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機械とセーラー服に囚われた少女の美学 〜「【懺・】さよなら絶望先生 番外地 下巻」OPの呪物少女達〜 

えらい時期が遅れてしまったのですが、「【懺・】さよなら絶望先生 番外地」のOPのデチューンがものすごかったので、少し紹介+分析をしてみようと思います。
分析っつったって心理学とか難しいことわからんので、雑感です。
この巻のOPは「林檎もぎれビーム」のフルバージョンになってまして、劇団イヌカレーによる手の入れ方が半端ではありません。
 

●少女記号解体論●

何度か書いてきていますが、絶望先生のOPは「大槻ケンヂと絶望少女達」というユニットで歌われているように、あくまでも「少女達」が歌っていることが非常に重要視されています。
このへんはオーケンの歌詞そのものにも出ていますし、OP映像にも顕著に出ています。
で、今回はどのくらい分解しているかというと、その度合ははんぱではありませんでした。
これは一気に並べた方がいいと思うので、ずらっといきます。



ええ、見ていただいて分かるように、顔を円に、一つ目にしてしまっています。
興味深いのは、この状態なのにどのキャラか分かると言うことです。
そしてもうひとつ加えるならば、セーラー服だけの記号で少女だと分かると言うことです。
 
このへんは今回他のシーンでも徹底しており、ほとんどのシーンでキャラクターの顔は描かれません。

キリコを思い出すような図柄。これはさすがにどのキャラか分かりませんが、セーラー服の少女なのは理解できます。
 
実は記号だけでバラバラにしてしまって組み合わせるだけで「少女がいる」というエロティシズムを作り上げられてしまう。
絶望先生」のOPは常にそれを追求し続けてきました。そこに「躁」と「鬱」、「エロ」と「グロ」という精神の記号を付記することで生々しさを増します。
注目すべきなのは、本編と違ってその精神性自体も「記号」だということです。ダイレクトに文字やアイテムで表現するんですよね。

可符香だけは他の絶望少女と違って、狂言回しのような役回りになっています。
なので、読み解き用のないこのOPの中に秘められた少女性を見るには、「可符香」と「それ以外の少女」を分けてみなければいけません。
はて、ここで「セーラー服」と「一つ目」というところに注目していただきたいです。
一応ここだけ押さえた上で、ちょっと別の話に移っていきます。
 

レティクル座行き超特急●

TV版に無かったOPの後半、少女達は鉄道に乗ります。
しかも蒸気機関車です。

これは実際に乗っているシーンですね。相変わらず表情は描かれません。
なぜなら必要がないからです。
彼女たちはここでは、女子生徒である、という記号で構わない。
なぜ記号化されるのかは、「絶望先生視点だから」なのか「可符香視点」だからなのかはちょっと判断できません。いずれにしてもどちらかでしょう。

実際の蒸気機関車のカットです。
見ての通り、中空を飛んでおります。これもポイントの一つ。
そしてラストカット。今までは首吊りなど自殺をほのめかしたりしてましたが、今回はちょっと違います。

殺されるんですよね、蒸気機関車に。
これ元々の「林檎もぎれビーム」では、降ってくるのが可符香で、助けられるはずだったのに。
 

レティクル座妄想
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筋肉少女帯
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筋肉少女帯の歌で「レティクル座行超特急」という曲があるので、それを思い出した人も多いかもしれません。
自殺した人間を詰め込んでレティクル座に向かう列車が走る、という歌詞です。
また、上記の少女達の単眼が何重にも○で描かれていること、ところどころ背景が多重円になっているのもおそらく「レティクル座妄想」ジャケットからでしょう。
アルバム「レティクル座妄想」は、筋少聞きたいけどどこから入ろう?という人にはもってこいの名盤中の名盤なので是非!

少女達が無数落下するのは「さらば桃子」あるいは「1,000,000の少女」そのものですね。

ああ、空から少女が降ってきた!しかも100万人!!

前者は「レティクル座妄想」に収録、後者はシングルCD「蜘蛛の糸」のB面なのでちょっと入手困難かもしれません。「BEST&CULT」に収録されているそうです(情報感謝!
どちらも「自殺」がテーマなのが興味深いところです。そもそもこのアニメに出てくる少女達で本当に自殺するような子いないじゃないですか。
じゃあなぜ?
 

中村宏と呪物フェティシズムの世界●

ここまでのキーワード「セーラー服」「一つ目」「蒸気機関車」となると、もうあの美術家さんしかないでしょう。

図画蜂起1955‐2000
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中村 宏
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中村宏さんです。
この方かなりグロテスクな絵を描かれる方で、一番有名なのは「夢野久作全集」の表紙かもしれません。

この表紙の版はもう絶版みたいなので、図書館などで探してみてください。
見ていただけると分かると思いますが、この方エログロを吸収しながら、徹底的に「セーラー服」にこだわっています。
 
すこし作品を紹介してみようと思います。
現代詩手帖」の表紙より。

「セーラー服」「一つ目」「蒸気機関車」が全部詰まっています。
そして、少女をリアルに描こうとは全くしていません。完全に記号化されています。
ところがこの記号化された一つ目が、少女として認識出来るんだ、というのを中村宏氏は描いているからすごいんですよ。
ようするに、どんなにグロテスクだろうが、分解されようが、一つ目であろうが、セーラー服という呪物に囚われる限り記号的に少女のエロティシズムを表現出来るんです。

この方、リアルな少女像も描いておられます。しかしあえて、少女を記号化・分解したイラストを、まるで取り付かれているかのように描いているんです。
ちなみにこの図を見て、「ぱにぽにだっしゅ」の「少女Q」を思い出した人も多いかもしれません。

少女は輪切りにしても縦切りにしても、記号であり続ける限り「少女」なんですよ。

ひとつの呪物として、女学生が着用するセーラー服を指示しよう。セーラー服は衣服崇拝の意識を生み続けているのだ。
代表的なセーラー服とは?
冬生地は濃紺色のサージ。襟の縁の二本ないしは三本の白いラインは、セーラー服のセーラー服たる所以。威力を発揮している。
大きな白か黒のリボンあるいはネクタイを、うしろから衿の下を通して胸元やや低めに結ぶ様式は卓越している。スカートは、大きく太めの箱襞。この二十四の折り目をもつ襞のサージ生地性スカートこそ、セーラー服の生命である。
(「図画蜂起」より。)

いかに呪物のように「セーラー服」が威力を持っているか、絵と文章で雄弁に語っています。

確かによく見てみると、色々省略されているのに白いラインと黒いリボンは意図的に残されていますね。濃紺ではないですが「セーラー服」である、という記号はしっかり描かれています。
(ちなみに絶望先生のキャラのスカーフは、漫画内では黒ではなく、ころころと模様が変わります。アニメでは赤です。)

上着は水兵服としての男性、スカートは女性と云う、同時にふたつの性を結合しているセーラー服は、まさに両性具有・アンドロギュノスそのものではないか。
それ故のエロティシズム!
中身の肉体より、表皮のセーラー服こそ卓越した身体だ。まさに、第二の皮膚なのだ。
セーラー服は呪物となり終えることで目覚め「覚醒的物質」となる!? いわばロボットのように。
(「図画蜂起」より。)

衣服が人工の第二の皮膚であるなら、セーラー服は表皮だけの人工少女であり、また、このセーラー服とは観念上の少女に他ならない。つまり、人工少女とは観念少女であり、それはセーラー服へと呪物化する。
(「図画蜂起」より)

セーラー服という記号は、少女です。紛れも無く、それがクリーチャーであろうと粘液であろうと、セーラー服をまとっていたら「少女」なんです。しかもここに書かれているように、完全なる両性具有という見方は非常に面白いポイント。これはちょっと別の機会に書いてみたいです。安穂野香とかと絡めながら。
中身に興味がないのもすごいですね。中村宏氏的にはエロティックとして重要なのは外皮。内面は空洞でもいいんです。
しかし、人間としての「少女性」を持ったキャラクターには成り得ません。
そのような意味で、セーラー服という分解された記号がもたらすエロティシズムは、ロボットのようなものだ、というこの指摘は非常に興味深い部分があります。
澁澤龍彦の「少女コレクション序説」の中で語られていた「少女」にも似ていますね。ようするにここにあるのは「生身の少女」ではなく、コレクションされる「観念の少女」なのだと。
人間ではなく呪物という表現が出ていますが、それこそまさに今回の絶望先生のOPに通じる部分です。物体、しかも決して逃れられない、エロティックな呪いの物質なんです。
 
もう一点、上記の絵にもありますが、蒸気機関車です。

中村宏氏はセーラー服少女と同じくらいの数の蒸気機関車絵を描き続けています。なぜか?

もうひとつの呪物として蒸気機関車を指示したい。これはもうただひた走るだけの機会という表皮そのもの。古典的ロボットなのだ。
(「図画蜂起」より)

「セーラー服」が少女ロボットであれば、蒸気機関車はただ走るだけしか許されないこれもまたロボットだという考え方。
こうしてみると、中村宏氏の世界が単にグロテスクなだけではなくて、非常に観念的な呪物で構成されていることが分かり始めます。
 
中村宏氏の絵と、今回の絶望OPを並べてみます。
どちらももうすでに少女の形をとどめていませんが、セーラー服で「少女」と認識されます。
「あえてグロテスクにする必要はないのでは?」という感覚もあります。いくら呪物でも、普通にかわいらしい少女を描いたっていい。しかしそうではありません。グロテスクでなければいけないんです。

必要条件として、常に心の半分を担う悪魔的細密認識。
細部にやどる神の情態。真善美に対応しての偽悪醜に属する心理表現。
妖しくも奇なる自分の顔。
(「図画蜂起」より)

誰かの心情を描写する際、記号的・呪物的にすることに価値はありますが、それを美しく切り取るだけでは表現しきれないものが存在します。裏の部分です。
もちろん表の部分も必要です。キレイで美しいもの。
しかしながら不完全な人間誰しもが担う不安定な心を表現するには、呪物の美しさと相対するような醜悪さ、グロテスクさが入ることで、初めて本当のエロティシズムや人体表現として、観念性を増します。
この時点でまだ「観念的」なのが面白いところ。極めて自分の内部を表現しつつも、やはり観念の皮で覆われています。もう逃れられない、だから呪物。
 

●可符香の視点●


中村宏氏の感覚点を踏まえた上で、絶望先生のOPに戻ります。
一応他のキャラも「そのキャラらしく」きれいに描かれるカットは存在しますが、可符香だけ明らかに異様です。可符香は単眼になるのがこのカットだけですし、他の少女と同列に並びません。
もし観念的で呪物的な少女達を見ているのが可符香だとしたら。この世界は可符香の感覚そのものの「妖しくも奇なる自分の顔」です。

こちらはデチューンされる前の、テレビ放映版「林檎もぎれビーム」です。
見ての通り、絶望先生はかっこよく、少女達は妖しく、そして可符香は絶望先生に救われます。
しかしデチューン版、救われません。むしろ可符香のいる世界は混沌とし、絶望先生は可符香を助けることが出来ず、自殺もせず、呪物である蒸気機関車に押しつぶされます。
レティクル座」がもし絡むなら、自殺者が乗っている可能性もあるかもしれない蒸気機関車です。
つまり、可符香は一切救われていないだけではなく、呪物にとらわれて身動きが取れなくなってしまっているのです。
可符香の自殺感覚、……というところまでいくとちょっと邪推すぎですね。
 
このへん、4期があるならまたなにかやらかしてくれそうですが・・・分からないですねさすがに。
漫画本編自体もどのようになっていくのか見えませんが、可符香の見ている世界の「真善美」が寺山修司的で救いのあるこのOPだとしたら、「偽悪醜」が番外地のDVD版なのかもしれません。
 

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【懺・】さよなら絶望先生」の元祖「林檎もぎれビーム」の話だけ書いてないですね。
これもちゃんと全部元ネタがあって、ほとんどが寺山修司主催の劇団天井桟敷のポスターです。
詳しくはこの本を見ると分かります。

ちょっと高いですが、寺山修司をはじめとした演劇ポスター独自の世界が好きな人なら必読。見終わった後飲まれます。
これが街中に貼っていたり新聞に載っていたりした時代があるんだからすごいよ。
今も高円寺や中野に行ったら貼ってそうですが!
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こっちは19巻。
 
余談になりますが、中村宏氏は「表皮」に非常にこだわっており、セーラー服、蒸気機関車の他に、地面(大地の表皮)やポンプ(内面を外側に吐き出す装置)なども描き続けています。「図画蜂起」は面白いので「オススメ!」とは言いづらいですが、今回のOP見てくる物があった人は是非読んで欲しい本です。
 

レティクル座行超特急」の絶望先生MAD。出来が非常にいい上にまさにレティクル座行きなのが素敵です。