まわりに「かわいい」と言われるキャラは、言われることによって「かわいい」という烙印を押されるわけです。いい意味の。
なので、全体的に恵まれた環境にあるのが、今風の「男の娘」です。
 
ところがリアルを一滴垂らすと途端に違和感が生じてしまうのが男の娘の恐ろしいところ。牛乳に酢をいれたかのように、心と体が分離してしまいます。
代表的なのはやはり「放浪息子」でしょうか。

二鳥くんはかわいいですし、読者的にも「萌え」ることが出来ます。
しかし作中のキャラにはオカマ呼ばわりされます。周囲に笑われます。子供は残酷なもんですが、実際中学生なら、そんなもんでしょう。仕方ないです。

マイノリティに対する「変」という言葉が、否定できないこともあるんだよ。「放浪息子 9巻」
それはあくまで本人に対してではなく世の中と言うか、漠然とした物に対して。(一番最後のコメント参照)

「男の娘」というフィクションのクッションがあると、柔軟に受け止めることはできるんです。それは読者視点で。
しかしそのクッションがないキャラクター達が見る視線は、極めて残酷だったりします。「萌え」から形式を抜き取って、現実的な視線を入れた時、現れるのは突き刺すような痛みです。
 
二鳥君はいいんです。かわいいからまだマシです。いや、よくはないんですが…。
心根は「男の娘」だけど、外見がかわいくないから女装を堂々と出来ずコンプレックスを抱いているマコちゃんが本当にリアルだと思います。
だから彼自身が客観的で冷静な言葉を吐かなければいけない。自分で言った言葉が全部自分に跳ね返って刺さってくる。周囲のキャラがそれをちゃんと心根の部分で分かっていて、彼に近づいて仲良くするあたりは、見ていて切なくてたまりません。いい、悪いじゃなくて「仕方ない」。
 
「女装」というのは目に見える形での「異質」です。特に性同一性障害ではない状態で女装をしたい、という心理に至るのは、周囲も本人も「異質」だと分かっているという面で、BLや百合とは明かに一線を画していると思います。
この「異質感」って、実は色々な人が密かに心の中に抱いている物だとも思います。コンプレックスだったり、あるいは漠然とした「『普通』ではない」という感覚だったり。自分が何かと違って劣っていると感じるそんな曖昧な不安。
その不安を形にして見やすくしたのが女装、という見方も出来ます。
 
ある意味、「女装少年」が出てくる作品の場合は本人が違和感を抱いているでしょうし、「男の娘」が出てくる作品の場合は周囲がそれに対してどう反応するべきかの違和感と戦っているでしょう。
一ジャンルとして確立しはじめている「男の娘」ですが、属性の一つではなく「違和感といかに戦うか」の心情を描いていくことで、深みはまだまだ増していく気がします。
もちろん同時に、究極生命体”男の娘”を作るための職人達の切磋琢磨も、まだまだ続くでしょう。
 
おわり。
 

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蛇足。
エロマンガエロゲーでの「男の娘」と男性の恋愛は、女性の位置を入れ替えたものが今は多いです。なので「ふたなりと変わらない」と指摘する人もいます。最初は「そんなことはない」と思いましたが、エロ方面で考えるといやはやそのとおりな現状もありますし、それはそれでいいんじゃないかな?と思ったりします。ふたなりも「男の心と男の感覚」を持った女性の皮を被った生命体ですし、描写ベクトルは似ていることもあるでしょう。
女装した男性と、女の子の恋愛はまた別。違和感と戦うのが最大のポイントなんですが、その違和感の壁を高くするか、低くするかが作家さんのさじ加減。ここで作品の方向性が変わると言っていい。
一般向けで「男の娘」と男性の恋愛が描かれる時、そのさじ加減はどのように変化していくか…昔から色々描かれているテーマですが、永遠に答えの出ないテーマでもあります。
もっとも、BLも百合もヘテロも、というか恋愛そのものが答えのないものだから、「描き尽くした」なんてことは永遠にないんでしょうね。
だから、魅力的。
 
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女装少年かわいい、というのも楽しいのですが、「自分が出来ない女装の快感をキャラに代弁してもらう」という作品はもっと増えてもいいなあと思ったりもします。
ぼくの容姿はマコちゃんだから、二鳥くんにはかわいい格好をしてほしいんだよ!的な。
  

*1:ここで言う「萌え」は、あらゆる事象を完全に切り取って「面白い」という感情でひとくくりにした場合のこと。必ずしも性的な嗜好を含むわけではないです。