たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

性転換してガールズトーク、で満足なのか?「あめのちはれ」2巻が描く人間模様と雨模様。

さわやか青春系性転換マンガ「あめのちはれ」の2巻がでました。
一巻の感想はこちら。
 

無理にエロを用いずに、性転換にまつわる心の揺れ動きを最大限に表現し、少年少女の距離感を描くこの作品、男女とも楽しんで読めるかなり秀逸なTS(トランスセクシャル)モノではないかと思います。
もちろん「性」が変わるのですから当然セクシャルな表現が0なわけはありませんが、中心に描かれているのが「理想の少年像」と「理想の少女像」、その中で見え隠れする感情の「リアル」を軸にしているため、読みやすい上に心に引っかかりがいっぱいできる秀作。そう、なんか読後にいっぱいひっかかってしまって、それが気になって仕方ないんですよ。
 

●心の違和感●


雨が降ると女の子になる、という不思議な体質になってしまった少年達。一人ではありません。数人います。
これがちょっと面白いですよね。通常だと一人が性転換して周りが大騒ぎ!というパターンが多いのですが、「あめのちはれ」は性転換してしまうという秘密を持ち合わせた数人の少年達が、今まで会話すらしたことないつながりなのに、それを機につながっていく様子が描かれているのです。
テーマになっているのは2点だと思います。
・男女の性差から産まれる違和感。
・少年同士、少女同士、少年と少女の間での距離感。
一点目はTSものの偉大なるテーマの一つなので欠かせないでしょう。上のコマの「まずい、変わっちゃった」は一生で一度は言ってみたい名台詞ですね。自分が美少年どころじゃないため、女の子になってもかわいくないのが難点ですが。
 
このマンガでの性転換の様子、非常にたくみなもので、あまり外見変わらないんですよ。本当にそのまま女の子になるんです。急にいかにもな女の子っぽくなるわけじゃあない。すごく微細な体つきの描写と仕草を駆使して、女の子になったことを描写しています。絵だけ並べるとそれほど差異はないのに、マンガとして読むと明らかに性が変わったことが読者に伝わるのが、もうムズムズしますね。
ファンタジー的にありえないくらい見た目が変わるのもいいんですが、なんかじわじわと体が変化するこの繊細な感覚。非常に貴重な描写力だと思います。

左は本物の女の子。右は性転換した男の子(現在は女の子)。1巻のころは慣れていなかったため仕草も男の子っぽかったのですが(股開いたままだったり)、2巻になると徐々に意識的に女性的な動作を取ろうとするようになります。
そこが!なんともドキドキするポイントなんですよ。
無意識にその仕草をとる女性がかわいらしいのはもちろんなんですが、精神は男の子な状態の女の子が、一生懸命女の子っぽくしようとするぎこちなさ、違和感には照れがあるわけです。
ましてや着替えなんかしようものなら。喜んでじろじろ観るほどこの子達成熟していません。少女の赤面によって少年の赤面を見られる、という倒錯感がなんともいえずむずがゆい。

このコマなんかは割と顕著にそのへんの違和感が出ています。元はローテンション無気力なメガネ少年。彼だけメガネの黒髪ロングヘアに性転換する、というのはなんとも絶妙な配役です。
女の子になることではじめて気づくこと、なんて当然いっぱいあります。男性だったら一生かかっても分からんことだらけです。
どうしても性転換を描く場合、性器や胸や衣装に意識が行ってしまうのですが、この作品は日常のこまかな仕草や、女の子独自の習慣にもスポットを当てています。
あとは女の子同士でないと分からない人間関係の機微とかにも。
 

●ガールミーツガール(中身は男)●

思春期の、女の子とつきあったことのない少年達にしてみたら、少女とのコミュニティはもちろんのこと、少年同士でのコミュニティもまともにするのは難しいモノです。
ましてや女の子になった自分と、元からの女の子のコミュニティなんてもうわけ分からないでしょう。大人になったってそんなんわからんよ。どう接すればいいのか分からなさすぎですよ…あ、でも精神的に安定していたら先にネタ晴らしする人のほうが多いかもですね。残念ながら彼らはそれどころじゃありません。

これは女の子になっていない状態の、女の子になっちゃう子たち3人の会話。
彼らがつながるきっかけになったのが、性転換する仲間同士だから、というのはなんとも皮肉な話ですが、見ての通りそこから人間関係が芽生え始めています。
 
この話の人間関係の軸は三本。
一つ目は、少年同士のほのかな友情。
二つ目は、少女同士の不思議な距離感。
三つ目は、少女になった少年と、少女のぎこちない関係。
どれが大事、というものではありません。三つとも大事。
特に「少年同士の友情」を、少女同士に性転換することによって見つけていく、という話の流れはなかなか面白いです。つながりを作っておかないとそれぞれが危ない、という運命共同体的な部分もあります。また視点が少女同士に変わることによって、見えないところが見えてくることもあります。
 
少女に性転換する少年達の性格は個性ばらばら。明るく元気な子もいれば、なんだかどよどよした子もいます。ばらばらで当たり前。育ちはみんな比較的いいです。
その中で異彩を放つのがトーマこと如月冬馬。ハーフで外人的な外見をしています。そして性転換しても一番見た目が変わらない人物でもあります。

どっちも少女化した少年。下がトーマです。
飄々としていたり、明るかったり、それでいてどこか抜けていたり、純粋だったり、クールだったり。とてもいい意味でつかみどころのないキャラです。そのため、他のキャラとの絡みも多めです。
もちろん、性転換することに関して慣れているわけもないので、そこは他のキャラと同じく動揺しますが、見ての通り少し客観的な視点の持ち主でもあるんです。
 
上の少年葉月は、少女状態では月子と名乗っており、女学校の方の少女明日美と仲良くなります。少女と少女、として。
そこがくせ者でして、葉月は男性として明日美が好きなわけですよ。でも明日美は葉月と月子は別者だと思っているし、月子を親友として扱っている以上でも以下でもありません。
 
トーマの「いつまでガールズトークで満足してる気だか」のセリフがなかなか刺さりますね。
男性がいくら頑張っても、女性にはなれません。どんなに女性と親しく話せるようになろうとも、あるいは結婚までしようとも、男性は男性、女性は女性なのです。男性と女性はガールズトークが出来ません。できる人もマレにいますが、ほぼいないと言っていいでしょう。
当たり前のことなんですが、これはすごいことですよ。ガールズトークは女性同士でしか出来ないんです。男がどんなにあがこうとも手に入らない瞬間なんです。
このマンガではそれを手に入れてしまった事によって、逆に今度は男性と女性との会話が出来ないんです。
性転換マンガの中にはそれを並列して行う作品もありますが(男性時も、女性時もそれぞれ別キャラとして動いて女の子と接することができる場合)、葉月の場合はちょっと違うんです。
そりゃ葉月として明日美と仲良くなりたい、あわよくばラブラブになりたい、とは願っていると思います。トーマはそれを指してこう言っているわけです。
しかしガールズトークはそう単純なものじゃないよと。彼の中に芽生える複雑な罪悪感が細かく描写されていき、作品は単純ではない歯ごたえを見せ始めます。
そこにもう一人、明日美の友人の桜子(こちらも元から女の子)が入ることで話はどんどん複雑化します。桜子のむき出しな「女性」が不安定な少年達や純粋な明日美の中に石を投げ込んでいきます。
葉月と明日美の恋愛事情だけではない、男の子同士も、女の子同士も、横のつながりが並行して進んでいきます。この作品はいわば、複雑にからんだ人間関係を「性転換」という軸で丁寧にほどいていく群像劇、という見方もできると思います。
 

●百合の花の花粉を取り除いて。●

2巻で、一点だけ、もうすごい引っかかる部分があるんですよ。

これは明日美が月子(中身は少年の葉月)と会話しているシーンなんですが、百合の花の花粉、というか「やく」を取り除くシーンです。先ほどのべた桜子と、お母さんの日向子も同じような会話をして、やくを取り除いています。
なんとも象徴的というか、むしろストレートですよね。百合がガールズラブの象徴としてよく使われるのはもちろんのこととして、花粉取っちゃうんですよ。むしろいらないものとして。
 
桜子と明日美の通っている女学校はかなりのお嬢さん学校。葉月たちの通う学校もまた、立派な男子校。
どちらも比較的、汗のにおいもしなさそうなきれいな「理想像」のような学校です。

これは一巻のシーン。
非常に性的には曖昧な彼ら・彼女らではありますが、明確な一本の境界線があるんです。それが象徴的な学校の分かれ道として描かれています。
であるならば、桜子が持ってきた百合の花から花粉を取ってしまう行為は、いわばこの女子校に男子は不要であるという、「少女集合体こそが完全体である」像の思想を持つキャラがいる、とも見て取れます。
大げさなこと書いてるようですが、幼い頃って男子は男子同士のつながりこそが至上でしたし、女子は女子同士のコミットに男子が入るのを排除したりする、そういうレベルでの感覚の差異ともとれます。
このシーンがさすものが何なのかは、現時点ではわかりません。ただ「女の子になっちゃった!」では終われない人間関係を描くためのスタートラインを、この作品はもう踏み越え始めているんです。
 
ある日、僕らは女の子になりました。「あめのちはれ」 - たまごまごごはん
 

とにかく男の子たちはかわいいし、性転換した少女状態の姿もかわいい。ほとんどかわらないはずなのに。
そんなわけで、萌えキャラ集合体として、男性でも女性でも楽しめる作品にもなっています。安心して読んでいると噛みつかれそうなのがまたなんとも心地よい。是非とも思わぬ仕方でリアルを差し込んで、噛みついてきて欲しいです。