たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

君はこのヒロインのことを本当に信じてもいいのですか?「ラブ×ロブ×ストックホルム」

晴瀬ひろき先生の「ラブ×ロブ×ストックホルム」の設定が面白いです。
いや、面白いと言っていいのか、興味深いというべきか…?
 

ストックホルム症候群

このマンガ自体は非常に王道なラブコメディです。ノリも非常にライト、頭をからっぽにしながら「女の子かわいー!」と読めます。
しかしここにある「萌え」と、実際の事件の精神の揺らぎを重ねて見ると…これが結構変化球で、なんとも象徴的。
 
題名にもありますし、本文でも描かれているのがストックホルム症候群
ストックホルム症候群 - Wikipedia

犯人と人質が閉鎖空間で長時間非日常的体験を共有したことにより高いレベルで共感し、犯人達の心情や事件を起こさざるを得ない理由を聞くとそれに同情するなどし、人質が犯人に信頼や愛情を持つようになる。また「警察が突入すれば人質は全員殺害する」となれば、人質は警察が突入すると身の危険が生じるので突入を望まない。ゆえに人質を保護する側にある警察を敵対視する心理に陥る。このような恐怖で支配された状況においては、犯人に対して反抗や嫌悪で対応するより、協力・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くなるため起こる心理的反応が原因と説明される。

命に関わるような監禁事件や人質事件だというのに、監禁されている側が犯人に好意を持ってしまう。
無論事件そのものは様々な要因やシチュエーションがあるわけで、一概に「これが原因」とは言えませんが、極限状態において思考が揺れてしまうのはなんとなーく分かります。
 
このマンガに出てくる「凶悪犯」役は、女の子です。

金髪ツインテールでバインボインでキュートなツンデレ
そりゃーもうね。二次元的には「むしろ人質にしてください!」という気分ですよ。
しかしそれって、紙という境界線があるからそう思うわけで、実際に自分がそのシチュエーションにあったら、流石に困惑するしパニックになるというものです。あくまでも「自分が実際にそうはならない第三者だから、このシチュエーションを楽しめる」というのが、マンガとしての楽しみ方。
またこの子、1巻の段階では名前すら明かさないんですよね。
ドタバタとコメディを繰り返している上で名前なんて大した意味がない、というのもマンガ的な表現。実質側にいる銃器を持った人間が名前すら教えてくれなかったら、普通不安になります。信頼なんて出来るわけがない。
 
ところがここで「ストックホルム症候群」に陥る人間の追体験をするトリックが組まれています。

相手は名前も分からない、銃器を持って自分を人質にしている少女。
しかしそこで冤罪だと言われたら、どうするか。
まあー、これが凶悪な顔をしたおっさんの強盗犯(だと言われている人)だったら、信じないというか、仮に冤罪でもとりあえず「自分の身を守る」ことを優先する、でしょう。
でも揺らいじゃうんですよ、読者も。
まず、何といっても…相手は女の子だ。
 

●徹底した非現実感●

某マンガのかわいいは正義というキャッチコピーはよくできているもので。いや、実際に正義かどうかは個々の思い次第なので、真実かどうかは別問題。どうでもいいのです。
ただ、かわいい女の子が言うことは、圧倒的な力を持つというのは紛れもない事実です、二次元に限っては。
 
そもそもこのヒロイン、銃刀法違反は犯しているわけで、警察にいくらでも突き出す事は出来ます、仮に冤罪だとしても、別のところで罪を犯してはいるわけで。
しかし、上記のコマのように「冤罪なんだ」と寂しい顔をされたらどうする?
目の前で、リアルな出来事としてこんな場面に直面したら「それはそれとして」と警察に連絡するでしょう。少なくとも死にたくはない。
でもこの作品、徹底的に起きている出来事が非現実的、非日常的。
だから、「ひょっとしたら」もすんなり受け入れられてしまいます。
かわいい女の子が言うからね。そりゃね。
 

それどころか、人質の主人公側が、彼女の手をひくほどになります。
ここに至るまでの過程は、かなりめちゃくちゃ。コメディなので割となんでもアリです。銃も相当ガンガン撃ってます。パトカーにロケットランチャー撃ち込んだりと、明らかにアウトなシーンすらあります。
 
これ、リアルに描いちゃうと色々破綻も出てくると思うんですよ。
いわば「ストックホルム症候群になりつつある人間が、別視点から現実を見たら気づいてしまう」のと同じ心理。
非日常で現実味のない、極限状態だからこそ生まれるのがストックホルム症候群です。
 
この作品は絵も非常にシンプルなラインでデフォルメされていて、キャラクターがいい意味でおもちゃのようです。
血を流すわけでもなく、大怪我をするわけでもなく。淡々と滅茶苦茶な状態に巻き込まれて行きます。
いわば、マンガ内のリアルではない、極限状態。
読者側も見ていて「仕方ない、そうなるよね」と思ってしまうのは、この空間が別世界だから。
 
実際にはこの子が本当に犯人じゃないかどうかわかりません。
ただ「この子が犯人じゃないエンディング」を勝手にこっちが望んでしまうんですよ。
アニメ・マンガ・ゲームなどの「萌え」やキャラクターへの思いの強さは、時には計画的に作られたレールの上で、非日常であるがゆえに発生してしまうこともあります。まるでストックホルム症候群のように。
そこに命の駆け引きはありませんが。ただ曖昧な状態で何かを「信じる」というのは実は非常に不安点なんだよなあ、と読んでいて思いました。
これは考えすぎですが、極端な話このマンガのドタバタギャグの世界も、一体どこまで信じたらいいのか…?
そもそもこの子本当にハッピーエンドに向かっていくのか、あるいは逆の逆で本当に犯罪者なんじゃないか?
 
「ある日、突然女の子がやってきて…」というのはラブコメお決まりのパターンですが、それらの女の子をどこまで信じていいのか、本当にそんなまるまる受け止めていいのか、というのは確かに不思議な命題の一つです。
キャラが、読者がそれを信じたくなるのは、退屈な日常を破壊する存在が欲しいから、というのが原因の一つです。事件を起こして自分の中の大きな一歩を踏み出すきっかけを、誰かに作ってもらいたいのです。日常ブレイカーを待ち望んでいるから、女の子が突然やってきても好意的に受け止めてしまえる。
現実だったら、そのままフラれたり殺されたりする可能性だってあるのにね。
まさに「殺されるかもしれない」なシチュエーションな本作ですが、同時に女の子側に「リマ症候群」が生まれているのも面白い。

ストックホルム症候群」とは逆に監禁者が被監禁者に親近感を持って攻撃的態度が和らぐ現象のこと。

これ、パターン化してしまえば、ツンデレのデレじゃないですか。ふーむ。
 
「ラブ×ロブ×ストックホルム」は決して、重たくて息苦しくて辛い話、ではないです。明るいし軽いしポジティブです。
すらっと読める作品ですが、読み終わったあと何のため来も無くヒロインを信じて、ハッピーエンドに向かうであろうことを予想してしまう。読者のストックホルム症候群追体験状態です。
これで、バッドエンドだったらびっくりだなあ…。でもわからん、わからんよ。どっちに向かうかは。
 

なんとなくではありますが、萌え文化の「完成された信頼関係」の裏をかいたようなトリッキーな作品でした。
とはいえ難しいことは考えずにさっくり読んで「一葉さんかわいい!」と満足することも可能。
なんだか自分は「金髪ツインテールだったら信じなきゃいけない」病のような気がしてきましたよ。