たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

セックスが描き出す一瞬の快楽と日常のリアル。「彼女が恋人を好きになった理由」

日本の田舎少女エロスを描かせたら天下一品なMARUTA先生の新作の話です。
エロマンガ話なので収納ー。
 
 

田舎少女好きな自分にしてみたら、MARUTA先生の作品は存在そのものが神がかっております。もうほんと大好き…。
また、「彼女が恋人を好きになった理由」という題名からして、なんだか複雑な感情が塗り込められているじゃあありませんか。
MARUTA先生作品の中では比較的ライトなんじゃないかと思われるこの作品集ですが、しっかり「生活の一部にある性」「あらがえない性」という独自の性感覚と、日本の風土描写が色濃く出ている一冊です。
少し、その魅力の一部を紹介してみます。
 

●「野暮ったさ」は生きているものの証●

MARUTA先生の作品に出てくる少女たちは、それはもう赤面の様子や笑顔などとてつもなくかわいいのですが、なんといっても特徴的なのはその野暮ったさです。
制服を着ている少女たちが多いんですが、「女の子らしさ」でくくられる枠から意図的にちょっとズらすんですよ。
いわば、遠くにいる化粧で飾られた女の子よりも、近くにいる野暮ったい女の子の匂いに興奮する。生々しさと言っていいか分かりませんが、飾り立てた表面ではなく、生活感あふれるエロスを演出しているのです。
たとえば端的に出ているのはこのシーン。

「3cm上にあるキス」より。
陸上部で背の高い女の子がヒロインなんですが、見ての通りのスポーツタイプのパンツ。
彼女は「女の子らしくない」と照れるんですが、もう…たまらないじゃないですかこんなの!
自分の好きな女の子が、素のままの姿を見せてくれる。たった下着一枚のことなんですが、セクシーランジェリーの写真が何億枚あったってこの一瞬にはかないません。
 
まあ「内面のあらわれ」とか、いいこと言えばちょっとかっこいいのですが、正直もっと本能的な部分の「野暮ったさのエロス」みたいのがMARUTA先生作品にはあるんですよ。
もちろん「着飾ったエロス」が悪いとかそういう意味ではありません。飾り立てることで最大限にデコレーションされる美しさもあります。しかしそれらを全部そぎ落として野暮ったさを演出することで、動物的な人間としてのエロティシズムが臭ってくるのをMARUTA先生は描き出して証明してみせます。

「モザイク」より。粘菌大好きの変わり者なミニマム少女眞が死ぬほどかわいい連作です。
見ての通り、眞裸足なんですよ。
MARUTA先生作品の少女たちで裸足の子はとても多いです。自分のような裸足フェチの需要を満たしまくって120%なんですが、裸足で古びた板の床の上を歩きまわったり、擦れた畳の上で寝転んだりする描写をきっちり描くことでその破壊力は300%。(一部の)日本人の心に眠る裸足の美学やノスタルジィを喚起させてくれます。
このような少女たちの素朴な裸足描写は、野暮ったさ演出の一環でもあります。
そしてセックスも、それら野暮ったく生きる人間の生きる証明の一つ、という位置づけです。
 

●セックスが至上ではない●

MARUTA先生作品のいいところの一つに、ちゃんとコンドームを使う話があるというのがあげられると思います。

「モザイク」より。
コンドームを持っている女の子の絵面が好きな自分としては大歓喜。そういうフェチの人って多いと思うんだ。コンドームくわえた表紙のエロマンガ多いし。
しかしエロマンガ本編でコンドーム使うってちょっと珍しいんですよね。というのも、エロマンガはファンタジーですから、できれば最高の快楽を描きたいわけじゃないですか。となると男の夢である「生で中出し」を描写した方がお得、だって二次元だもの、となるわけです。
なのにあえてコンドームを描く。
コンドームをエロマンガで描くタイプの作品は、恋人状態な二人の関係性にスポットを当てていることが多いです。お互いの体に気を使っているよ、というところが萌えポイントなのですよ。
 
エロマンガにおいて、セックスの位置づけをどこにするかは最大の問題でもあります。
人生で最大至高の瞬間として描く作品もあります。セックスするために生まれて、死ぬのよ!という勢いです。中出しするのはもちろん、あっちこっち汚し放題やり放題、本能のままにレッツゴーな作品群です。行為そのものがエロの塊です。
一方、セックスが人生の一部で、生活の中にさりげなく滑り込まされることで、ほんのりとしたエロスを描く作品もあります。後片付けには気を使い、コンドームをつけ、行為後には服も着ます。セックスが終わっても日常は続くのです。
MARUTA先生作品は後者が多いです。人生の一部の一瞬の中に、性行為の光があるんです。
もちろん行為そのものはエロティックですし、キャラクターの興奮もダイレクトに伝わってきます。
しかしセックスしたから何もかも終り、じゃないんですよ。人間関係も人生もオールオッケー、ではないんです。

「プリーズ」より。
かなり過激なセックスをする二人の女学生ですが、むしろ退屈な日常の方が長いんです。倦怠感あふれる、特に何もない普通の日常でしかない。そこから逃避しようとしてセックスもするんですが、それはそれでしかない。
セックスしたからといって、幸福を手に入れたわけじゃあない。相手のすべてが手に入るなんてことは有り得ない。
でも、確かに不幸せでは決してない。
 

●かなわない願い、報われない日常、一瞬の幸せ●

MARUTA先生の作品は、非常に叙情的です。
ここでいう叙情的は詩的だというだけではなく、どちらかというと物悲しさをたたえている、という方です。
別に不幸な話が多かったり、悲しい泣ける話があるわけじゃないんですよ。とある日本人の、とある日常を切り取っている。その中にセックスが入る。それだけなんですが、そここそが極めて叙情的で、一言で表現出来ないキャラクターの深い感情描写につながっていきます。

たとえばこの「ツン6/デレ4」の連作シリーズ、ヒロインの女の子がツインテールツンデレ気味、と絵に描いたような記号でまとまっているんですが、実はこの少年とは幼なじみで、しかも少年には正式な彼女がいる、それをこの子も納得している、という極めて微妙な関係だったりします。
これは興味本位で手に射精した瞬間。後ろめたさと好奇心と嫉妬とが入り交じってえらいことになっております。とはいえ別に泥棒猫になろうとしているわけでもない。
ただ「行為をした」というそれだけです。
ちなみにこの後、半年後を描く続編「ツン9/デレ1」という話が載っているのですが、「6・4」の時は男の子の部屋の寝床が布団なのに、「9・1」ではベットなんですよ。そして彼は「6・4」の時にできた女の子とセックスを重ねているんです。そのベットの上で。
ヒロインの女の子は「6・4」で一回したっきり。まあ当然といえば当然なんですが、そんなこと言われてもどう反応すればいいんだよって話ですよ。
やりきれない感情が漂いつつも、それを悲劇としては描きません。あくまでも「そういう行為があった」と、それだけを切り取ります。
「ふざけて彼の首すじに近づいた瞬間 女モノの香水の匂いがした」
そう、香水の匂いがした。
それだけ。
セックスによってそれを破壊するわけでも、奪い取るわけでも、解消されるわけでもないのです。
 
とはいえ、少なくともつながっている瞬間、何もかも忘れてつながる瞬間の快感と幸福感は溢れ出します。
MARUTA先生の描く日本独特の空気感や田舎の描写が、物悲しくも明るい空気に拍車をかけます。

「空蝉」より。
繰り返しになりますが、ハッピーエンドのカタルシスを描くのでも、悲しい話の切なさを描くのでもありません。
セックスをしたという事実があり、時間は流れて行く。
時間の流れと人間の生活の中に性行為という一瞬がさしはまれることによって見えるリアルが、最高にエロティックだということを雄弁に語り、歌いあげるんです。
それもはっきりとした形状としてではなく、におわせる程度で手をひいて、読者に余韻を残して行きます。
「女モノの香水の匂い」というリアルを見てドキリとしたのは、ヒロインじゃなくて読者であるこちら側なんじゃないでしょうか。
 

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ヘドバンしながらエロ漫画!  MARUTA『彼女が恋人を好きになった理由』

単に純粋に綺麗な存在ではなく、不純さがあるからこそ人間的な彼ら彼女らのセックスは、この作家さんの他の作品と同様、万能のコミュニケーションツールではなく、例え体を重ね合おうとも、異性の心は分からないままであり、秘めた恋心が伝達されるわけでもなく、行為自体が彼らの関係性に幸福を与えてくれるわけでもありません。
夏の河原や神社の境内、日本家屋といった和風情緒漂う風景の中で描かれる性交は、そういった完全には分かり合えない存在である人間の悲哀を慰撫する役割を超越しているからこそ、純粋に“生の歓喜”として快楽的であり、上品で熱情的で、そして例えようもない美しさがあります。

エロマンガは人間の「生の賛歌」という見方が出来ると思いますが、今回の作品に対してのこの言葉こそがMARUTA先生の本質を表現している気がします。ほんと、物悲しいけど明るくて美しいんです。リンク先のレビューは必見。
 

夏の田舎の町に、彷徨い続ける性欲「キミの好きな女の子のカタチ」 - たまごまごごはん
「キミの好きな女の子のカタチ」は今作より重めですが、性の描く生のあり方が描かれ、日本情緒あふれる傑作なのでこちらも是非。